「魅惑の太陽」レスリー・ブランコ

The Best American Short Stories 2022
“A Ravishing Sun" by Leslie Blanco  ニュー・レターズより
https://www.newletters.org/a-ravishing-sun-by-leslie-blanco/

光、それが私が覚えている事だ。  喜び。
フェンスに沿って生い茂るスイカズラ、小さな真珠の縫い込んであるドレス、ブドウ畑、赤ん坊の肌のように新鮮なザビエルと私。
ロングアイランドの結婚式だ。
私たちはとても輝いていたので花嫁の祖母は私たちはその場で結婚するべきだと言った。

 そして次の朝、曲がりくねった道に:見通しの悪いカーブからバイクが現れた。

 私の中では、肌に沿って這えた羽根の様に容易にわたるほどに、変化していた。
認識の、レンズに映った変化。
そして一瞬の知覚―永遠に同じ物はないだろうという、一生続く近く知覚。 

 正面から。

 そのバイクはその前のフェンダーを叩き、それ以上でもなく、その後それ自身を空中に、まるで一匹のサソリがガラスの中に閉じ込められているように、浮遊した。
あの明るいネオンの球は、まるで盗んだ車で走り立ちたように、スタントのように飛び上がる。
ストーン、ロケットのように跳ね、特撮の様に。
私は理解したくない。
ライダーはマシンから離される。
ミサイルは、人は、私たちの方に飛んでくる。
屋根が壊れる。

フロントガラスが爆発する。

 スローモーションの部分なのか?
 しみ出してくるような感覚。

 くるくると回る回転。

 シャワーの様に降り注ぐガラスの破片。

 私の心は静寂になる。

静寂の海が心に満ちる。
それは平和に満ちている。
そう言う事がバカげているとは分かっている。
しかしそれは平和なのだ。
呼吸。
私の息。

 私のマミキュアを塗った足のつま先にはガラスの破片があった。
私が目を上げると、ザビエルの目には血が溜まっていた。
ザビエルの顔の下にも血が細流となって流れていた。
ザビエル。
ちょっと救世主のような名前だ。
口の中で言ってみるとちょっと幸せにな気持ちになれそうな名前だ。
結婚しなさい、と花嫁の祖母は言った。
私を自分の悲惨な状態から連れ出しなさい。
あなたたち2人は私にもう一度18歳になりたいと思わせてくれる。

 しかし、ザビエルと私は18歳ではない。
私たちのものは試みの愛の行為とその繰り返しなのだ。
そして何か肉の様な色の塊が彼のシャツの前面に散らばっている。

 私たちは人間の脳の破片をの見分け方を知るべきではない、私たちのではない。

 ザビの?

 彼は死んでいない。
彼の唇は動いている。
彼は私に聞こえない、理解できない言葉をしゃべっている。
そして私はその後、彼のシャツに跳ね跳んでいるものは彼自身のものではないことが分かる。

 遅れて起きる恐怖。
車が炎上するという恐怖。
まだらな日差しの中。
絵のように美しい木々の下で。
突然何かしなければ、と言う衝動。

 私はドアを開ける。

 太陽の光。
空中に漂う花びら。

 私はバイクを探す、そのボディーを探す。
私は足元以外の全ての場所を見る。
足元は。
その時までには、人々が動き回っていて、彼に近づくのを怖がっている。
私にではない。
私は彼に触れる。
私は彼に話しかける。
私は彼の魂が去って行くのを見る。
私はそれを見る。
S字の様に立ち上がり、魚のようにそのしっぽを振って、願い、切望するように。
その後、静寂の中の感覚でスーッと音も立てず素早い動きで、全ての方向に素早く、全ての木々に触れながら、全ての分子に、全ての空の一滴に触れながら。

 爽快だ。

 私が見ているものを理解するまでは。

その後、黒い蠅の群れ、腐肉の悪臭、その重さ ― 丸石 ― そのアスファルトに私の所に落ちてきて、私をそこに止付ける、その物語の上に。
何年間も。

狂気は最初は何も意味もないようなものとして現れる小さなこぼれ落ちた詳細、些細なことから始まる。
私はそれが起きる時でさえ分かっている。
救急治療室で、既に、物質は以前とは異なっている。
自動販売機は既にその非現実的な空気を有している。
蛍光灯の光は芝居掛かっているように感じられ、世界は凍り付いたようで、脆くなり、まるで私が今にも床を突き破って落ちてしまうかもしれないようなのだ。
既に、ポテトチップスと古くなったナッツを見つめながら、私はここ数か月考えたことが無いようなやり方でフィリップの事を考えている。
フィリップと絶望。
フィリップと彼の予後。
暗く艶やかなカールした髪をしている。
警戒心の強い、従順な表情。
彼が借りものではなく買おうと言い張った、私たちのクローゼットの中の結婚式用のタキシード。
 
私は自動販売機では何も買わない。
私はそれを見るだけでいいのだ。
私は壊れやすい床を敢えて通って、色あせた海泡石の色のカーテンの後ろから、PA(医師の監督の下に医療行為に従事する者、日本にはその制度はない)がダートデビル(電気掃除機の商標名)でザビエルの体からガラスを吸い取り、彼の額の切り傷を4、前腕をもう8針縫合する。
12針だ。
不可能だ、たった12針でさえ。
私は自分で縫合手術をしたことは決してないかのように見ている。
私はあらゆる要件を満たし、卒業証書や免許証をを持っているが、二度と病院の休憩室に自発的に入るつもりはない、医者だとは言わない。
その半年前、ザビエルに会った時、私は全てを後ろに置いてきてしまった。
2週間で私たちは一緒に住むことになる。
私はもう6年の学校に入学したのだ。
私が最初からやりたかったことをするために。

