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母親の自分と本当の自分

働くことが何よりの生きがいである私
ここは嘘が付けない
文字通り仕事が生きがいでこれが無いと私のバランスが取れない

子供が生まれてもちろん可愛いと思っているし
成長を楽しみにしているし
母親としての役割を与えて貰えた事にも感謝している

だけど本音を言うと
一人の時間の方が大事で
仕事をしている時が一番幸せで
子供がどこかに遊びに行ったり泊まりに行ったりしている時間に
『寂しくて早く会いたい』なんて気持ちになっている事は無くて
寂しがってないと良いな。としか思ってない。

一時期は有るべき母親像に囚われて息苦しかった
特に私の母親年代の方々や旦那さんの
『子供が可哀想』『寂しい思いをさせないで』
の言葉にとても苦しめられた
と言うか現在もたまに苦しめられている

でも、これが私であると言う事に嘘は付けないし
誤魔化すのには限界があるんだなって思っていて
『考えすぎだよ〜』と言ってくれる友人も沢山いるのだけれど
結局の所、自分の中のもう一人の自分が自分自身を咎めている事が原因なのだと思った

それはきっと、夜遅くまで気軽に子供を預けて飲みにいくママさんを見て、
『良いな〜』と思う反面『子供は寂しがってないだろうか』とか余計な事を考える自分もいるからなのだと思う

自分を受け入れると言うのは言葉よりもずっと難しくて
私を知る人間はきっとびっくりすると思うけれど
周りが思っている以上に周りからどう見られるかを気にしている自分がいる

どれだけ父親であったらいいのにと思っただろう
遅く帰っても『仕事』と言えて
休みの日も『仕事』と言って出かけられて
出張も打ち合わせも飲み会も行けて
そんな自分に罪悪感を覚える事もないんだろう
『家族を支える為に』と仕事にフルコミット出来て
帰宅したら家族の為に時間を使う

そんな人生が羨ましすぎて仕方ないのだけれど
そうすれば良いじゃん!と言われた事もあるのだけれど
仕事をしている時も打ち合わせなど真っ当な理由で外に出ていても
『外に出させてもらっている』と言う
『自由な時間は初めから自分の手にあるものでは無く、皆さんの協力で得られたもの』と言う感覚がある為、常に用事が済んだらすぐ帰らなきゃ!と思っているので余裕がない

きっとこの自分とは、娘が母親離れする時まで向き合い続けなければならないし、この向き合い方に正解は見つからないのだと思っている
娘が大きくなった時、反抗期には『寂しかった』とぶつけられたら私は泣いてしまうのだろうし『ごめんね』としか言えないのだと思う

それでも私は欲張りなので
『母親の自分』と『自分の人生を生きる自分』を同時に欲している
そしてきっとそんな気持ちでいる人は私だけではないのだと思っている

『母でありながら人生を自由に生きる』なんて理想論だ
心の中の葛藤は計り知れない
だけどその理想を追い求め続けたい
と言うかそう言う風にしか生きられない性分だと諦めている

こんな自分を娘は正に溺愛してくれて
母親らしくない私が好きなのだと言ってくれる
私に出来ることは
『家庭を持っても子供を産んでも自分の人生を楽しむ事を諦めなくて良いんだ』と言う事を身を持って体現して最終的には娘にとってそれが選択肢の一つになれば良いなと言う事

ちなみに私は母親になった事を1ミリも後悔していなくて
むしろこんなに色々な視点を持てた事
こんなに色々な感情を教えてくれた事にとにかく感謝している

これは私の人生に与えられたテーマだ

最近そう思うようになった

でもね
楽しいのよ 毎日
独身でいた時よりもずっと充実してる

まだ色々と模索中ではあるのだけれど
そんな思いを抱えながら調べて行動してみている事もあるので
そんな日々をここに書いていけたらなと思っています






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