見出し画像

【凪〜nagi〜】第6話

登場人物
◆七生(なお)…小学校の新人女性教師
◆陵(りょう)…七生が勤める小学校の男性先輩教師

二人で共に

陵は、七生への思いを鎮めようと
「少し公園を散歩しませんか?」と七生に言った。

七生と並んで歩き出した陵は、靴底で枯れた落ち葉が、カサコソと音を奏でるたびに、まるで恋の噂話をされているように聞こえて、なんだか落ち着かなかった。

だんだんと陽が陰って、肌寒くなってきた。
自転車で風を切って帰るのなら、七生は遅くならないほうがいい。
秋口だと言っても、陽が落ちてから自転車に乗って受ける風は、華奢な七生の体には冷えすぎるだろう。

しばらく二人で散歩してみたものの、会話のあてが見つからない陵が、じゃあ途中まで送ります。。と途中まで言いかけた時に、七生が急に思いついたようにこちらを向いて、
「今度の土曜日に、秘密の場所にご案内したいんです!」と綺麗な大きな瞳を輝かせながら言った。

突然の申し出に、陵は面食らいながらも
「ぜひ、喜んで。」と笑顔で答えていた。


月曜日から二人は、小学校で教師同士として顔を合わせて、いつも通りの先生同士の他愛無い会話をしながらも、心の中では、二人だけの秘密を抱えているようなくすぐったさを時折感じながら過ごしていた。

七生は陵のお陰で、絵を描くことが好きだったことを思い出すことができた。
だから、これからは絵を描くことを通して、生徒と会話してみようと思っている。

七生が受け持っている小学2年生のクラスは、まだまだ、漢字を読んだり書いたりすることが苦手な子がたくさんいる。
だから、七生は絵を描くことで、子どもたちに伝えたいことがあるのだ。

ある日の国語の時間に、七生は、何も書いていない大きめの画用紙を磁石で黒板に留めた。
何が始まるのかと、興味津々な子どもたち。

七生は、まず水色のペンで画用紙に空を描いた。
次にオレンジのペンで、空に浮かぶお日様の絵を描いた。

それを見ていた子どもたちは、口々に、
「お月様!」
「違うよ!お月様が出るのは、夜だもん。夜だったら、空を黒で書かなきゃ間違い!」
とか
「アンパンマンでしょ!」
と誰かが言って、それを聞いたみんなが
「顔ないじゃーん!」「マントも体もないよー」と言って可笑しそうに笑った。

七生は、描いた空の上に、青のペンで、「青」という漢字を書き、空に浮かぶお日様の隣に、黄色のペンで、「日」という漢字を書いた。

その時点で、勘の良い子は、「晴」っていう漢字だと分かるのだが、不思議そうに首を傾げている子もたくさんいる。

だから七生は、画用紙に描いた絵を指し示しながら
「青いお空に、お日様が出ている時の天気はなんでしょう?」
というクイズを出した。

すると、子どもたちは、みんなで声を揃えて
「晴れー!」と言った。
あまりにもみんなの声が揃ったものだから、子どもたちはびっくりして、みんなで一斉に笑った。

勘のいい子も、歩みのゆっくりな子も、成長過程はそれぞれ違っていい。
でも成長段階が違う子どもでも、イメージする力を使えば、歩みのゆっくりな子も、置いてけぼりにされず、こんな風にみんなと一緒に同時に笑い合えるのだから、これからは、授業の中にみんなで分かち合える絵の力を組み込んでいこうと、七生は思った。


一週間が、あっという間に駆け抜け、七生と約束をした土曜日の朝。
陵は、七生に指示された、二人が勤務する小学校の最寄駅から、電車に乗って3つ目の駅の改札を出た所で、七生が来るのを待っていた。