その代わりに、バイク事故の直前の瞬間を思い出している。
笑いながら。
「多分ダムの後ろでちょっと車を止めるべきだ。」
私の両親の場所では別々の寝室で寝なければならないことになるだろう。
「キューバ人」と言い、私は肩をすくめる。
「カトリック教徒」と言い、彼は肩をすくめる。
先の見えないカーブ。
潜在的な死亡率のカタログを知る瞬間:致死率、内出血、脳損傷、末梢神経障害、日和見感染症、切断手術、麻痺。
フィリップは正にそこにいる、見えない。
沈んでゆく感覚、一つの考えでさえもない。
私は彼を押しのける。
私は、死んだ男のヘルメットが全ての目に見える損傷を曖昧にさせ、バイザーを上げ、歩道の上で彼がまるで昼寝をするために横になっているかのように彼の頭は休んでいたことを思いだす。
私は蛍光色の緑色と赤の2つの平行な流れが丘を下っているのを思い出す。
私は彼の見開いた眼、彼の日に焼けた肌、彼にささやきかけた時のことを思い出す。
「すべて大丈夫よ。救急車が来ているわ。
あの人たちは素晴らしい訓練された人たちよ。私はその事を事実として知って知っているわ。」

 それはとてもばかげたことだ。
私は死体を解剖した経験がある。
私が輪番で勤務していた病院では、人々があちこちで死んだが、私はそれを見た事はなかったのだ。
そのS字型が昇ってゆく様を。
全知全能のように世界を満たす最後の呼気。

私の母がどうしようもないパニックに襲われながらも救急処置室に到着する。

 私の父は全然来ない。
私は二重自動ドアの外の駐車場で彼の電話呼び出しを受け取った。
彼は私が大丈夫かどうか尋ねない。
彼が私に質問する一連の質問は尋問の様だ。

「誰が運転していたんだ?」

 「なぜおまえは彼に運転させたんだ?」

「スピード違反はしていたのか?」

私が私たちに掛けられたすべての疑いを晴らすような説明をした時でさえ、彼に警察はそのバイクが25km/hのところを70km/hだったと推定していると言った時でさえ、私たちの側にはブレーキ痕が付いていて、バイクの方にはブレーキ痕が全然ない事を言った後でさえ彼は満足しない。
彼は黙り込むが関心を示さず、彼は私の助けになるようなことは何も言わない。

 「また連絡してくれ、」と言い、彼は電話を切る。

 その夜、私はザビエルの部屋に忍び込み私の両親の客間に寝ている彼をじっと見つめる。
手足はすべてそろっている。
醜い外観はない。生きている。

 私は服を脱ぐ。
私は彼の上の乗って彼を起こし私の手をそっと彼の口に置く。
彼は眼を開けて驚きそれから不安になり、そのあと嬉しそうだ。
それに駆り立てているのは欲望ではない。
私は眼を覚ましたいのだ。
その空白の心から ― 屋根が崩壊し、フロントガラスが爆発する ― あの、もはや平和だとは感じられない、消耗するような海から。
私にはそれ以外のどんな言い方も持っていないのだ。
私は自分の体の中にはいず、私は帰りたい。

 しかしそれは旨くいかないのだ。

私はどんな車にも乗りたくない、たとえ駐車している車にさえ。
恐怖。
抵抗感。
金属と点火プラグとリクライニングシートから発せられる放射性の輝きのようなものだ。

 ロアー・イーストサイドの賃貸契約は終了し、新しい賃貸契約はあと1週間は始まらないので、両親の家に泊まらなければならず、私たちが出て行くとすれば、私達がドライブしなければならない道の上にはへたくそに拭き取られた路上で跳ねられて死んだ死体の血のシミがある。
それは彼の頭だった。
それは手を伸ばしている私の手であり2つの平行な流れが丘を下っている。
:その車、そのバイクの運転手、血を流している。

 私自身の肌の中で、私は単にベッドで快適で、静かに布に包まれている。

 私の母がスリッパをバタバタさせてやって来る。
彼女は私と一緒にミサに行きたがっている。
祈り。
私の最初の聖体拝領の為のローズウッドのロザリオを出してください。
彼女はなぜ私が布団の中から出てこれないのか、なぜ私が起き上がってもまた中に入ってしまうのかは理解できない。

ザビエルは彼が今まで一度もあった事のない牧師と話すために街に行く。
彼が帰って来る時、彼の眼から曇った表情はなくなっている。
それは私にとっては間違っているようだ。
フリップ。
しかしその後、それを私に向け、その事の責めは自分にあると思った。
ザビエルはそのS字を、バイクの運転者の顔の上に掛けられた布を見なかったのだから。
彼は告げられなければならなかった。
救急車の中に車付きのストレッチャーに吊り下げられて、彼は泣きだして、泣き止まなかった。
私は一滴の涙も落とすことはできない。
じゃあ、私たちのどちらが異常なの?

 現実的には、全てが将来の希望に満ち、ザビエルはコーヒーを淹れ、ガムテープを買い、ユーホール(貸倉庫)を借りる。
彼は私のベッドに座っている。
彼は水滴が海の上で跳ね上がり、戻って行く夢を見たと私に言う。
「バイクの運転手は家に帰っているんだ、ルーシー、それだけの事さ、それが私たち全員に起こった事さ。」
一瞬私はこの考えの彼が嫌いになった、この極端な単純化を。
私は彼に天に届くS字について言わない。
今度も、又しても。
S字。
空、呼吸の天蓋。
それとも、太陽で暑くなったアスファルトの上で彼の手を取って、偽りを囁きながら、彼の魂をつなぎとめようとしたものだと後で私は理解したのだが。

事故から5日後、私が目を覚まして起き上がろうと力を振り絞ることができる前にめそめそ泣き始めると、私に母が走って部屋に入って来て、私を一度見て、お父さんに大きな声で言った ― 「彼女が泣いているわ!」 ― まるで彼女にはそんなことが当然の結果として起こった事に対処する資格が全くないかのように。

