憂鬱なあなたへ 第1回 モランディの虚像
モランディの絵を見ていると、何か喪われているという感覚を覚える。不思議なことだ。そこに描かれているものよりも、そこに描かれていないものが目に入ってくる。ただ、それは無とは似て非なるものである。何かが喪われているという感覚は、何かで満ちていることの裏返しでもあるからだ。つまり見えないものが詰まっていることの発見が、喪失感によって明らかとなる。この充填の感覚は、彫刻史の伝統から引き出されてくるものだ。20世紀の彫刻の革新は、自らを規定する実体的なボリュームを虚像化することにあった。虚をボリュームとして認識する全く新しい条件を、たとえば構成主義のナウム・ガボはよく理解していた。キネティックアートと評される一群の作品=装置は、運動の本質を彫刻に取り入れたのではない。ガボの作品にあるのは運動ではなく、運動が作り出す虚のボリュームであり、その虚像を目にしているときには、運動の認識は後背に退いてしまう。実体を持たないが、私たちの知覚上のある空間を満たすもの。それを充填とみなすことが、彫刻の新しい始まりだった。モランディの絵を前にしたときに喪われているものは、そこで充填されているものと等価である。
しかし、その平面はこの世界のあらゆる事物を受け入れるニュートラルな器ではない。ハプニングやイヴェントの背景にあって、そのすべてを包含しうるという期待をかけられた無地のカンヴァスではないのだ。無とは、こうして万物を抵抗なく統べるという広大なフィクションの中心にある概念と言える。河原温は無限を相手にしながら、自身の在処を秘匿することで、無をコンセプトとして屹立させた稀有な作家だと思うが、モランディはそうしたコンセプチュアル、もしくはミニマリズムの方向性をもっていない。たとえ、のちにモランディに影響を受けた作家がこのふたつの方向へと向かっていたとしても、それはさして重要な展開ではない。
モダニズムの運動のなかで、モランディ自身が強調するのは、自らが初期ルネサンス以来のイタリア美術史上にあるということである。フラ・アンジェリコ、パオロ・ウッチェッロ、ピエロ・デッラ・フランチェスカらから始まる系譜の突端に立っており、また立つべき「イタリア的」画家として批評的言説が積み上げられていった。もちろんイタリア・ファシズム時代においてその位置には、危うさが伴っている。いっぽうで作家自身やモランディを批評的に擁護するロベルト・ロンギやチェーザレ・ブランディらにとっては、モダニズムの名のもとで覇権を押し広げようとするアメリカの絵画は、歴史から切り離されていると映ったはずだ。だからこそ、ジェームズ・スラル・ソビーがモランディを、いわば具象のモンドリアンであると捉えたときにイタリア側の批評家は拒否反応を強く示した。モランディは基本的にはイタリアの近しい者たちの言説に寄りながらも、しかし第二次世界大戦後の「現代美術」のなかで国際的な評価を獲得していく。
モランディはどこにいるのか。イタリア国内での歴史的な視点からの評価は、ファシズムとは異なるナショナルな美術に基づきつつ、非常に簡素な自伝をファシズムの機関紙に寄稿してもいる。そしてアメリカ、とりわけMOMAを中心としたモダニズムの理論からの評価がある。歴史と反歴史、政治と反政治が互いに重なり合いながら、ひとりの作家としては矛盾とも思える特異な位置にモランディは立っている。ニュートラルであるはずがない。けれど、かくのごとくモランディの深層には同時代の芸術家としてのいくつもの対立と衝突を免れ得ない政治性が隠れていたのだと指摘することは難しいことではない。私たちが触れるべきは、絵画に隠された闘争の痕ではなく、そうした複雑な葛藤がひしめいているモランディの虚像にある。
(つづく)
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