前回、自転車屋の前で待ち合わせをした時には、陵は遅刻をしてしまったので、今回は、約束の時間よりも10分早く現地に着くように、逆算して家を出た。

約束の時間の5分前に現れたジーンズとウィンドブレーカー姿の七生は、髪をポニーテールにまとめ、手には何やら大きなバスケットを抱えていた。

手足がすらりと伸びた華奢な七生は、カジュアルスタイルもよく似合う。

「お待たせしてごめんなさい!出かけにちょっとバタバタしてしまって。。」という七生に

「僕も今きたところです。荷物、お持ちしますね。」と言って、陵は七生が抱えているバスケットを軽々と受け取った。

「あ、ありがとうございます。では、秘密の場所にご案内しますね。」と七生が言って、二人は歩き出した。

髪を高めの位置でポニーテールにまとめているので、小さな顔がなおさらキュッとコンパクトに見える七生の綺麗な横顔に、陵は見惚れてしまいそうになる。

陵が七生の横顔から、目を逸らそうとした瞬間、七生が急に陵の方を振り向いたので、七生と近くで目が合った陵の鼓動は急に早くなった。
サッカーで鍛えた心肺機能の高さには自信があるのに、七生といる時の自分の心臓はすでに制御不能だった。

陵の心肺機能の異常にまるで気がつく様子のない七生は、屈託のない笑顔で話し始めた。

「今日、ご案内する秘密の場所というのは、私の実家の裏山なんです。その裏山をしばらく登っていくと、見晴らしのいい野原があって、今日のような秋晴れの日には、遠くまで見渡せて、とっても気持ちの良いところなんですよ。」と七生は言った。

高校の教師をしている七生の両親は、二人ともかつて勤めていた高校から赴任先が変わったため、別の場所に居を構え、かつての実家は今は空き家になっている、と七生は説明した。

待ち合わせをした駅から、20分ほど市街地を歩くと、小高い山が近づいてきた。

七生のかつての実家の脇道を行くと、鬱蒼とした木々で覆われているせいで目立たない、ハイキングコースの入り口があって、そこから裏山に入れるようになっている。
ハイキングコースの入り口を塞ぐようにして生い茂っている、木々の葉を手でかき分けながらハイキングコースに入り、丸太で土留めをしてある階段を息を切らしながらしばらく登っていくと、突然視界が開け、広い野原へとたどり着いた。

今歩いてきた市街地が眼下に広がり、遠くの山々まで一望に見渡せるその野原は、本当に気持ちの良い場所だった。

「荷物、重たいのにずっと持っていただいて、ありがとうございました。」
と言って、七生は陵から大きなバスケットを受け取り、野原に置くと、中から大人3人は寝転がることができそうなほど大きなレジャーシートを取り出したので、陵は七生が握っているシートの反対側を持って、野原の上に広げるのを手伝った。

次に七生は、バスケットから、木でできたお皿、膝掛け、ジップロックにひとまとめに入れてあるスケッチ道具を手際よく取り出し、シートが風を孕んでバタつかないように、シートの四隅にそれぞれを配置した。

「どうぞ座ってください。」
と言いながら、七生は湯気の立つ水筒から、取っ手の付いた木のコップにお茶を注いで、相手が受け取りやすいように、取っ手をこちらに向けて手渡してくれた。

陵は、「ありがとうございます!いただきます。」
と言ってコップを受け取り、鼻先に近づけると、ふわりと紅茶とハチミツのいい香りが漂ってきた。
一口含むと、優しい甘さが体に染み渡った。

思わず「美味しい。。」
と目を閉じて余韻を味わってしまうほど、その紅茶はとても美味しかった。

七生は、陵の様子を見て「よかった」
と言って微笑むと、自分も紅茶を一口含んで、ほっとする温かさと美味しさを味わった。

七生は子どもの頃に一人で、よくこの場所にきて、野草や野花の絵を書いたり、虫たちを観察したり、空を仰いでいたことで、家庭環境の悪さと良い子を演じなければいけない窮屈さから、一時離れることができたことを陵に話した。