 私の父がやって来る。
彼は緊張した様子で私の手を取り、私にそれはショックだ、それは過ぎ去るだろう、そして最後に、私が3秒間自分自身を取り戻すことができなければ、彼は何時も彼がやっている事をやる:
彼はキレるのだ。
「これをお前の目覚ましの声だと考えるんだ、ルーシー、宇宙はお前にお前の人生をちゃんと秩序立ててやるように言っているんだ。」と、彼は言う。

 お父さんはなんてことを言っているの?、と、私は彼に尋ねる。

 しかし私は彼が言っている事をわかっている。
彼は私に退行してほしいのだ。
私の夫に。
私のキャリアに。
社会的に許容された悲惨さに対して。

「学者か?」と、私の父は言った。
「学者?それってどういう意味?
あなたは歴史家にそれを変えようとしているの?
歴史家、ってどういう意味?
本当の所、彼らはあなたに代償に何を与えるの?」
彼は彼が宇宙について何も聞いたことが無いように振舞っている。
彼は一度も歴史書を読んでいないかのように。
ドキュメンタリーを見たことが無いかのように。
「お前は俺が医学校にいくらお金を払ったか考えたことがあるか?
お前は医者なんだ。聞いているか?医者だよ。」
そして彼は毎回―医者にではなく―ザビエルに挨拶するたびに、まるでザビエルが侵入者、私が道端で拾った浮浪者ででもあるかのように、しかめっ面をして彼を上から下まで見た。

 「これがあなたのモーニング・コールです。」

 疲れ、怒りも喜びもなく、私の姉妹の言葉が私の頭の中で木霊する。
「もしあなたが反抗するつもりならキューバの歴史よりもっとワクワクするものを何か取り上げることはできなかったの、全く?ストリッパーになるとか?」
私の姉妹も医者だ。
医者以外の何物と結婚できたって言うの。

両親の家の部屋の、私のベッドの向こう側の散らかった整理箪笥の上には私の全ての高校時代に夢中になっていたもの ― 白雪姫と悪い魔女の白黒のスケッチ、バレエをしているつま先立ちをしている等身大の写真、キューバのビニャーレス渓谷のパノラマ写真 ― が未だに壁に貼ってあり、私が時期尚早にもかかわらず興奮のあまり買った教科書の山が見える。
キューバ:改革と革命の間。
キューバ革命: 起源、過程、そして遺産。
失われたリンゴ(子供たちの主要な荷降ろし場所の 1 つであるフロリダ市キャンプ内でのロベルトと他の 2 人の幼い子供たちの生活を追った(約)30 分の短編映画):ピーターパン作戦(CIAによる作戦の暗号名で、1960年12月末から62年にかけて、延べ1万4千人のキューバの子供たち(5~18歳)がマイアミに送られた)アメリカにいるキューバの子供たちと、よりよい未来の約束。
私の父が私の部屋を去る時までには、反抗的な感情が少しずつ私の中に芽生え始めているにもかかわらず、その本たちは衝動的な小さな女の子の勢いに任せた買い物の様な、裏切者のように見える。
それとも、ザビエルという人物に不当に影響された少女の衝動買いかもしれない。

おそらくザビエルと知り合ってから 3 週間目、私が彼のアパートに夕食に現れたとき、彼はバリの腰巻だけを付けて玄関で私を出迎えてくれた。
ライトは消えていた。
ロウソクがかがり火のようにすべての表面を照らしていた。
彼は大音量でオペラをながしていて、全ての場所で彼が料理していたカレーの匂いがしていた。
たぶん、この事は、他の誰か、もっとヒッピーでボヘミアンなニューヨーカーには何の印象も与えなかっただろうが、私の順応主義的で移民的な人生では、今まで一度も彼のような抑制のきかない自己表現のレベルに近づくものを経験したことはなかった。

 彼は私を怖がらせた。
彼は灯火が羽のある昆虫を引き寄せるように私を引き寄せた。
人生で利用できるものは何でもつかみ取るという、思いがけない無限の情熱。
彼は無謀な溢れんばかりの楽観主義者で、全てのものに興味を持ち、レストランで隣のテーブブルやバーにいる旅行者とは5分間で良い友人になるような、又どんなラクダで通りかかった遊牧民にも自分のソファを差し出しそうな男だった。
彼は4回友好的に私に決別を告げた、一度はヴァレンタイン・デイに、それとその時は私の別居が早すぎたと確信した時、それと彼の婚約破棄の後、それと、私が二度と法的に結婚するつもりはないわ、という意味のことを言ったときだった。
そのたびごとに彼は次の日に羊のようにおとなしく帰って来た。

 私も一度彼に同じ理由で別れようと言った。

 それは苛立たしいことだった。
押したり引いたりすること、「偉大な正直さの実験」、私の友人はそう呼んでいたのだが、。
彼女と私はよく彼女の居間で解釈のダンスをしたものだ。
:イソギンチャク ― とても美しく、露出している、小さな魚を誘惑しようとして ― 真剣な訪問者の最初の気配で、急いで閉じ、逆効果なことに、神経質に閉じて、次の餌が確実なものとなる前でさえ閉じてしまう。

 だから、ザビエルと私が本格的に挑戦してみようと決心した時、私は私の父を本当に非難することはできなかった。
私は非難したのだが。

 私たち、ザビエルと私、は始めから2匹の黒い羊だった、私たちの上にいるカラスたちは賢い兄たちの様に、雪を蹴り落としながら笑っていた。

私はザビエルのエネルギーと交信しようとしている。
階下の家の前庭で彼は手織りの敷物を干し、持って行くものと物置に入れるものを分けている。
私の2番目のチャンスだ。
私はS字が上がって行くことについて考える。
私は血の流れが水の様に坂道を下って行くことについて考える。
私の父は既にそれを指摘しようと考えたことがある。
「ルーシー、お前が死んだんじゃない。お前は大丈夫だ。その考えから出るんだ。」

