見出し画像

第4回 出会ってしまった者のつとめ 田村元彦

 米本浩二の快著『水俣病闘争史』(河出書房新社)に記されているのは、石牟礼道子の表現を用いるならば、「ちいさな無名の人間たちが」「圧倒的な運命にむかって闘い、たおれて行った」記録である。「水俣」とはそういった闘いの経験の総体である。闘いは人を生み、人をつなぐ。「水俣」と出会ってしまった者はそれぞれが生きる場で何らかの〝闘争〟へと誘われ、コミットせざるをえなくなるだろう。
 「水俣」について私がずっと不思議だと感じていたことは、他の公害病や社会問題などに比して、関わる人たちの社会的な広がりの底知れなさと、その人たちのキャラがことごとく立っていることである。米本は「水滸伝的」と評しているが言いえて妙である。その中でも編集者・プロデューサーとして闘争を演出する役割を果たしてきた渡辺京二の存在の大きさについて改めて気付かされた。突飛かもしれないが、死者の遺志に衝き動かされるようにして事件が起こる横溝正史のミステリー『獄門島』を、私は連想した。渡辺自身が直接コミットした闘争以後においても、米本の著作群の成立に至るまで、さまざまな局面で渡辺の強烈な意志(影)を感じるのである。
 今年の2月に、私のゼミ生たちが水俣で合宿をした。コロナ禍において旅行や交流もままならぬ学生生活を過ごしてきた彼女たちにとって、それは初めてのゼミ合宿であった。学生時代に「水俣」と出会って足繫く通い、その後熊本日日新聞の記者となった先輩のアテンドで、若い世代が「ちいさな無名の人間たち」の経験と出会い、思いを巡らし、学び、時空をも超えた連帯が育まれていく姿は感動的でさえある。そのようにして〝闘争〟は継承されていく。
 コロナ禍による3年間の延期を経て今年の秋に福岡市で「水俣・福岡展」がようやく開催される。「水俣」と出会ったばかりの教え子たちとともに馳せ参じることにしたい。それは「水俣」と出会ってしまった者の、厳粛かつ幸福なつとめである。

(たむら・もとひこ 政治学)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?