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野村浩「メランディ展」から思ったこと。

モランディの絵を見ていると、ともにある感覚がある。それは鑑賞者とというよりも、モランディの描いた別の絵とともにあるという意味だ。伝統的な絵画からすれば、この傾向は弱さの表れにも映るだろう。絵画がそれ自体で自律することなく、他の絵画への依存、すなわち他律的に存在していると思えるからだ。けれど、自らを繰り返してしまうリスクにとても自覚的であったモランディは、その「弱さ」ゆえに20世紀イタリアを代表する画家となった。自らが描いた無数の作品といま描いているこの作品の微細なズレを含んだ関係性に向き合ったのだ。思うに、野村の描くメランディのかわいさは、そうしたモランディの弱さとどこかで結びついている。そんなことを考えながら、中目黒へと向かった。

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本展サイトにはある評論の一説が引用されている。メランディは「見ていることを見ている」という同語反復こそがテーマであると。この引用に従って、眼差しに着目して見てみると、画家の眼差しはふたつに分別できることが分かる。それは絵自体をあるサイズに縮約することで、あくまでも絵の全体に向けられているものと、絵の一箇所をクローズアップすることで、絵の一部分に向けられているものだ。あたかも、画家が絵の前に近寄ったり、離れたりして、絵を描く動作を模倣するかのように、モランディ改めメランディの絵は前後に揺れ動いている。

「揺れ動き」とは、不動で孤高の画家モランディにふさわしくない言葉である、というのはもう旧い考えかもしれない。フランチェスコ・アルカンジェリや岡田温司はもとより、絵を描いている者であれば、すぐに見抜くはずだ。本人モランディの画業自体もつねに整いと乱れ、定型と不定型の揺れ動きのなかにあったことを。特に1930年代前半の作品は不定形さの極に振れており、アンフォルメルの先駆けとものちに論評されたりもした。本展では定型の極に振れた50年代に特徴的な集合的で幾何学的な作品が多く選ばれているが、それらを枠取る画家の視点はさまざまな距離感を演出する。つまり、言い直せば、本展では不定型な視点が定型的な作品群を捉えていくことで、モランディをみる、私たちメランディの目を揺れ動かしているのだ。

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それにしても、なぜメランディは目を描き加える必要があったのか。この問いは、裏返せば、なぜモランディは人物を描かなかったのか、という長年の謎に言い換えられる。

ひとつ有名な話として、モランディが初期に制作した自画像を後年になって、破棄したというものが残っている。実際にはある絵の裏側に隠されていたことが最近発見されたのだけど、モランディがその絵を自らの画歴から消し去ろうとしていたことは事実のようだ。その理由を、単に画力やスタイルの未熟さに求めることもできる。けれども、非人間的なモティーフを扱う静物画への造形的な転換を強調するならば、モランディは画中から眼差されること、それ自体に一種の居心地の悪さを感じていたとも考えられるだろう。絵画と画家の間で眼差しのコミュニケーションが生じてしまうことへの違和感がぬぐい難く存在するのではないか。これは私の推測に過ぎないが、その点からするとモランディは自身が徹底的に排除した眼差しがメランディによって再び挿入されることに嫌悪感を抱きかねない。

とはいえ、結論からいえば、モランディはメランディの目をなんとなしに受け入れる気がする。なぜなら、それは眼差しにしてはささやかで、それ未満のもの、弱い眼差しに見えるからだ。要するに「かわいい」のだ。その目がこちらを見ているというよりも、画家=鑑賞者に見つけられてしまった!という小さな驚きの表情を感じ取ることができる。試しに、絵の前で目を手で覆いながら立ち、そっと手をずらして、メランディの絵を見ればよい。その目は軽い驚きと気恥ずかしさを表しているだろう。そこにずっといたけれど、見つけられてこなかったものが、ふいに発見されて、見る側も見られる側も少し驚いている。ハッとする瞬間的な出会い。メランディの描く目は「見ていることを見ている」ときに前提とされる「眼差し」の主体の安定性や構築性に至らない、それ以前の何かであるはずだ。「見つけられてしまった」と「見つけてしまった」、ふたつの驚きが交差する領域にメランディの弱い目は位置している。

モランディはよく蚤の市に出掛けていった。そして、気に入った瓶や壺を買い集めてきては手入れをして絵に描いた。そんな使い古された無用物が流れ着く市場での出会いは、モランディにとっていま言った二つの驚きの交わる経験だったのかもしれない。私たちはモランディが瓶や壺に出会ったようにメランディの絵に出会い、そしてすこしだけ驚く。だから、メランディの絵は見つけてしまった、と驚く、私たちの自画像でもあるのだ。



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