 私はS字について父に話している時のことは覚えていない。
何処で?
救急救命室の引き戸の外の駐車場だったかしら?
それとも私たちが家に帰って来て、開いた玄関ドアの長方形の枠の中に、彼の顔が厳しい表情で心配そうに映った時だっただろうか?
私は彼が言った事だけを覚えている。
「それは起こらなかったのだ。
それは単にお前の脳が起こしている事なんだ。」

 魂が体から離れるように、しみ出してくる。

 呼吸。

 私の呼吸。

 私はカルマや運命やそんな風なものを信じてはいないが、私は自分のフロントガラスに向かってバイクの運転手が頭から飛び込んできたことについて誰にも話さない事がある。
彼は私がまだ完全に別れてはいない夫に似ていた。
そう、フィリップだ。医者の。
聖者だ。
同じ色合い、同じ小柄な体格、同じファッションへの無関心。
つまり、ブランド名の付いていないジーンズや、中学生のときに母親が一番安かったから買ってくれたようなスニーカーのことだ。
フィリップ。
彼は離婚を望まなかった。
彼は泣き、懇願し、訴えた。
彼の黒い巻き毛の髪は出会った頃は長く手入れされていなかったが、年を追うごとに頭皮に近づくように切られて行った。
彼は忠実で従順だった。
そして結局、行き詰まり、トボトボと、一歩また一歩と、行進させられる男の様に歩いたのだった。
どういうわけか、彼の言葉は、フィリップスの言葉と、バイク乗りの言葉が合体して、最後の言葉になってしまった。
バイク乗りの入れ墨を入れた手首が、歩道の上に弱い方の面を上にして ― それはフィリップスのではない、フィリップスのではない ― 私は自分にその事を言い続ける ― それが私の胸に突き刺さる、それは私の罪悪感を噴火させる触媒であり可燃物なのだ。

私はザビエルに私の全てのものをユーホール(貸倉庫)に詰めさせる。
私はその中に乗り込み州北部に向かった、体を硬直させ、恐怖を感じながら、それはまるで移動する棺桶に乗っているようだった。
私は荷を解く。
私は他の学生たちと、教授たちと、会い、四角い広場の芝生の上で酒を飲む。
私は授業を始める。

 私は何処に行っても、そこには半分しかいない。
それはまるで自分が自分自身の一歩後ろに立って見つめているようだ。
まるで全ての事が誰か他の人に起こっている事の様だ。
遂に私が本を開いたときには、私の胃はまるで毒を飲んだようにかく乱される。
私の頭はドキドキ脈打ち始める。
視覚がぼやける。

 「自分の生活を整えるんだ。」

しかし私はフィリップの求めに応じて彼に時間を与えた。
余りに長い時間を。それと言葉を。
そしてベージュ色の肘掛椅子のある物静かなセラピストのオフィス。

 私の結婚の失敗には非難すべき多くの事があるが、私は医学校を非難する。
その押しつぶすようなプレッシャー、私たち二人に倍増する圧倒的なプレッシャー、勉強のために失われた睡眠時間、自然な好奇心をすべて消し去る膨大な量の情報。
一つの致命的な間違いを犯す怖れ ― 恐怖 ― 。
毎日、楽観的な傾向は過去のものとなっていった。
ゆっくりと世界から感嘆や美しさが消えて行き、病気だけが最後に残った。
そしてその後:大人になった。
いたずらの心なんて、もはやない。
閉館後の室内プールで私たちのオリーブ色の肌を輝かせて、|裸で泳ぐ行為<スキニー・ディッピング>も、もはやなかった。
太陽の下での気怠い午後もなかった。
ビーチも。ジョークも。
彼の地中海的な表情の上に浮かぶ笑顔はゆっくりと不眠症のしかめっ面に取って代わり、彼のやせた、日に焼けた両腕はほとんど灰色になあるまで褪せて行った。
私はそれらすべてが必ずしもそうなるとは限らないと知ってはいたが、それは私たちの間ではそうなった。

 そして今は病院にいる、外来診療所、個人診療所、壁が私を閉じ込め、空気はまるでシアン化水素に置き換えられたようだった。
私は外にいて、生きている人々と一緒にいたいのだ。
廃品業者や罪人たちと一緒に。ザビエルとともに。

ザビエルはフリーランスのジャーナリストだ。
彼は、自分が訪れたい異国風の場所に応じて彼の話を取り上げて、好きなようにたくさん、好きなだけ少しだけ仕事をする。
ドバイ、チベット、カザフスタン、地球上で最も乾燥した場所、タクラマカン砂漠、それは「行ったものは出ない」と言う名前を持っている。

 彼には行くべき仕事場が無い。
彼がいなければ死んでしまう患者もいない。
ほとんどどんな義務もない。
私はそこに魅かれたのだ。

 しかしザビエルは突然、 ― 彼がやる事や、やらない事には関係なく ― 無責任に思え、道徳的本質か経済的慎重さに欠けているように思えた。

 私たちが新しく借りた家で、ある夜、ザビエルは私にワインを注いで、キラキラした眼差しで私を観察する。
彼は全てを知りたいのだ。
私が何を読んでいるのか。
私が教授たちを好きかどうか。
私が他の生徒たちと友達になれると思っているか。
私は芝居を演じるが、しばらくして彼は尋ねなければならない。

「大丈夫かい?」

「だいじょうぶよ、ちょっと頭が痛いだけ。」

「また?」

「そうなの。」
私は笑おうとする。
「早めに寝ようと思うの。」
そして私は立ち上がる。

 それは車の事故ばかりではない。
S字の事。
離婚の事。
転職の事。
転居の事。
私の両親は私に話しかけない、と言うのは私が彼が私に言った事で大声を上げて叫んだからだ。
― 「お前の生活を秩序あるものにするんだ」 
― さもなければ、私は彼らに話しかけていない 
― と言うのは、彼がそれを言ったからで、彼が何時もそれを言うから
― そして私は実の所、読書などしていない。

