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第3回 生命誌の原点にある水俣 中村桂子

 水俣との出会いを思い出しています。1971年、恩師である江上不二夫先生が「生命科学」の研究所を創設され、この新しい学問を始める仲間に入れていただきました。今では誰にもなじみのある生命科学という言葉は、この時、先生がつくられたものなのです。
 それまでの生物学は、動物学、植物学など対象とする生物によって、また遺伝学、発生学など研究する現象によって分かれていました。先生は、DNA研究を通してこれらすべてを「生命とはなにか」を問う学問として統合されたのです。DNAを切り口にすれば研究対象に人間も入ります。そこで、科学技術のありようを生きものという視点からチェックすることが重要になりました。
 その具体例として教えられたのが、水俣病でした。アセチレンから塩化ビニルなどの化学合成品を生成する際に水銀触媒を用い、工場廃水を海に流したところ、その中のメチル水銀が海中の生物にとり込まれ、食物連鎖によって魚貝類に濃縮されたのでした。そしてそれを食べた人の体にメチル水銀が入ったのです。廃水を海に流す時、海を水と見るなら、不知火海から太平洋へと広がる大量の水で水銀は薄まると考えられます。科学技術は物理的なものの見方を基本とする機械論で動いていますので、海を「大量の水」と見たのでしょう。
 しかし実際の海は、さまざまな生きものが暮らす場なのです。そこで食物連鎖がはたらいて、当時の科学技術が思いもしなかったことが起きてしまいました。
 この世界を「生きものが暮らす場」として見る生命論に基づいて科学技術社会を作り直さなければいけない。生きものの世界はすべてつながっており、その中に人間もいるのだということをもっとよく知らなければならない。江上先生の生命科学は、ここから始まりました。科学にとっての大きな転換です。
 以来50年。残念ながら社会は相変わらず機械論で動き、生命科学もそこに巻き込まれてしまったのが現状です。生命論に基づく新しい知「生命誌」を構想し、今度こそ社会を変えたいと思っています。

(なかむら・けいこ 生命誌)

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