そして七生は、親の軋轢が強く息苦しかった子どもの時に、自分には家と学校と習い事の教室だけにしか居場所がないと思い込んでいたら、きっと自分は途中で生きることを諦めてしまっていたかもしれないと言った。
でも、この広い野原と生き物と自然が心を解放してくれる拠り所として、いつも変わらずあってくれたお陰で、なんとか生きてこれたと言った。

陵は七生の話を一心に聞きながら、思ったことがある。
陵が担任を受け持つ小学校のクラス、6年4組の中にも、かつての七生と同じような状況下にいる子たちが、表面上は分からないにしても、もしかしたら一定数いるのかもしれない。
だったら、寂しさを抱える子どもの心が解放できる、この野原のような拠り所に自分はならなければならないと思った。

少しずつ距離が近付いていく二人を見守るように、よく晴れた空に秋から冬にかけて日本に飛来する冬鳥(ふゆどり)たちが、声を高らかに上げながら、真昼を示す太陽を横切って行った。

七生が「暗い話をしてしまって、すみません。。あの、お弁当を作ってきたので、よかったら召し上がりませんか?」
と言って、おしぼりを陵に手渡した後、バスケットから、パステルカラーの可愛らしい色の巾着に包まれた、大きさ違いの弁当を3つ取り出した。

大きい容器に入っていたのは、まん丸な形で小ぶりに作られた、たくさんのおむすび。

中くらいの容器に入っていたのは、肉汁を閉じ込めてカラリとキツネ色に揚った唐揚げと、出汁と醤油で味付けしたふっくらと巻かれた卵焼き、海苔がまぶしてある韓国風のほうれん草、じゃがいもを粉吹き芋にして水分を飛ばしてから作るポテトサラダ、椎茸から出る水分だけで蒸し煮をし最後に胡麻油で焼き色をつけて仕上げる椎茸のソテー。赤パプリカのマリネ。

小さい容器に入っていたのは、ブドウと柿。

「お口に合うか分かりませんが。。」
と七生は、自信なさそうに言いながら、陵に、おむすびと色とりどりのおかずをキレイに取り分けて盛りつけた、木のお皿と割り箸を手渡してくれた。

七生は厳しい母に、家事全般をしっかりとしつけられたので、料理も一通りできる。

陵は、「ありがとうございます!一人暮らしなので、食事は買ってきたものや、近くの定食屋で済ますことが多いので、すごく嬉しいです。いただきます!」

七生が作ってくれたものは、どれもすごく美味しくて感動的だった。
家庭のお惣菜をこれほどまでに美味しくするには、手間を惜しまない作業をきちんとしているからだろう。
冷めた状態で食べても、ちゃんと美味しいようにとの配慮なのか、唐揚げは柔らかくて味がしっかりとついているし、野菜料理も水気を切った状態で仕上げられ、歯応えも残るように計算されていて、おむすびは今まで食べたどんなおむすびよりも、優しい味がした。

七生は、陵が口いっぱいに頬張りながら、本当に美味しそうにたくさん食べてくれる様子を見て、両親が厳しくしつけてくれたことを生まれて初めて、感謝できた。

七生は、かつての辛い経験があったからこそ、自分は自分らしくいることの大切さを知り、自分らしく穏やかでいられることが、何かを選択する時の価値基準になってるので、自分の軸がブレることがない。

七生は、自分の中に確実にある、芯の強さを実感した。

そして、今まで自分だけを守るために使ってきた芯の強さを、今度は誰かを守るために使いたいと心の底から思った。

お互いが自分らしくいられる温かく穏やかな時を
今ここで一緒に過ごしてくれている

あなたをどうか私に守らせてもらえませんか。

==【凪〜nagi〜】第7話へ続く==

もしよろしかったら、サポートをよろしくお願いします^^ みなさんのサポートに、豆腐並のメンタルを支えてもらっています! いつもありがとうございます。