本物のバイクも、私が私の視界の外の曲がり角から私に向かって突進してくると想像しているだけのバイク同様、どんなバイクを見ても、私の呼吸は速くなる。
私の生活はホラー映画のように感じられ始め、私の体はその起こるだろう悪い事に備え、― 何時も硬直していたが ―硬直した。
それはリラックスできない。
警戒を解くことができない。

私は校内にある精神健康サービスに行く。
私は彼らの勧めで瞑想をする。
一週間、時には2週間はそれは空が晴れたような感じだ。
私は読書をし、興奮と好奇心が私を引っ張っているのを感じる。
そしてその後、誰かが歩道にこぼした緑色の雪解けの跡が体液ではないと自分自身に納得させられなくなる。
そして、スペイン革の椅子やロマンスと偽りの神秘にあふれた暗いワインバーで、バーテンダーが私に血液の|杯<ゴブレット>を注いでいるわけではないと、自分自身に納得させられなくなる。

 「すべて大丈夫なのか?」ザビエルの手が私の腕に触れる。

 私は冷気を吸うために、酔いを醒ましに、外に行かなければならない、冷たい空気が胸に入って来る時にはほとんど攻撃的にさえ感じられる。

 一台の車が駐車場に止まっていてエンジンをふかして、出遅れた少年がスケートボードで飛び出して行き、ただ乗りしようと車のバンパーを掴む。
私は彼が歩道にたたきつけられ、2つの平行な流れが彼の頭の下から流れ出るのが視覚化でき、私は自分の膝の間に頭を突っ込んで、冷たいコンクリートの上に座り込まなければならないのだ。
私は自分の呼吸に集中しなければならない。
私の心が私たちを箱に入れることに成功するまで:それは死に触れたことのない少年、死に触れる事のできない女性だ。

 それがこうなるのだ:

 私はもはや眠れない。

正常などんな方法ででも。

吐き気が止まらない。
その悲しみ。
その恐れ。

そのS字。
刺青のある腰。

 私の頭皮は私の頭蓋骨の周りで万力の様に締め付ける。
しかしそれは私の頭だけではなく、私の目の奥の焼けつくようなズキズキ感、視覚はぼやけ遠近感が無く、知覚もない。
その痛みは私の背骨にまとわりつき、私の胃に届き、どこまで行っても終わらない。

CTスキャン(computerized axial tomography)、血液検査、抗不安薬の複合投与。
これらの検査の反対側(被験者側)に立つのは屈辱的なことだ。

 私はしぶしぶクスリを飲み ― これは失敗を認めていると言う事だが ― そのどれも上手くゆかない。
ニューロンチン(抗痙攣薬)は私をそのような霧の中に留め、八百屋の棚からナスを選んで取ることさえできなくする。
フレクセリル(筋弛緩薬)、ソマ(筋骨格の痛みに使用される中枢性筋弛緩薬)、スケラキシン(筋弛緩薬)、バクロフェン(種々の疾患による痙縮に対して用いられる) ― 筋肉弛緩薬 ― 実質的に眠り続けるが、実際には眠れない。
そして癲癇薬、FDA認可外の群発性頭痛用の、偏頭痛用の、説明のつかない視力の変化用の薬。
私は眠れないで毎回18時間も寝る。
治療は病気よりも悪く、全然治療になっていない。
精神医学の流行語が私の診察の特徴である。
身体的不調。
副腎由来の時間。
拍子を変えた時間と共に存在する記憶。
現実から隔離されて保存されている記憶。
まるで未来に対する保証の為であるかのように繰り返し予習される思い出。
理論 ― 循環して際限なく回転する理論 ― は全然役に立たない。

 その間、全てが喧噪であり、眩暈がして、吐き気がし、頭がズキズキし、5日間、10日間はベッドから出られず、その後一週間は少しは良く、その後再び症状が始まる。

 車の事故以後、救急治療室では彼らが経験したような怪我は見ていない。
彼らに見える怪我は全くないのだ。

世界は混乱してゆく。
私が朝起きると、ザビエルが家にいるのか、それとも仕事で出かけているのか思い出せない。
自分の電話番号や私が繋いでもらおうとしている教授の内線番号を思い出せない日もある。
表現が思い出せない。
語順。単語。
今起こったことが、前にもまったく同じように起こったということを、感じても思い出せないときの言葉。

 ある日などは、ザビエルがベッドで私の横に座って私の頭を撫でていて、結婚式の時の祖母がやってくれたその事を考えている。
励ましでも、検証でもなく、彼女の乾杯の時のあいさつ、彼女の助言。
「お互いに礼儀正しく接しなさい。毎日が今日の様に楽しい日々とは限りませんよ。」

 冬が鏡のようにやって来る。
大きな灰色の雲がどんよりと圧し掛かっている。
絶対に止まない雪。
まるで洞窟にいるかのように私を家に引き戻す突風。

 ある日、ザビエルが私に厚着をさせてオンタリオ湖にドライブに連れて行ってくれる。
私のブーツと手袋には足温器、私のカリブ海風の顔だけが露出している。
彼は森の小径を連れて降りて、砂浜に出る。
彼は水辺まで走り、水の上を歩く。
彼は波のてっぺんに立つ。
「美しくないか?」と、彼はにこにこ笑って言う。
「全部凍っているんだぜ!」

 全部凍っている。

 私は叫ぶことができない。
私は息をすることができない。

539 自殺車線スーサイド・レーン、支援団体の誰かがそう呼んでいる。

 それは考えられているよりもっと一般的なことなのだ。
外の通りを歩いている誰かに、彼らがこんな時間を、こんな一年間を、過ごしたことがあるか聞いてごらんなさい。
そう。
どうすればいいのか考えながら、無為に。
それとも、通りの真ん中でバスが来ることを願って。

