「親」がしっくりくるまで
1年3ヶ月とちょっとの産休・育休が終わる。ゆっくりと時間をかけて、ようやく「親」という役割が自分にフィットしてきた。
最初の頃は不安ばかりで、「母親はこうあるべき」という、膨大な量のガラクタ(時々、宝物も混じる)みたいないろんなものを全部口に突っ込んでいくようで、自分を見失うし苦しいし、「母親」というぶかぶかの着ぐるみを全然着こなせない居心地の悪さがあった。
ようやく、いい具合に適当で、自分になかなか似合うサイズ感の「親」を着こなせるようになってきた気がする。
親としての「自分軸」を手に入れるまで
母親学級や両親学級に片っぱしから行って準備万端のはずが、産んでみたら分からないことだらけ。なんで泣くのかも分からないし、なぜか全然寝てくれず、周りの誰に聞いてもどうしたらいいのか分からなかった。
睡眠時間もないなか本を読んだり、病院の母親教室に行ったり区のやってる交流会に行ったりしたものの、いろんな情報があってとにかく振り回された。
初めての育児はとにかく混乱する。
「1歳までは蜂蜜は与えない」「乳児は窒息事故が起きやすいから寝床作りを気をつける」と言った生存のためにマストな情報と、「スリングは股関節脱臼する」「首すわり前は縦抱きダメ」とかの、“専門家”による古い偏った情報(これが一番厄介…)と、「私はオーガニックフードしかあげてない」「完全母乳で育てた私えらい」とかの個人のこだわりがぜーんぶ並列に新米母に迫ってくるので混乱するというのがある。
本当は、生存のためにマストな情報だけ聞き入れて、あとは聞き流していい。でも、どう選べばいいのかが分からない。
育児というのはあまりにも生活に密着しすぎていて、各家庭で家事のやり方が違うように家庭によって様々だし、子供の個性というのは生まれた時からしっかりあるので他の子に通用したことがわが子に通じるとは限らない。
情報を選び取るための「自分の基準」が見つかるまでは、とにかくそれが大変だった。
家族みんなが心地よいことが最優先
私の場合は、家族が心地よいことを最優先するために、「いい親だと思われるためにすること」を手放すようにしたら自分の基準を見つけやすくなった。
自分が産んで育てているんだから「親としての資格」なんていらないはずなのに、気づくと周りに「いい親だ」と認めてもらうためにやっていたり、我慢しようとしてしまうことがある。それを片っ端からやめてみると楽になった。
今となってはなぜ母乳にこだわっていたのか分からないけど、母乳は出るけど子の体重に反映されないタイプだったので、離乳食が始まるまではミルクと併用することにした。
子供が泣いたら何をおいても駆けつけるのが「いい親」かもしれないけど、安全を確保していれば「トイレ行く間待っててね~!」「太陽礼拝一回やる間待っててね~!」も罪悪感持たないように気をつけた。
親の用事に赤ちゃんを連れまわすなんて、と言われそうで躊躇してたけど、勇気を出してバーゲンに行ったら、店員さんがこぞってあやしてくれたり、電車で泣いても大学生グループが「かわいー!」「いっぱい泣いていいんだよ!」と声かけてくれて、ただのリフレッシュ以上に幸せな気分になった。
イベントごとをすごく盛大にする家庭もあるし、服を手作りしたりオシャレを重視する家庭もあるし、食事はオーガニックにこだわる家庭もある。どれかが正解じゃなくて、自分たちがどうしたいかが最優先。
うちはもともと誕生日はささやかだし、服はほどほどに楽しむし、食事は野菜中心で素材の味重視だけど手間暇はかけない。自分たちの家庭にちょうどいいバランスを試行錯誤していった。
おもちゃを買うのは最低限にして、身の回りの物で簡単に作れるものは作るとか、食事は手抜きをするけど野菜量はたっぷりにするとか、自分のこだわりたいポイントも整理されてきて、ようやく自分たちらしく楽しめるようになってきた。
また娘に自我が育って来たらいろいろ変わってきそうだけど、ようやく家族のかたちが見えてきました。
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