記事一覧
自分で企画すること①これぽーと
2020年からスタートしたのが、全国の美術館の常設展・コレクション展に訪れてレビューする「これぽーと」というメディアです。執筆者をツイッターで募り、これまでに120本以上のレビューが掲載されています。日本では、美術館もメディアも企画展を中心にまわる構造があるなかで、本来、美術館の中核にあるはずのコレクションの収集と保存、研究を踏まえた、それらの成果としての常設展やコレクション展にフォーカスしようと
もっとみる憂鬱なあなたへ 第1回 モランディの虚像
モランディの絵を見ていると、何か喪われているという感覚を覚える。不思議なことだ。そこに描かれているものよりも、そこに描かれていないものが目に入ってくる。ただ、それは無とは似て非なるものである。何かが喪われているという感覚は、何かで満ちていることの裏返しでもあるからだ。つまり見えないものが詰まっていることの発見が、喪失感によって明らかとなる。この充填の感覚は、彫刻史の伝統から引き出されてくるものだ。
もっとみるみなさんの雪の日の思い出
はじめまして。おいしい午乳(ごにゅう)と申します。いつもみなみしまさんの活動を陰ながら応援させて頂いております。私の雪の日の思い出なのですが、小6の頃くらいのことだったように思うのですが、お正月の三ヶ日に近所の氏神様にお詣りに行ったら、沢山のおみくじが結ばれた寒椿の根元のところに、何故か蝉の死骸が転がっていたという出来事がありました。雪の白さと、椿の紅、そこに添えられた灰色の蝉の死骸。なんとも言え
もっとみる水玉の坊と道の出会い
水玉の坊が歩いていると、舗装されていない道に出会った。
彼は、「姉妹がいる」とだけ言って、去ってしまった。ひとり残された水玉の坊は、履いていたサンダルにぽつりぽつりと落ちては跳ねる、泥水をじっと見つめていた。どこから降ってきたものだろう。傘をさしていないから、雨が降っていたとしたら、その雨の雫に違いない。
雨は降っていない。さっきまであったあの道は、すっかり乾ききった黄色い大地に変わっていた。
24時間アートラジオについて
12月29日正午から30日正午まで、みなみしまのツイッターのスペース上で開催される「24時間アートラジオ」の公式サイトです。(随時更新)
まずは、当日は以下よりラジオをお聞きください。通知登録をすると、開始とともに通知されるのでは、分かりやすいです。
https://twitter.com/i/spaces/1eaKbgonAmjGX?s=20
次は番組表です。
★リスナーの皆様の声を募集
豊島美術館と心臓音のアーカイブ2016
ようやく山を越え、下りの中腹まで来たところで、視界が開けた。海まではるか遠く見渡せる場所に豊島美術館は立っているとは到底言い難い。それは緑爽やかな地面に埋まっている。エントランスからは風の通る林の中に慎ましい豪族らの古墳のような、乳白色の流線体が見えるだけである。この豊島美術館も横尾館と同様に一般に建築と呼ばれる類のものではないだろう。モダニズム建築とも強烈な個性を持つ作家による芸術作品とも異なる
もっとみる日記20231009
午前は毛布に包まり過ぎる。肌寒い。お昼は食べずに新宿の紀伊国屋へ。今野真二『「鬱屈」の時代を読む』、「新潮」最新号を買う。新潮は宮﨑 裕助さんの東浩紀論(『存在論的、郵便的』、『訂正可能性の哲学』)を読む。恵比寿に移動。アトレのつばめグリルが空いていたので、久しぶりにハンブルグハンバーグを食べる。その後、東京都写真美術館で「風景論以後」とコレクション展を見る。風景映画、特に「略称・連続射殺魔」がよ
もっとみる中谷優希「ふわふわの毛をむしる」展レビュー完成/完成までのプロセス公開
タイトル:交差する身体たちに手をのばして
執筆者:pegさん
絵画のまえで私は目だけになる。画家が立っていた場所にいて、彼らの視線を追体験するように目に意識を集中させていると、私は身体のことをすっかり忘れてしまうのだ。
中谷優希の個展「ふわふわの毛をむしる」を見た。大きく開いたガラス戸からは気持ちのいい風が吹き込み、併設のカフェからはコーヒーのいい匂いが漂ってくる。床に敷かれたゴザの上にはク
自由に書いてみた。あと書籍化の呼び掛けです。
最近は〆切に追われたり、追い越されてたりしている文章の内容を考えるばかりで、煮詰まってきたので、なんの目的もなく書いてみたい。
ツイッターが鳥からXになった。どうでもいいと思った。なぜなら、自分がツイッターであって、ツイッターはツイッターではないから。ツイートしようとして、ものすごく理解されなさそうだったので、やめる。昔、ある批評家が、インターネットがデータベースではないのです。データベー