 ザビエルはお金のことを心配しているが、私は気付かない。
ザビエルはバイク乗りの事、結婚式が中止になった事、彼自身の家族が彼を拒否したことを悲しむが、私は気付かない。
ザビエルはパニックを感じ、それを楽観主義とその事実を受け入れない事で覆い隠し、不満を感じ、閉塞感を感じている。
私は気付いていない。
そして、彼が言う全ての陽気な事がまるで磁石の反対側の極の様に私を反発させる。

 彼は私にタロット占いを紹介してくれ、私はカードの束から何度も何度もカードを引く:
塔、典型的な塔、火の中で、倒壊、そして人が飛び上がる、薄い空気の中に。

 私は自分が誰なのか分からない。

 インドでは、人々はこの状態を悟りの前日に状態と言う。
北部では ― 想像できるだろうが ― 彼らは私のもっと小さな、効果のない気晴らしの処方箋を与えてくれる。

 しかし、それは539自殺車線ではないのだ。
実のところ。
それはそうでありうるかもしれない一つに過ぎない車線をただ見降ろしているだけなのだ。
そしてその慰めになる、そう、慰められる、考え:プランCだ。

 ザビエルは、その頃には家庭的で、シャツも付けず空色のパジャマのズボンを着て、私を慰める事も有ったが、私は彼に言わなかったが、彼はフィリップが決してやらなかったようなことをやるのだ。
彼はいなくなる。
彼は私たちがが引っ越してきた僻地から、休養が必要だと言う。
休暇だ。
ウエストビレッジの友人のアパートの屋根裏部屋での一か月の休暇だ。
彼は旅立つ。
彼は私を置いて去って行く。

 そして私は彼を憎む。
徹底的に憎む。

ザビエルは、私が彼を訪ねると言うと、夕食会を開く。
白ワイン、ローストチキン、原種のポテトフィンガリング・ポテト、ソテーしたほうれん草、そして彼の特製のフライパンで揚げたリゾットケーキ。
私はフィリップと出会って10日後にザビエルのもとを去り、ザビエルはその9日後に結婚式を取りやめた、彼が全観衆の前で大声で言う話だ。
私は、正にその再話自体が起訴されるべき侮辱のように感じられる。
その後に続く笑い声は過度に私には無礼だと思える。
世界は全員が黒い服を着るべきなのだ。
私たちはみんな、地下に街を作るべきなのだ。

 私の頭はまたしても。
何が悪いのだろうか?
私には医学的な答えが無い。
これは私がキューバ人だから起こっている事なのだ、と考え始めた。
これは移民の問題なのだ。
難民である事。

 何故なら、このすべての事で、ザビエルは私と反対なのだ。
希望的。
吐き気がするほど積極的。
青い目、色白、とても金髪なので、彼が眠っている時など、小さな子供、疲れて最後には眠ってしまった天使のように見えるのだ。
明らかに、ザビエルはキューバ人ではない。
私には私の中のキューバ人とどう付き合えばいいのかが分からない。
昼も夜も、まるで父と私のように角を突き合わせ、父への腹いせに民主党に投票し、コーヒーの銘柄で喧嘩をし、怒鳴り散らし、離婚を脅し、私には買えないプレゼントで償い、キューバで反体制派が処刑されるたびにユニビジョン(スペイン語のテレビネットワーク)の前で無言のまま手を握る。

「僕と踊って、ルーシー」と、ザビエルが小さな屋根裏部屋で言う。
誰かがジャズの曲のラジオをつけていてザビエルは踊り方を知っていた。
私は頭痛のことを言いたくはなかった。
最後に私は冗談のふりをして、この場所はダンスするには狭すぎるわと言う。

 皆がいなくなって騒音と言えば窓を超えて入って来る町の騒音だけになった時、私は一緒にシャワーを浴びようよ、と言うザビエルの誘いを断る。
私は彼の友人のロフトベッドに登る。
私は小さな窪みに入り込んで背中を壁に押し付けてめそめそと泣く。
理由もなく。
ちゃんとした理由もなく。
これがザビエルとの生活なの?
絶え間ないパーティーで泣くことが?
生き残った者、運転さえもしていなかったのに、続けることができない、何故だか分からない、それは無能なのだろうか?

私の父はピッグス湾事件(米CIAによるキューバ侵攻)の間、彼と彼の両親が数百人の反革命分子と疑われていた人々と共に、ハバナの学校の講堂に閉じ込められ、15歳の子供たちによって銃を突きつけられていた事は決して私に話さなかった。
また、彼の父が彼の職場の机の家に共産主義者のプレートを置くことを拒否したために牢獄で苦しめられていた事も。
また、彼のお母さんが、秘密警察が通りの向こう側に本部を作った時、気が狂い始めたことも。
私の母は、私が歴史の本を読み始めた後、私に言った。
しかし私は彼女が私に話す前でさえ知っていた。
父の自分の体の保持の仕方、書類の整理整頓の仕方、進歩という概念に固く固執し、決して後ろを振り向かない様子から、私はそれを知っていた。
「君は進歩をゆるめる事はできない、」と、彼は私に何度も言っていた。
「君は動き続けなければいけないんだ。前進しなければならないのだ。成功しなければならない。」
そして夜には彼は強い警戒の表情を浮かべながらニュースチャンネルをサーフィンする。
まるで顔の表情から、欺瞞、災害、情報を読み取るかのように。

幼少期に虐待を受けると、言葉であれ何であれ、このような傾向が強くなるとセラピストは言う。
繊細な気質。
あらゆる種類のトラウマ。
爆発、確かに。
又は初期の恐怖。
それとも長い期間続くストレス。
一貫した不安感。

遺伝が関係している。
性格の傾向、何を重要とするかの順番。

 しかし別の種類の遺伝も、それが私の理論だ。
パニックは、子供にとって、親からの接触、近くにいることで引き継がれうる。
破壊的な思考もまたそうだ。
脅威、トラウマ、機能不全のパターン。
DNAに折り込まれたもの。

 そして、短期間に ―  離婚、転職、家族間の確執、実際の又は心理的な暴力 ― などの心的外傷性の重なった状態をとり、脳は個人的な、先祖から伝わる苦痛の莫大な点と繋がるのだ。

