32歳最後の日は子供とふたり。


明日で33歳になる。

毎日毎日一緒にいる髭のおじさんは今日から出張でいない。

子供はいつもよりも早く寝てくれた。(クーラーで適温だからだと思う。)

静かである・・・嬉しい。


32歳になった1年前の日は、妊婦で腹が重くてつらかった。

誕生日に検診だったけど、2500g超えてなくて色々言われて落ち込んだ。昼は近所のうどんを食べたのだけどその前に髭のおじさんと揉めて(産まれた後のねんねトレーニングで)めちゃくちゃうどんが美味しくなかったのを覚えている。確か、その日の夜は体重を増やすために蒙古タンメン唐揚げを食べたんじゃないかな。生まれて初めて、男の人から花束をもらったな。

32歳最後の日は子供とのんびりしていた。

相変わらずご飯前にはワーワー言ってたけど、一緒にお昼寝をし、ベッドでゴロゴロしながらビニールを私に押し付けて笑ってた、、、最近、なんとなく意思疎通できて可愛い。と思えるようになってきた。

今日はご飯を作らなくてもいい。子供のご飯をすぐに片付けなくてもネチネチ言われない。クーラーもつけてていい。シンクに皿を置いたままでもいい。食洗機をかけなくてもいい。包丁をしまわなくても文句を言われない。こうやって自分のために文字を書くことができる。

まぁ、とにかく最高である。

変化の大きい1年で月並みな言葉になってしまうけど、すごく大変だった。

産後はみんな敵だと本気で思った。実母も、髭のおじさんもみーんな敵。産後すぐ鉄フライパンふってた自分、お疲れ。なんで母の機嫌も取って髭のおじさんの機嫌もとって、子供の面倒みなきゃいけないんだろうって本気で逃げたかった。いま考えればあれは産後鬱だったんだな・・・。

実母のスピリチュアル傾倒が輪をかけて酷くなっていって、話したくなくなった。子供のことにもあれやこれや口出したり、とにかく話が噛み合わなかった。そんな時期なのかな。でも、小さい頃から薄々感じてた母の心の弱さをはっきりと自分の中で言語化してしまって、もう、、、正直関わらなくていいかな、、、と思い始めている。私を巻き込まないで。

そして、とにかく泣けなかった。

泣くことが私のストレス解消法であったのだけど、誰かと空間にいることでできなくて。そして、感動しても泣けなかった。

自堕落なことはうっすら認識していたけど、まさかここまで何にも縛られないとやらない人間なんだなとも思った。知ろうとしなかった自分の一面を暇がたくさん私に教えてくれた。

世間に溢れている子供を育てることで感動したり、強くなったり、というのはまだないけれど。

少しずつ可愛いなと思うことが増え、大きくなったらあそこに一緒に旅行に行きたいな、そう夢を持てるくらいの余裕はできるようになった。

33歳はどんな1年になるんだろう。

コロナで制限されている行動が少しでも緩和されたらいい。

子供のためにも、自分を好きになれるよう努力したい。

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