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「何かに夢中になっても意味がない」を克服した話

中学生のとき、音楽大学への進学を断念した。経済的な事情によるものだ。

そんなこと、すっかり忘れて20年ほど生きてきた、はずだった。しかし実際には、相当根に持っていた、と30代半ばにして気づいた。その事実に自分でもドン引きしつつ、あれこれ考え方を変えたところ、ようやく乗り越えられた気がするので、書いてみる。

まず、なぜそんな昔のことを根に持っていることに気づいたのかというと、自分の「収入」や「経済状況」に対する執着が強いことを自覚したのがきっかけだ。

山田ズーニーさんのWSに参加して「負けた!と思った経験」について深堀するワークがあったんだけど、だいたいお金に関することだった。

日々の節約とか貯金には興味がないんだけど、どうしても生まれ育った環境の違いとか「経済的に恵まれていない」ということを恨みがちな自分に気づけた。恐る恐る、オンラインサロンの仲間に聞いてみると「ずっと、お金に執着あるんだな~って気づいてたよ」と普通に言われてげんなりした。

これは何とかしなければ。

それで、いつそういう思考の癖がついたのか、と記憶をさかのぼっていったら、冒頭の「音大を諦めたこと」につながったのだ。

小学5年生でフルートに出会った私は、あっという間にのめり込んだ。音楽教室の用意する、ポップス曲中心のテキストでは飽き足らず、“ホンモノ”を求めてクラシック曲の練習に切り替えた。グルックの精霊の踊り、バッハのパルティータ、ドップラーのハンガリー田園幻想曲を練習した。朝も昼も夜も、夏休みは四六時中練習していた。寝る時間以外はずっと練習していたくて、夜になると音を出せないから無音で指の練習だけポコポコと小さな音を立てていた。朝になるとまた音が出せる。それがとにかくうれしかった。

当時、中学校では成績が良くて、クラスになじめていなかった。テストの点数が良いと先生がクラス中に発表する。そうすると、反感を買うことになる。先生にばれないように、いろいろと陰湿な嫌がらせを受けた。テストの前日にはいたずら電話がかかり、家庭科の課題は盗まれた。先生に訴えても、テストの点をばらさないように頼んでも、聞き入れてはもらえず何も変わらなかった。それでも学校に通っていたのは、放課後は思う存分音を出して練習ができたからだ。

ある日、音楽教室でレッスンを受けていると、受付の人がノックしてきた。なんでも、待合室で漏れてくる音を聞いた人が、ぜひ中で聞きたい、と言っているというのだ。了承すると、自分の母親よりも年上であろう、明るい雰囲気の女性がニコニコしながら入ってきて「あんまりいい音だったから近くで聞きたくて」といって、隅にちょこんと座った。一曲吹き終わるたびに拍手をして、嬉しそうにニコニコとしていた。それから、彼女は時々私のレッスンを見学するようになった。年に一度、公会堂で行う発表会の時には、演奏後に見知らぬ人に声をかけられることもあった。素晴らしかった、感動した、涙が出た。そういう感想に対して、嬉しいというよりピンとこない、どう反応したらいいのかわからない、というのが正直なところだったけど「間違いなく、ここには私はいてもいいのだ。存在していていいのだ」と感じられた。

当然のように音楽の勉強を今後も続けていくんだ、と思っていたところで冒頭の壁にぶつかった。説得を聞かない私に、ついに母がこっそり、父の給与明細を見せてくれた。国内の音楽大学の最高峰のところに行くためには、その大学で教えている先生に師事する必要がある。そのレッスン代ですべて消えてしまうような金額が印字されていて、愕然とした。

中学の吹奏楽部顧問の知人というプロの演奏家が特別事業をしに来たこともあったので、彼にも相談してみた。すると「ドイツに行くと良いよ。あそこは学費がかからないから、誰でも音楽を学べる環境があるんだ」といわれたけれど、すぐに気づいた。ドイツに行くには渡航費が必要なのではないか。私一人海外に行くとしたら、生活費が別にかかるのではないか。さらに調べてみたところ、パスポートを手にするのにもお金が必要だと知った。

