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双極性障害と診断されるまで

こんにちは、みなみです。

前回は主に、"双極性障害とは"について書きました。

今回は、あたし自身が双極性障害と診断されるまでを書いていきたいと思います。

地獄が始まった6月


去年の2月から働き始めた職場が好きでした。

仕事内容も楽しくて、人間関係もとても良く、同じ職場でお付き合いする人もできました。

しかし、今年の2月ごろに破局。破局後も良き仕事仲間として仲良くしていました。

職場のみんなと和気あいあいと仕事をするのが大好きでした。

でも、いつからかわからないけど、上手くみんなの中に入っていけなくなりました。

それは、みんなの態度が変わったのではなく、あたし人が気にしすぎていたのだと今ならわかるんですが、その時は少しずつ孤独感が募っていきました。

今年の6月に入って、気分の落ち込みがひどくなりました。

気分が下がっているのに、楽しく過ごしている夢ばかり。しかも、夢を見ているときにそれが夢だってわかるんです。

目を覚ましたときに、夢を思い出して絶望感を感じる。だから、寝ることが怖くて寝る前に気分が余計に下がってしまう。

そんな悪循環でした。

それでも仕事は好きだった。だから、行ってました。遅刻もせずにしっかりと。

遅刻ギリギリの出勤だったあたしが、誰よりも早く出勤してました。

嫌だとは思ってなかった。

自分のおかしさに気付いた7月


7月の中旬頃、あまりご飯が食べれなくなりました。

朝のコーヒーも匂いすら嗅ぎたくなくて。

昼食は固形物が食べられなくなったので、ゼリーを。

夕食だけは、いつもよりだいぶ少ない量でも、固形物を食べられました。

だから栄養失調になることなく、働くことができた。

そんな日々を続けているうちに、仲の良い同僚と上司に呼び出されました。(さすがに変だと思ったようです。笑)

話しているうちに、一度病院に行った方がいいと言う話になりました。

上司がオススメの病院を探してくれて、それまでの間も有給や休みを組み合わせて出来るだけお休みになるようにシフトを組んでくれました。

終わりと始まりの8月


8月の前半は事務仕事を中心に仕事をこなしました。(そうなるようにみんなでフォローしてくれました)

そして夏休みは、仕事のことを考えないように過ごしました。甥っ子と過ごしたり釣りに行ったりして気を紛らわせました。

夏休みが終わり、何日か働き、ついにメンタルクリニックへ行く日になりました。

8月19日、今でも覚えています。

病院で上司と待ち合わせ9:30に病院へ。(不安そうにしてたら上司がついてきてくれました。何から何まで優しい上司です。)

病院へ入った瞬間、不安と緊張で涙が止まらなくなりました。

問診票を記入する手が震えました。

そんなこと生きてきて初めてで驚きました。

待っている間も止まらない涙。きっと周りから見たらぎょっとする光景だったと思います。

そんな中、上司はずっと付き添っててくれました。大丈夫だからって声をかけてくれました。

病院では、まず問診票記入し、看護師さんとお話しして、採血と血圧測定をしてから、診察という流れでした。

ボロボロないているあたしに受付さんも看護師さんもとても優しかったです。

そして、いざ診察。

あたしの症状や出来事を伝え、今までの生活歴を話していくと先生から言われました。

『おそらく、双極性障害のあなたのは二型かな。あとは、発達障害もあるかもね。』

咄嗟に、治るか聞くと、

『治るってことはなくて。でも、自分にとって良い状態を保つことはできるし、それを目指すんだよ。』
『睡眠障害と気分の落ち込みについては薬でどうとでもなるから大丈夫。大事なのは、自分で自分をコントロールしていくことなんだ。そのために、カウンセラーを紹介するからカウンセリングいていく中で、その方法を身に付けていってね。』
『双極性障害は"他の人よりも疲れやすい体質"なんだと思って。疲れないようにするにはどうしたらいいのかを理解するんだよ。』

