これは「正義」の話

2023年12月26日に行われたプロボクシングの日本タイトルマッチ。挑戦者の穴口一輝選手(23)が試合後に意識不明となり2024年2月2日に亡くなりました。

「年間最高試合にしていい、してはいけない」

この問題が二手に分かれるのは、
「人の死が、いちエンターテイメント、いちスポーツが超えてはいけないラインを超えている」
ことが一番の原因だと思います。

2つの''正義''に分かれてしまいます。

人は自分の好きなものを守りたい時、強い力を発揮します。その力は攻撃性を生みます。
そのことに気づきました。
僕も少なからず、そうなっていたなと反省しています。

そのことを踏まえて、少し記事に目を通してほしい。

ボクシングを内向きに考える人と、外向きに考える人の2種類の正義に分かれます。
そこに優劣はありません。

僕が年間最高試合とするのはダメだと思った理由を挙げます。
「危機感の無さを、ボクシングの外に出してしまうこと」です。

人が亡くなったことを、失敗とし、事故を極限まで減らす努力を外に出さないといけない。

年間最高試合にしてしまうというのは、そこからずれてしまうと思うんです。
ここまで2010年のリング禍から、徹底した安全性への努力によりリング禍を減らしてきたはず。(開頭手術はあった)
しかし、年間最高試合、感動、などの言葉からは、2008、2009、2010と三年連続のリング禍を思い起こします。

少し想像力を働かせてみます。
子を持つ親は、ボクシングをさせたいですか、続けさせられますか?
ボクシングが苦手な人は、更に嫌悪感を抱きませんか?
青少年育成の高校スポーツにもあるボクシングは、、、
ボクシングが好きだけど人が死ぬのはやっぱり耐えられない、、、

一つ一つ、深掘ります。
危険すぎる、亡くなるのなんて考えられない、後遺症一つでも当然残すわけにはいかない、子どもにボクシングはさせられない、、、。
やっぱりボクシングは野蛮だ、ボクシングなんかあってはいけない、ボクシングをなくしましょう、そういう声があがってもおかしくない、、、
高校スポーツには合わないかもしれない、、、
それが意味することは考えられるはず。
僕も、昨年、父と祖父を亡くし、親友の父を亡くしています。人の死について敏感になっているかもしれない。
ネガティブになりすぎているかもしれない。

だけど、人の死に対してはそうあってほしい。
こんなに悲しいことはない。
23歳、何度考えても若すぎる。
これ以上は書きません。

過激で、刺激ある非日常を体験できること。
人を殴り、死なせてしまうことが許されるリングの上。
皆さんが感動したのは事実。
自分が何を見ていて、何を見たいのか?
よく考えてほしい。

時代は暴力絶対NGの、令和です。
ボクシングが社会に存在する、奇跡といっても過言ではないと思います。
自分が感動するのは、人それぞれ。
それを外に出していいかのかどうかです。
だから、安全性を徹底的に見直し、改善に努めなくてはいけないんです。
それが、ボクシングの死の危険から、目を背けることだと言われてもです。
ただ、この記事が問題の解決策になるとは言いません。
徹底した正義は、時に好きなものを宗教のようなものに思わせます。

今度は少し、視野を広げてみます。
外から見た時、どう思われるかは先ほど記したとおりです。
ボクシングが好きで、ボクシングを守りたい気持ちは皆さん同じはずです。
その好きなものを守りたいとき、正義の力が働きます。
向ける方向はどこでしょうか?
外なんじゃないでしょうか。
良くも悪くも注目を浴びている今は。
年間最高試合とするのは、外を意識していないため、内向きとさせていただきます。
だからボクシングが好きな人同士が争ってしまう。
今のままでは、外から更に危険なものだと思われるんです。

そのロジックを説明してきたつもりです。
「亡くなる前だった」
それは理由にならないんです。
開頭手術をし、意識不明の状態で、すでにどれだけ不安な気持ちになったのかは説明不要なはず。

ある記事で、「現役、元ボクサーの中で「お気持ち表明と美談で済まそう」と考えている人間は一人もいない」とありましたが、それを危機感が全然ないと思ったんです。

「ボクシングは危険で、だからこそ魅了されるんだ」
と、ただただ開き直っているだけだと、いつの間にかボクシングがなくなります。
競技人口は減り、反対の声は強くなるばかり。
だから学ばないと。
重複になりますが、令和です。
前回のボクシングでの死亡事故から14年が経っています。
時代は変わっていると思います。

外に向けましょう。
こんなに素晴らしい競技はない。
命を賭けてはいけないけど、選手は賭けています。
だから、心を動かせる。
僕はそう思っています。
本気だから、人の心を動かせるんです。
堤選手と穴口選手が、
本気の本気で向かい合ったからこそだと思います。

少なくとも感動したといえるのは、ボクシングファンだけです。
公式が年間最高試合と認めることに、
危機感を覚えたということです。

ボクシングの安全性を徹底しているところを外に向けないとダメなんです。
ルール云々を言うのはそれからだと思います。
だから、沢山の人とのずれを感じ、この記事を書くに至りました。
実名で活動している一般人にはとても勇気のいることでした。
この記事だけでも、当然角を取り、怯えながら書きました。
個人の意見です。
尊重していただけると助かります。
まずは、同じボクシングが好きな人たちは、手を取り合いたい。


アマチュアのころ、代表合宿で手を合わせたことがありましたね。マスボクシングでしたが、スピードがあり、バネがある柔軟な体、センス。そして正確無比、丁寧なボクシングが印象的だったのを思い出しました。

心よりご冥福をお祈りします。

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