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浮遊信号が消灯するらしい

これからの文章は、衝動で書いているため構成も文章もぐちゃぐちゃです。
だけどそれだけの動揺があったとわかるのもいいかなとおもったのでこのまま載せます。


わたしはまだまだこどものままなので、22時には寝るようにしている。寝るようにしている、というか21時から22時にかけるとどうしたって眠くなるのだ。人間の三大欲求を抑えるわけにはいかないから、やらなければいけないことがあってもわたしはかならず睡眠をとる。
寝るという行為は、不安で心細いのになぜか気持ちがいいものだ。このまま朝、死んでませんようにと願いながら毎晩布団に潜るのがわたしの✨Night routine🌙だった。
昨日もいつもどおり22時に寝るはずだったのだけど、好きなアーティスト・浮遊信号からお知らせが届いてしまった。
浮遊信号というのは、リアルとバーチャルを行き来する音楽ユニットで、自身で作詞作曲をしている男女二人組だ。以前ライブで感銘を受けたMZMのともだちでもある。

なんだか起きていないといけないような気がした。0時なんて22時に寝るわたしにとってはとてつもなく眠いけど、寝れる万全の状態にしてから0時にお知らせを見てすぐ寝よう、なんて呑気に思っていた。
いつもよりかしこまった文面に「マルハラだ〜」とちいさな不安を抱きながら考えすぎだよね、と首を振った。のに。

溜まっていたはずの眠さがすべて吹っ飛んだ。消灯。意味がわからなかった。無理無理無理。わたしはつい10日前、MZMのライブ中にあとりちゃんが言った言葉でがんばることを決めたのに。あそこに行くってずっと目指していたふたりだったのに。

浮遊信号と出会ったきっかけや、わたしが浮遊信号に向けている思いは昔この記事に書いた気がするので、気が向いたら読んでいただきたい。

このときからさらにわたしは浮遊信号のFAN BOXに入り、あとりちゃんの文章に触れ、さらに浮遊信号への憧れを加速させていた。
ふたりともだいすきで、ふたりみたいに言葉を使いたくて、曲を聞き始める前の記事もたくさん読んだ。知れば知るほど、その気持ちは大きくなった。
直接お手紙を渡して、直接作品を買いたくて東京まで行った。緊張してオドオドしてしまったから、次の機会はぜったいにたくさん喋るんだ、と意気込んだのに。

発表されてから小一時間、ずっとやだやだやだと繰り返していた気がする。浮遊信号のポストに「寂しいけど、ふたりが決めたことならついていきます」というコメントがけっこうあって、大人ってすごいなぁとおもったりした。
わたしは21時に眠くなっちゃうようなタチの悪いこどもだから、駄々をこねることしかできなかった。悲しみや寂しさを怒りだとごまかすような、ずるいこどもだ。ふざけるなー!とおもった。勝手にやり切った気持ちになるなー!消えないでよ!
寝て起きたら、ぜんぶ嘘だったりしないかな。5月16日が浮遊信号オリジナルのエープリルフールだったりしないかな。カッカする気持ちを抑えて、無理矢理目をつむった。

毎日夢を見るのに、今日は見なかった。いつのまにか朝が来て、太陽が登った5月16日を迎えていた。浮遊信号の消灯は、嘘になることはなかった。

起きたての頭は日付が変わった瞬間より冷静で、その事実をまっすぐ見つめることができた。
だけど、終わっちゃうと予告されていて、でもまだこの先にふたつライブがあって、それも初めてのワンマンと最後のワンマンで、気持ちをどこにどう向ければいいのかはわからないままだった。
そんなとき、あとりちゃんがこんなポストをした。

え〜〜〜〜〜〜ん、いつだってほしい言葉をくれるこのひとに一生ついていくよ〜〜〜…………。
浮遊信号はいつだって、わたしにすこしの明かりをくれる。暗くて前が見えなくなってしまったわたしに、ぽいっと懐中電灯を落としてくれる。それで周りを照らしなよ、と自分で歩き出すきっかけをくれるのだ。そういうところが、好きだった。いまも好きだし、これからもずっと好きなところ。

まだまだ整理はつかないし、大人の顔で受け入れることはできない。いやなこどもみたいに、泣き散らかすしか術はないけどいまはそれでいいと思えた。
とりあえず、ファーストライブとラストライブ。そのチケットを手に入れなきゃ。
話はそこからだ。
閉じこもりたいくらい寂しかった夜と、何度目かわからない懐中電灯。
最初と最後のライブに向かって、わたしもまっすぐたたなくちゃ。

浮遊信号のふたりに、感謝と敬愛をこめて。

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