見出し画像

「歴史を調べてレポートを書け」と言われた高校生はどうしたか

 1992年の春、高校に入学したばかりの生徒たちに、大学を出たばかりの男性教員が問うた。「なんで歴史の勉強をせなあかんと思いますか?」。
 生徒たちは顔を見合わせるだけで、なにも言わない。
 「君たちはやらされるからしょうがないと思うだけかもしれない。でも、歴史というのはじつは面白い。それが証拠に、これから君たちが高校を卒業し、大学を卒業し、社会に出たときに、かならず歴史好きのおじさんに出会うことになります。そんな人と話をあわせるために、歴史を勉強する。といったら、しょうもない気がするかもしれん。けど、この授業で得た知識がきっと役に立つはずです」
 

 夏休み前に、この教師は、歴史を調べてレポートを書け、テーマは自由、と宿題を出した。私は、中公文庫の『世界の歴史』の一章をそのまま写して提出した。そんな生徒が多数いたらしく、「なにかを写しただけの人はB評価としました」と教師は言った。が、いったい何が悪いのか私には理解できなかった。翌年、後輩が同じ教師の授業を受けており、やはり同じ課題が出た。昨年、写しただけならB評価だったので、再挑戦することにした。後輩に「代わりにやってあげる」と言って、やはり、中公文庫の『世界の歴史』を取り出した。今度は、文章を引き写すような真似はしない。単語同士を矢印でつなぎあわせたり、赤ペンや青ペンで強調したりして、普段の授業の板書ノートのようなレポートを書いた。これでA評価をもらえると思った。ところが、B評価だった。いらぬ手出しをして、この結果だから、話にならない。

 
 いま振り返ると、あんなレポートではB評価が当たり前である。新たに明らかにしたことは何一つない。一方で、歴史を調べてレポートを書け、といっても、その調べ方を習った記憶もない。いや、教えてくれたが、覚えていないだけなのだろうか。
 それから16年後の2008年、私はたまたま勤務していた北海道の小さな町で地元の歴史に興味を持ち、人に話を聞いたり、資料を調べたりしながら、文章を書くようになった。社会人になったら出会うと言われていた歴史好きのおじさん、そのものになった。さらに16年がたった2024年には『地方史のつむぎ方』という本で、歴史の調べ方まで書いた。
 あの新米教師からは1年間、世界史の授業を受けた。中身はまったく覚えていない。名前も顔も記憶にない。しかし、はじめての授業での挨拶と夏休みの宿題だけは強く印象に残っている。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?