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供養するということ

先日、地元のお寺さんで供養をしてきました。

水子供養。しかも4年越しでやっと。

今まで機会がなかった訳じゃない。

機会を作ろうとしてなかった。

私の中で、勝手に消化していたつもりだったのかもしれない。

今回供養に至った経緯としては、正直な所、自分でも分からない。

ずっと頭の片隅に残ってた想いに、正直に向き合っただけ。

子供達にも話をし、一緒に行っってきた。

もし、あの時産む選択肢をしていたら、既に4歳。

もし産んでいたら、今の3歳の娘はいなかったかもしれない。

そう思うと、色々考えさせられる時間だった。

今回供養に選んだお寺は、地元で唯一水子供養をしているお寺。

こんなに近くにあるなんて、知らなかった。

今回の供養に至った経緯は分からないが、全ては繋がっていて、

供養をしてあげようと思った気持ちが、既に供養となっている。

という言葉で、なぜか不思議と涙が止まらなくなった。

あの時は、自分が一番良い選択だと思って決めたことだった。

私の中で迷いなんて一切なかった事が不思議だった。

でも本当は、自分が一番後悔の念に囚われていたのだ。

何故、その選択しか出来なかったのか。

もっと他の選択肢はなかったのか。

誰かに相談できなかったのか。

様々の思いが交差して、溢れ出てきた涙は止まらなかった。

正直、その時の気持ちや状況はほとんど覚えていない。

私の中で、思い出したくない感情だったのかもしれない。

ただ、今回ちゃんと供養という形で向き合う事ができて、

水子への供養、そして、自分自身への供養もできた気がする。

私はこれから、どんな選択をしたとしても、

しっかり前を向いて生きて行かなければならない。

そう心に向き合えた1日だった気がする。

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