診断されたことが、ショックだったけど、でもホッとしました。

この、辛いのはどうにかできるんだ。と感じれたのがその時は本当に嬉しかったです。

この日からあたしの双極性障害とのお付き合いが始まりました。

いい職場は更にいい職場だった


待合室で待ってくれていた上司にその話を伝え、その日から休職と言うことにしてくれました。

次の日に職場で、上司と専務と話をしました。

泣きながらも話をするあたしに二人ともとても優しく声掛けしてくれました。

早めに傷病手当がもらえるように、すぐに手続きもしてくれました。

なによりも嬉しかったのは二人の言葉でした。

上司は『良くなってきたら、調子が良い時にだけ顔出して、その回数が増えていくようにしていこう。』
専務も『申し訳ないから辞めるとかそんなことは考えなくていいよ。前向きな気持ちで辞めるなら止めないけど、病気のことを考えてのことなら、傷病手当は最長で一年半もらえるんだし、ゆっくりやって行こう。』

二人ともとても優しい言葉をかけてくれました。

双極性障害にはなってしまったけど、職場や人間関係にはとても恵まれました。

感謝の気持ちで一杯です。


診断を受けて1ヶ月


診断を受けてから1ヶ月が経ちました。

あたしは今も、休職しています。週に一度通院とカウンセリングをして様子を見ています。

薬を服用しているとは言え、感情や思考量は毎日違います。

色んなことができる日もあれば、寝て過ごす日もあります。

一日中泣きたくて仕方ない日もあります。

それでも、また仕事や趣味などで外出したいと思えるようになるまで、ゆっくり過ごすしかないと思っています。

この前に上司にまだ仕事に行けないことを伝えたら

そんなに早く戻れないことはわかってるよ。きっとあなたよりも、あたしたちの方があなたのことをわかってるよ。笑
人生で考えたら少しの時間なんだから、ゆっくりしたらいいよ。職場のみんなにも伝えてあるし、みんなで待ってるからゆっくりすごしてね。

と言われました。神様かな。

休職する前もあたしの仕事の負担をみんなで分担して軽くしてくれました。復帰できたらみんなにチョコレートをいっぱい買っていこうと思います。笑

家族の対応


あたしは実家で、祖母、母と3人で暮らしています。

家を出た姉が昔、うつ病だったこともあり、母はあたしの病気についてとても理解があります。

あたしも生活リズムが崩れないようには気を付けていますが、それ以外のことはなにも言ってきません。

話したくない時は返事をしなくても怒らないし、昼間は一緒にリビングであたしの好きなドラマを見て過ごします。一緒にドラマを楽しんでくれます。

なにもしたくない時は、部屋から出なくてもなにも言いません。

家族の理解が得られなかったらもっと大変だったでしょう。

家事も母がしてくれるので、うつ状態でなにもできなくても、どうにかなっています。

傷病手当は出ますが、金額はそんなに多くありません。でも、実家なので、母がフォローしてくれます。

病気になって仕事を休むことは、生活出来なくなる不安が付きまとうことですが、あたしは実家にするでいて、また、理解のある親で本当に良かったなと思っています。

職場復帰向けて


もう少ししたら少しずつ仕事に出てみたいなと思っています。

でも、それも病院の先生とカウンセラーさんと、家族に相談しながら進めていければなと。

薬とも相談をして。

会社からは傷病手当をもらっている間に、無給で週2日、1日2〜4時間くらいで働いてみたらどうかと言われているので、その感じで少しずつ進めていきます。

さいごに


病気になって感情に振り回されている毎日だけど、職場や家族、友だちの素晴らしさに改めて気付けました。

他の人よりも疲れやすい体質なら、疲れない範囲で楽しめばいいんですよね。

自分の病気と、自分の理想の生活と自分にできることを考えて少しずつ前に進んでいきたいと思います。

minami.

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