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第1回 「水俣」を明日の手掛りに 実川悠太

 例えば自身の日常や存在そのものに嫌悪感を抱いてしまったとき、私たちは否応なく立ち止まって考える。それは、あまりにも理不尽な対応に直面したときや、疑ったことのないものに強い疑義が生じたとき、あるいは自身や家族が障害を負ったときも同様だろう。
 いつの間にか、生きることはなかなか難しいことになってしまった。この社会は、近代化の極限域に達して、さまざまな価値が崩壊し始める一方、有史以前から個人を守ってきた共同体を私たちは壊し続け、残存するのはもはや欠片となって、個人を包摂できなくなっている。
 そもそも自由で平等な個人の選択によってすべてが成り立つことは理想だったはずだ。しかし、私たちは、限られた経験と、虚偽や恣意に溢れた情報を元に小さな判断を重ね、その結果としての明日を選び取っていかなければならない。
 九州の西側、不知火海の南部沿岸地域の奇病発生に気付いたのは戦後経済成長以前のこと。それから今日に至る経緯を見つめると、国や企業、科学や医学、社会や世間の普段は見えない顔が現れてくる。
 それは、石牟礼道子ら先駆者が、それまで歴史の表面に現れることのなかった自らの肉体をもって自然に働きかけ日々の糧を得てきた人びとの苦難のみならず、失われる以前の豊かなその世界を描いて、彼ら自身の意志と言葉の現出を招いたことに端を発する。それら近代化以前のナマの人間の姿は、多くの献身的な支援者のみならず、多様な研究者、表現者、記録者を引き付け、彼らの優れた仕事を通して時を経ても私たちに語り掛けてくる。
 そのような場として、私たちは1994年以来様々な機会を創出してきたが、今日からインターネット上に新たな場を設ける。「水俣コラム」と題した小文との出会いが、あなたの日々の選択を明日のあなたにとってさらにやさしいものとすることを願ってやまない。 

(じつかわ・ゆうた 水俣フォーラム)

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