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「さて、小説でも書いてみるか。」“生き方”に挫折したワーママが、10年ごしの宿題に挑戦してみる。-3-

大人の夏休みの宿題的な感じで「小説を書く」という大学卒業時にできなかった宿題に再度取り組むという思いつき企画。

8月にちょっとまとまった休みがとれたことで始めけど、いつの間にか9月も後半。…いまだに書いてません。

日々に追われて「役に立つかどうか」で本を選ぶようになっていたところから、本選びをもっと自由にしてみたのが、前回。

それから、長い小説を読んだり、何の役にも立たなそうな本も面白がって読むモードが戻ってきた。小さな一歩(半歩くらいかな…)ではある。

そんな中で、書きたいテーマは見えてきた。創作したい欲が高まるのは、不条理に直面して成す術がないようなとき。正論が通用せず、努力で乗り越えることができないようなとき。

私にとってそれは「男女の差」だから、それについて書きたいと気づけた。

言い訳をしたくない。言い訳の理由を取り除きたい。

基本的には怠惰な人間だけど、努力で困難を乗り越えるのは好きなほう。高い山に登った時の達成感は好きだし、朝に2時間ヨガをするのも同じ。積み重ねていくことで新しい発見があったり、成長を感じられるのはうれしい。

だけど、男女の差は努力で乗り越えられない部分がある。

「女だから」と性別を理由に言い訳をすることに嫌悪感があり、社会人の初めから、結婚出産で仕事を手放さなくてよいために、対策に全力を尽くしてきた。社会に屈しないようにむきになってやみくもに働いた。出産前の収入をできる限り高くすることを目指した。賢くもないし特別な技術も持っていないから、根性だけで突き進んできた。

その後結婚して、夫婦で生活費も家事も折半して暮らし、目的は達成できているように思えていた。

だけど、やはり産後の収入減少にはあらがえなかった。

子育てをしながら働くためには、周囲の協力がないと難しかった。職を失いそうな恐怖にも耐えた。その後、なんとかご縁をいただき、良い環境で働けることになった。本当に感謝しかない。個人としては良かった、と思える。

それでも、社会的な男女差が、私たちの夫婦の間にも影を落とすことがある。

仲の良い夫婦だけど、どうしても埋められない溝がある。違う人間だから分かり合えないこともあるし、男性の追い込まれている地獄もあるのは分かっている。だけど、男女差が個人の人生を支配している範囲が、あまりにも広すぎやしないか。

女性だからと言って、言い訳をしたくない。その一心で駆け抜けてきたけど、もし男性だったら別のことを追い求められてのだろうか。

そんな不毛な問いを打ち消すことができず、モヤモヤとしてしまう。

あらゆる「男女の差」について考える。

男女の差といっても、いろいろとある。身体的な差もあるし、社会的な差もある。あらゆる作品が男女の差について書いている。もう少し絞らないと、テーマとは言えない。解像度を上げていくために、その周辺の作品を洗ってみることにした。

社会的な性差、つまりジェンダーについての観察が素晴らしい小説がこちら。

ジェンダーについて何かを語るのはとても難しい。個人差と性差が入り組んでいるから、なかなか伝わらない。何かを語ろうとすると、相手は身構えてしまうか穿って見られてしまったり、語る人は批判にさらされるか腫物のように扱われてしまう。

そんな中で、この小説は一つの答えに達している。冷静に、淡々と、女性が生きていくときに感じる違和感の積み重ねを描いている。一つ一つは大したことのないものかもしれない。だけど、生涯を通じてその違和感はどんどん膨らんでいく。その様子が物語として描かれていることで自分の経験にも重ねやすい。それに、あらゆる視点を意識して極力フラットに意識して描かれているのが分かる。

言葉を飲み込まない練習をする。

何か言葉を発しようとすると、反論が次々と浮かぶ。年を取るごとに、何か思いが浮かんでもそれを打ち消すように否定的な言葉が湧き出してくる。そうやって生まれてくる、自分の思いを打ち消すための言葉のスピードも量も増えてきて、言葉を飲み込むことが増えた。

日常生活や仕事上のコミュニケーションには良いけれど、創作をするうえでそれでは困る。それに、人が求めるのは正しい情報だけとは限らない。正しくないけれど自分の中に確かにある感情の輪郭をなぞること、それがあることを認めること、それを通じて人と理解しあえること。そういうことを求めることもある。

このtweetをするときには、送信ボタンを押すまでの間にも息をするように反論が思いついた。それに、ただの愚痴と受け取られるかもしれないし、よくしてくれた人をがっかりさせてしまうかもしれない。やる気がないだとか文句があるように誤解されてしまうかもしれない。

だけど、こういう切なさがある、というただそれだけを言葉にしてみたかったから、実験として書いてしまった。

たしかに「ある」感情を、自分の中の反論で打ち消してしまわないこと。丁寧に言葉に組み立てること。

そういうことへの恐怖心を、少しずつ乗り越えていきたい。

いつか、物語を書くためにも。

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