 その経過は予測可能だ:
軽度のまたは極度の外出嫌い、大地の上を裸足で歩きたがり、逃げ道が簡単にわかる場所に動物の様に隠れる。

ザビエルは衝動的に動く人だ、私はその事を知っている。
そうでなければ、彼は9日後に自分の結婚式を中止しはしなかっただろう。
私を知って、一週間足らずの後に。
正確には、私のためにではない。
しかし私が原因で、そう、それはほぼ間違いない。

 衝動的。
信頼できない。
手段が限られていて、一貫性がない。
ザビエル。

しかし親切でもある。

彼が街中の休暇から帰り、何日も食事もとらずにベッドの上で丸くなっている私を見つけると、彼は憤りや苛立ちを消し去り、私のそばに潜り込んでくる。
彼は彼の肩で私に泣かせてくれる。
彼は私の髪をそっと叩き、彼の広い胸に私を抱く。
「最悪の時は終わったんだよ、ルーシー、ルー。」と、彼は優しく言う。
「君は自分の両脚を見つけようとしているんだ。
君は毎日新しい大地を見つけようとしているんだ。
君がどれ程勇敢にやって来たかを見てごらん。
世の中の半分は、リスクを取って何か違う事をやることを恐れている。
世の中の半分はむしろ悲惨さの中で生きているだろう。
さもなければ何かを吹き飛ばす。
今は全てのことは大丈夫です。」

今は全ての事が大丈夫。

救急車は駆けつけている。

あれらの人々は素晴らしい訓練を受けている人だから。

私は神経科医の所に行く。
もう一度。
又しても。
彼は見下すような態度を取っている。
彼は私を心身症患者のように扱う。
気がふれた人の様に。

 私は狂人だ。
私は生きている人と一緒にいたいと言いながら、死人の観察に自分の時間を使っている。
私は危険を冒したいと言いながら ― この瞬間を大切にしろカルペ・ディエム ― 図書館に行こうとさえしない。

 私は、認めてはいないが、秘かに、これはすべてザビエルのせいだと信じている。
もしザビエルがいなければ、私は医学と決別しなかっただろうし、両親を悲しませなかっただろうし、フィリップを捨てなかっただろ。
私は決してこのめちゃくちゃな世界が私にとって安全な世界になるとは敢えて考えなかっただろう。
あの正気の人々 ― 成熟しきった大人 ― は幸せになる権利がある。
私は決してエクスタシーに触れることもなかっただろう。
躁うつ病患者の様に。
バカみたいに。

 非常に多くの種類の規制物質、麻痺させる物質。
毒で満たされた安堵感。
より穏やかな種類の一時的な死。

 良いですか、私は前には嘘をついた。
私はカルマの存在を信じています。
そして、迷信的ではあれ、サンテリア教(キューバで信仰されている宗教)においては、怒りの破壊的な力と言う意味で。
私は人は地面に唾を吐きかけるのと同じくらい容易に誰かを呪う事ができると思っている。
この知識は起こり、形を形成するまでに数週間を要する。
: あの一瞬の出来事を再び体験することで ― 日差しがまぶしく照りつけ、バイクが宙に浮き ― 私は何度も何度も、自分のための物語を作り上げるのだ。
現実になる一つの物語が、物語に戻り、現実になり、物語になる。
それは空中に突き上げられた怒りの拳なのだ。
それは自分たちの王冠を被った男たち ― 父親、夫、独裁者 ― なのだ。
そこには他の選択肢はない。
私は悪い女の子なのだ。
何と言う事か、私は善良で従順な医師という、責任ある、職を捨てるのだ、私以外の誰がそれを望めると言うの。
何のために?
彼らを罵倒し、騒ぎ立て、大問題を起こすためだ。
だから彼らは私を罰する。
そして、私があれらの歴史の本を開き、無謀にも自由を信じる男と共にベッドに滑りこむ時には、彼らは彼らが好きな時にいつでも、私を再び罰することができるのだ。

私は毎日その事を考えているが、ザビエルから離れる事はできない。

6月のある金曜日、私のキューバ魂は燃え上がった。

 「あなたは私を捨てた。」と私は言う。
「あなたは臆病者だった。」
「あなたは私が伝染病だと思った。」

「君が正しい。」と、彼が言う。
「僕は臆病者だった。」

 彼の妥協するような態度が私を激怒させる。
「そんな子供の様な態度は止めて、」と、私は言う。
「これはマジなの。人生は真剣なのよ。」 

 そこには。
私はそれを言った事がある。
私は自分にはどんな風に彼が大人であり続けたかを理解できないと認めてきた。
― それほど頑健な体に恵まれ、モジャモジャの胸毛 ― 彼の全ての変わる事のない衰えない輝きをもって。
そこには何か疑わしいものがある。
特権の嫌な臭いがする。
それと搾取の。
それと帝国主義的な利権。
それと未熟。
幸せな自己陶酔 ― それは文化的にも ― そして歴史的にも ― うんざりするものだ。

 「わかったよ、」と、彼は言う。
彼は怒っているように見える。
絶望的に。
彼のロープの端で。
「そうだ」と、彼は言う。
「上等だ、絶対に、人生は真剣だ、ルーシー。それで何だって言うんだ?。」

これが一つの大きなクライマックスになると思われる部分だ。

 しかしそこには大きなクライマックスは何もない。

 ある日、私は単純なことをやる。

それは厳しいことだ。
私は起きる。

 何故だかは言えない。
何故その日なのか。全く何故なのか。

但し: 起きる事は復讐の形だ。
フィリップに対する ― 彼の眼は、私を軽蔑するように、謗る様に回る ― と言うのはそれが当然の帰結であり、切り裂く軽蔑的なナイフと、最も巧妙で最も計算された非難が交互に行われ、聖人としての資質は一滴も残っていない。
父に対する復讐でもある、あの「小さな」ピーターパン作戦難民の。
溶岩から噴き出してくる大きな泡の様な、認められていない真実なのか?
彼の生涯続く私に対する行動、正に同じ種類の残酷さに相当し、彼の歴史的に検証された苦しみはそれに対する一オンスの正当性も無い。

 そういうことはそれほど簡単ではないが、そこにはザビエルに対する復讐もある。
つまり、このくそ野郎。
「お互いに紳士的に学び合おう」、そうだ、立派だよ、しかし、何故ザビエル ― と彼の階級、彼のタイプ、彼の民族性 ― だけが永久に可能性を保たなければならないのか?

