見出し画像

みなさんの雪の日の思い出

本日スペースで配信した「雪の日ラジオ」のお便りで集まった、みなさんの雪の日の思い出がとてもいいエピソードばかりだったので、抜粋して紹介しちゃいます。

はじめまして。おいしい午乳(ごにゅう)と申します。いつもみなみしまさんの活動を陰ながら応援させて頂いております。私の雪の日の思い出なのですが、小6の頃くらいのことだったように思うのですが、お正月の三ヶ日に近所の氏神様にお詣りに行ったら、沢山のおみくじが結ばれた寒椿の根元のところに、何故か蝉の死骸が転がっていたという出来事がありました。雪の白さと、椿の紅、そこに添えられた灰色の蝉の死骸。なんとも言えない気持ちになった私は、死骸にそっと雪をかけて心ばかりのお墓を作り、その場から去りました。そんな話です。(おいしい午乳)

みなみしまさん、こんばんは。 長岡造形大学の大学院にて、作品を制作していた者です。 長岡といえば、花火とともに有数の豪雪地帯で有名な場所だと思います。 地元がまったく雪の降らない地域のため、雪そのものが新鮮で、私は毎年の降雪を楽しみにしていました。 雪が積もると、目に見える情報、聞こえてくる音、自分の体で動ける範囲などが限定されます。ただそれは同時に、限定された経験を反芻できる、贅沢な時間の訪れでもあります。 現在は雪の降らない地元に戻りましたが、あの時の経験は忘れることができず、今の制作にも影響し続けています。 とこんな感じで、とても個人的なお話ですみません。 まだ寒さが続くようですので、どうかお身体にお気をつけてください。 (牛の歩み)

幼い頃、父の運転する車から見た雪。深夜に高速道路を走っていると、真っ暗な世界の中に雪がわずかな光を反射して見える。いつしか眠ってしまい、起きた頃には一面の雪景色。雪の降らない町から長野へ向けて走るとそんなことがよくありました。(くまちゃん)

私は山の上の中高に通っていて、その日は大雪の中駅に向かうバスを、部活のメンバーたちと一緒に凍えながら待っていました。何が原因だったか全く覚えていないのですが、すごく孤独とか劣等感とか、卑屈な感情を強く持ってしまっていて、みんなが楽しそうに喋っているのを横目に走って列を抜け出して、雪道の中ひとり駅に向かって走り出しました。ローファーと裾上げしたスカートで体は冷え切っていたのに、何故か逃げ出さないと行けなかったんだと思います。とぼとぼと山を降りてもまだまだ駅は遠く、畑の横をうつむきながら歩いていた時、後ろから友達が走って追いかけきました。彼女は何も特に私に問うこともせず、そのまま雪で遊びながら一緒に駅まで帰りました。今思い返すと、大事にしたい優しくされた思い出なのに、今日のお便り募集まで忘れていたし、今別に彼女とも仲良く無いです。私は本当に白状な人間です。(匿名希望)

興味みたいな日に、成人式があったのを思い出しました。足元ずぶ濡れで帰宅したのも、今では良い思い出です。(匿名希望)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?