ルックバックの持つ心

 藤本タツキ先生の描かれたルックバック。タツキ先生は日常世界にファンタジーを組み込んだ作品が多く、特別な力を持たない2人の女の子を主軸に添えた作品は珍しいなと思いました。
 さて、ルックバックという言葉、この作品をふまえて意味を考えると、「過去を振り返る。」「背中を追う。」「背景を見る。」といった様々な解釈ができ、back の言葉が持つ意味の広さが心地良いですね。一つのフレーズに、様々な意味を持たせる物語を構成されていて、とても好きです。本記事では私が大好きなこの作品を紐解いていこうと思います。

ルックバックの持つ背景

 この作品は最初のコマに 「Don't」 が、最後のコマに 「In anger」 という言葉が隠れています。Oasisの名曲 「Don't Look Back In Anger」 をふまえて創られた作品であり、この曲は失恋ソングなのですが、マンチェスターテロ事件の追悼集会で合唱された事をきっかけに、アンセムとして広く知られるようになりました。
 ルックバックが公開される2年前、京アニのスタジオにて非常に痛ましい事件がありました。マンチェスターテロ事件へのアンセムとして「Don't Look Back In Anger」 があるように、京アニにおける事件への追悼として 「ルックバック」 が描かれていることがわかります。

背中を見て

 この物語は2人とも互いの背中を見ています。藤野は京本の持つ 「背景画の上手さ」 に憧れ、京本は藤野の持つ 「ストーリー構成の上手さ」 「人間を描く上手さ」 に憧れています。藤野と京本の描いた4コマ漫画を比較すると、純粋な絵の上手さは京本に軍配が上がりますが、京本の描く漫画は人間が出てこず (京本作「夏まつり」においては風景として人間が描かれていますが表情はありません。) 台詞もないためストーリーがありません。漫画家として優れている藤野に、画家として優れている京本。藤野は絵の練習をたくさんし、みるみる画力を上げていきます。また藤野は、とにかく描け!バカ!という言葉に従って描いてきましたが、京本の家を初めて訪れた際に自分が捨てたスケッチブックと、京本家の廊下に並べられた膨大なスケッチブックの量の違いに圧倒されています。努力の量においても藤野は京本の背中を見ていました。
 京本は藤野を漫画家として尊敬しています。もともと漫画が大好きな京本。「シャークキック」 のポスターを飾ったり、同じ巻を何冊も持っていたり、サインの描かれた半纏をいつまでも持っていたりと、京本が抱く藤野先生への愛が描写されています。京本は背景画の道に進みますが、京本作の 4コマ漫画「背中を見て」 を見ると、キャラクターに表情があり、起承転結がしっかりとしたストーリー構成がなされています。画風も藤野に似ており、漫画を描くときは藤野先生を師としていました。

後悔

 私が漫画を描いたせいで京本が死んでしまったと後悔をする藤野。4コマ漫画が扉を通して現実世界とIf の世界を繋ぐ描き方はタツキ先生らしくて美しい描写です。If の世界では何もかもがうまくいった話が展開されています。この世界には様々な解釈がありますが、この世界は 「藤野の想像する都合のいい妄想」 だと考えています。
 京本の部屋から流れてくる4コマ漫画 「背中を見て」を読み、部屋に入る藤野。京本からの問いかけに対し、楽しい思い出がよみがえり、 「シャークキック」 の11巻最後のページに涙を落とし、部屋から出て漫画を描くところで物語は終わります。台詞が一切なく、やや難解なシーンだと思います。藤野はなぜ「シャークキック」11巻を読んで泣いていたのでしょうか。
  藤野の 「なんで漫画を書いたんだろう」 という自問自答から展開されるIfの世界。幸せな世界線を想像することで、過去の自分を責めています。しかし、京本の描いた 「背中を見て」 を読んでから藤野の心情は変化していきます。

思い出を見て

  自らの描いた4コマ漫画と雰囲気がそっくりな 「背中を見て」 を読んだ時、藤野は京本が自分の背中を追っていた事に気づきます。部屋に残された漫画家藤野先生への愛。ドアにかけられたサイン入り半纏。このシーンは京本の眼を通して漫画家藤野キョウ自身の背中を見ています。
  背中を見た時に語りかける京本。「なんで漫画を描いているの?」 その直後、藤野は京本に漫画を見せた時の楽しい思い出がよみがえります。部屋に入った時は真っ暗だった空が、外に出る頃には地表がぼんやりと明るくなるくらいの長い時間をかけて、自らの描いた作品を初めから全て振り返るとともに、ひとつひとつの作品に残された京本との思い出に浸っていたのです。
  藤野は気づきます。京本が存在しなければ漫画を描き続けることなんてなかったことに。京本が藤野の背中を見続けてくれたから今の自分がいることに。京本との楽しくて素敵な思い出が、漫画を描くことへの問いに対する答えになっているのです。過去の自分を責めているときに流れなかった涙が溢れるのは、過去の自分が京本を、そして自分自身を紡いできて、その紡いだ思い出が綺麗なものだったからだと思うのです。

振り返らずに前だけを

 立ち上がった藤野は一切振り返ることなく歩を進め、漫画を描き始めます。だんだんと明るくなっていく空。過去を悔やむ時間は終わり、未来へ向かって藤野は歩き出します。最後のページではアップだった藤野の背中が小さくなり、窓には綺麗な背景が映し出されます。左下の冊子には 「In Anger」 の文字があり、斜線が引かれています。
 藤野の背中には影が落ち、前には明るい背景が広がるという描き方。振り替えってしまうと悲しい過去があるが、前方には明るい未来が広がっているのです。

ルックバック

 藤野の藤は藤本タツキからきているのではと思います。過去のインタビューを読むとタツキ先生は脳内連載が何本もあり、絵はまだまだ未熟だったと述べられています。藤野というキャラクターで自らの人生を振り返っていたのかもしれません。また、京本の京は京都アニメーションからきているとも思います。ストーリーを構成するというより、大量のイラストを描き続けるアニメーターという仕事は、京本に重なる部分があります。ルックバックが公開された日は、京アニスタジオにおける事件から約二年ほど経過しており、事件を忘れないで。という意味にもとらえることができます。
 タツキ先生がルックバックに込めた私たちへのメッセージは 「あの時こうしていなければなんて後悔しないで。 そうしたから素敵な思い出があって、今のあなたがいるんだよ。」 というものであるのかなと思いました。どんなにつらい過去を背負っても、藤野のように前を向いて歩んでいきたいですね。

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