 そして最後に、復讐はさておき、歴史、実の所、しかし集合的な交感神経系亢進期とは何なのか?
変更されたテンポで集合的に存在する記憶。
現実から隔離した中で集合的に蓄えられた記憶。
歴史家は未来への保証であるかのように繰り返すが、彼らが何と言おうと、実際には繰り返されない、同じ人々に、同じように繰り返されることのない未来に対する記憶。

 私は立ち上がる。
また、倒れる。
起き上がる。

 その道には「善きソマリア人」がいる。
「学者たちだ。」
私は彼らに対し何も言わないが、私の表情だけですべてを理解しているにちがいない。
私がどれ程スマートであるかを噂し、私に告げると言うやり方で。
私に食事を与えるために列をなすと言うやり方で。
そして、ザビエル。
もちろん、ザビエルだ。
私の魂が体から離れようとしているとき、彼は私の手を握ってくれる。
彼は私をつなぎ留める。
彼は私に嘘をつく。
美しく、ロマンティックで楽観的な嘘を。

青春とは、私たちが誕生したときに月が落とした完璧な球体、つまり結晶であり、中空である。
私たちの生命は ― 漂っていて ― 地球の方に向かって飛んで行っていると私は思っている。
しかし私たちは落ちる。
壊れやすいのだ。
眼を大きく開いて、顔には期待、何か誇りの様なも表情を一杯に浮かべて。
それが、私が知っていた北部の冬の日々だ。

ザビエルは心から反対した。
月の事は忘れなさい。
彼が何度も何度も引いたタロットのカードは、 ― 私はそれさえも書かなければいけないのだろうか? ― 太陽だ。
彼にとっては全ての経験が実り多いものなのだ。
雪の森を散歩しながら彼は自分が一度見た木について話した。
その幹にはガラスのかけらが突き刺さっていた。

 「誰がそんなことをするの?」と、私は言った。

 「それは問題じゃないんだ。聞きなさい。幹はその周りで成長する、」と、彼が言った。
「妨げられることはなかったが、影響を受けなかったわけではない。」

 その事が彼が死んだバイク乗りに関してやったことだった。
彼は彼を追悼はした、すぐに、躊躇せず、ひと握りのアーモンド、ステーキサンドイッチのように彼を食べることで、その後、彼は彼の周りで、妨げられることはなかったが、影響を受けなかったわけではなく成長し、さらに一歩進みさえした。
彼は彼を有用な存在にした。
彼は彼について書いた。
彼は彼を持ち歩き、歴史の中に地位を与え、そして生きることで彼に敬意を表した。

私もそうしたのだった。最終的には。

精神分析医の|長いす<カウチ>、そう、慎重に判断力を欠いた顔だ。
しかしほとんどの場合、私は神聖な木の幹の中の痕跡を見つけた。
石の仏の中に。
音を立てない川の中に。
外では、毎春:
裏切りのような復活、止められない、光り輝く、生者が死者に対して持つ不公平な優位性。
私はそれを説明できないが、多分あなたはそれが聞こえるかもしれない。:
夜明け前の鳥たちの、無関心な騒ぎ声 ― 生きよ! 生きよ!

 その結果、私は今やどんな乗り物にも乗ることができる。
私はバスや、正直なところ、電車やゴムボートが好きだ。
リアフェンダーへの打撃、側面衝突、昏睡を想定したリハーサルはもうやめた。

薬もやめた。

ベッドから外に出た。

大抵の日は。

しかしそれを知ることは正しい ― 魂が染み出し、レンズが変わると、― 私の人生は決して同じものにはならないだろうと。
ザビエルが食料品店や空港に行くために私にサヨナラのキスをする時は何時も、私はそれが最後だろうと思っている。
事故、心臓発作、黒色腫、インフルエンザ、統合失調症による刺傷。
心はたくさんの網を張り巡らせる。
ドアの所で、自分の机の所で、私がまさに今いる心地よい肘掛椅子で、私はこれらの考えを楽しむ。
そして私はそれらを横に押しやる。

 今朝は家は静かだ。
珈琲の匂いがする。
私はザビエルが下の階に降りる前に私の首筋にしたキスを感じ、そして久しぶりに、彼の眼の横にある剃刀の傷跡に気付くことなく思い出すこともなく目を覚ます。
私はフィリップの事も、事故のことも考えない。
私の朝の瞑想の中で、私はその全てから自由であると感じている、しかし私は、時々、死んだバイク乗りと話をする。
彼は悲しげな顔をして私の所にやって来て、まるで私の心臓を掴むかのように、私の上を向けた手首を厳かに掴んだ。

 しかし、全てのこの家庭的な静けさについては何か欺瞞的なものがある。

 私の胸の中の名前のない恐怖はそれほど消えていない、事物の焦点が定まったかのように。

 今は全てが直観的だ。
より鋭く、より近く。

 私のシナプスは幻覚剤を求めるかのように渇望している。
電気が ― それがそれを現わす唯一の言葉だが ― クラック(コカイン)のように、メスの様に、私を駆け抜け、私の神経組織は簡単に圧倒される。
私が話している事 ― 存在、生活 ― は今や技巧もない。
覆いもなく、距離もない。

 快楽が潮の流れに身を任せ、私を岩にぶつける。

 痛みが、慈しむような太陽の顔に優しく浮いている。

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