見出し画像

第6回 埋葬された提言書 柳田邦男

 水俣病公式確認から50年(2006年)を前に、行政の課題を検討する「水俣病問題に係る環境大臣懇談会」が設置され、1年余の議論を経て、提言書起草小委員会が設けられ、委員の私がその文章を書く役割を引き受けた。
 提言の一つに、水俣病対策を漏れなくするために、水俣付近だけでなく広範囲な海域の汚染の実態解明と隠れた被害者の発掘を目指して総合的な調査研究に取り組むべきだという項目があった。小委に同席していた事務官が、水俣病の研究は十分あるから、そのような調査は必要ないと横槍を入れた。これを聞いた委員の元最高裁判事・亀山継夫氏が、小部屋の仮設壁が振動するほどの大声で一喝した。「提言書は私たちが書くんだ! 役人が書くものではない!」その迫力には、私も驚愕したほどだった。結果、その一項は、提言書にしっかりと残された。
 だが、提言書は悲劇的な結末を辿る。総合的調査以外の提言の主な項目を列挙すると、▶国民のいのちを守る視点を官僚に義務づける「行政倫理」を関係法規の中に明記する、▶官僚はその実践のために、「乾いた3人称の視点」ではなく、「潤いのある2.5人称の視点」を研修会などで身につける、▶政府は公害・薬害・産業事故等の原因究明と安全勧告の権限を持つ常設の「いのちの安全調査委員会」を設ける、▶各省庁に「被害者・家族支援担当部局」を設ける、▶国は水俣地域を「環境・福祉先進モデル地域」に指定して、地域の再生計画を支援する、などだ。
 これについて、熊本日日新聞の記者が環境省の事務次官に所感を尋ねたところ、次官はこう言ったという。
 「こんな提言書は、柳田氏がどこかの雑誌に寄稿する程度のもの。行政文書としては何の役にも立たないね」
 2006年9月19日、提言書は環境大臣から閣議で報告されたが、時の小泉内閣は翌週総辞職して政権は交代し、以後、環境省は提言書を政策に活かす努力をしていない。

(やなぎだ・くにお ノンフィクション作家)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?