ようするに、そういうお金は「些末なもの」として気にも留めずに払える人しか、音楽を学ぶことはできないんだ、「誰でも音楽ができる」の「誰でも」に、私は含まれないのだ、と思い込んでしまった。今なら、クラウドファンディングがある。演奏をネットにあげて、誰かにフックアップしてもらうことだってできたかもしれない。だけど、当時はSNSが存在しなかったのもあるし、そういう手段を思いつきもしなかった。電車や道端で痴漢にあうだけで死にたくなるのに、見知らぬ人を頼って海外に行けるなんて、思いもしなかった。

それからも意地になってフルートを続けようとしていたけれど、だんだんと楽器を触る機会は減っていった。無気力になりながらも、何とか適当な大学に入って、這うように仕事をしてきた。

いつしか「何かに夢中になっても、意味がない」と自分に言い聞かせるようになった。仕事だけは、夢中になったらお金になる。だから、仕事だけで毎日を埋め尽くすような日々を送ってきた。

そんな自分を自覚したのがここ数年のこと。これはいけない。変えてしまおう、と決意した。ヨガをしたり瞑想をしたり筋トレをしたりオンラインサロンに入ったり自己啓発本を読んだり、あらゆる手を尽くしてきた。

つい先日、アドラー心理学の本を読みながら地下鉄で座っていたときに、唐突に「そうか!」と、この問題を乗り越えるアイディアが降ってきた。

「そうか。音楽大学を受験すればよかったのか」

もちろん、お金がないのは仕方ないので、入学金は払えない。だから、音楽大学に入学はできない。だけど、受験することはできたはずだ。いや、親の説得を頑張れば、1年くらいは通えたかもしれない。その間に人脈を作り、実績を作り、その後につなげればいいのだ。

高校では試験勉強なんてろくにせずに、演劇をやったり家で不貞腐れたりしていたのだから、それなら演劇の傍らフルートを練習して楽典を勉強していてもよかったはずだ。音大に合格するには、できれば金やプラチナでできた楽器である必要がある。最低でも、全体が銀でできていないと話にならない。私は、頭部管だけ銀、あとは銀メッキでできた楽器を買ってもらっていた。それだと、試験前に家に帰されるのか? いや、演奏くらいはさせてもらえるだろう。たぶん。日本中の音楽大学を受けられるだけ受ければ、どこか一つくらいは。国内の移動なら、鈍行で行けばアルバイト代でも行けるはずだった。銀メッキの楽器を笑われようが、英才教育のライバルに実力で負けようが、入学できなかろうが、関係ない。受験を諦めることはなかったのだ。

そうしなかったのは、私が決めたことだ。

それを思いつくのに20年もかかってしまった。あの時思いつかなかったのも、自分自身だ。

私に足りなかったのはお金ではない。親の期待を裏切る勇気、自分の意思を貫く勇気が足りなかっただけだ。

ちなみに音楽大学は少子化のあおりを受けてか、社会人向けのコースも充実している。今なら、行こうと思えば行けるのだ。

だけど、今は別にやりたいことがあり、そちらに集中したいのでフルートはクローゼットに眠らせている。これは「自分の選択だ」と自信を持って言える。

これからは、やりたいことを何かのせいにして抑えるのはやめよう。遅すぎる気づきかもしれないけど、まだこれからでも取り戻せるはずだ。

10代のはじめに、あそこまで徹底的に夢中になる経験ができたことは、今の私の財産になっているはずだ。親はもちろん、フルートの先生や周りの助けがなければ、あそこまで何かに夢中になる経験も持てなかったはずだ。そして、演奏を聴いて声をかけてくれた人たちの存在にいかに支えられていたのか、今なら理解できる。

受け取ったものを大切にして、次につなげていこう。

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