Mina Koike

Artist / classical pianist

Mina Koike

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最近の記事

神に祈る

皆さま、おはようございます。 何度か書いているnoteの出だしでご挨拶の言葉を書いたのは、多分これがはじめてです。 今日は能のお稽古を体験させてもらった話をしようと思います。 本日もどうぞよろしくお願いいたします。 (正座をし、閉じた手を床に、 そしてその流れで頭を下げます。) “美しくある“というキーワードは 所作やものごとの美しさ・また美学や美徳までを含めどんな芸事にも大事なこととして共通するものだと思っているのですが、 先日体験させてもらった能のお稽古でもそ

    • More Than Words

      4月10日までにひとつessayを書こうと決めていて、なので今日、いつものカフェで、ここに腰を据えて 最近感動したことについて を書くことにする。 音楽家・演奏家と言っても ほんとうにそれぞれいろいろなことが違うので 一括りにすることは難しいのだけれど、 とりわけ ピアニストと他の楽器奏者との間の 決定的な違いは何か?と言われると それは 圧倒的にひとりの時間が多い人種である ということだと思っている。 それは例えばひとつの楽器でひとりで完結することが可能な作品(他楽器

      • 新着メッセージ:死んだ!

        まだ死ぬはずがないと思っていた ある人 の いない世界 というものを この一通のメッセージが 急に 私に 想像させて 頭が ぐわん と鳴った。 メッセージを受信してすぐ 私は電話をかけたのだけれど、 もちろんと言わんばかりに繋がらず。 数分後、 折り返しかかってきた着信を受けると、 電話越しに微かに聞こえてきたのが JRの駅で流れる あの音 で、 私はそこで やっとこの状況 (とんだ勘違い) を理解した。 私が受け取った その「死んだ!」は 介護・看病で付き

        • 美術館に行って思った「少しだけむずかしい話だなぁ」のお話。

          無知であることとこの稚拙な文章を、 恥ずかしがらずに書いてみることにする。 今まで写真で見ていただけだった絵が、美術館へ行くとそれを実物でみることができて、テクスチャーだとか物理的な大きさだとか、そういうものをまじまじと感じると、写真でみるのとは全く違うものを受け取れることが子供の頃から好きだった。 もうこの世にはいないアーティスト達の作品から感じることが多いこの感動。 今自分がいない後世のこの世の中にも こうして観られていて 時代を越えて受け手のそれぞれに 何かを感

        神に祈る

          ファンタジーは現実で

          こんな感じのタイトルを 昔どこかで見かけたような気がする。 映画か、書籍か、 なんだったかは思い出せないけれど、 私でも思いつくくらいのタイトルなのだから どこかで使われていてもおかしくない。 うん、 きっと使われていた、そうに違いない。 これから迎えるお仕事の準備として、 最近ひさしぶりに小説を読んだ。 恋愛模様が描かれた小説、 いわゆるファンタジーだ。 読書はマイペースに行っている私の生活の大事な一部だが、そう言えば小説はここ2年くらいすっかり読んでいなかった。

          ファンタジーは現実で

          私のアンチさん

          あれは二つ前の夏だっただろうか? こんな私にも“アンチ”と呼ばれる人ができた。 この場合のアンチ(anti)とは和製英語だが、antiは反対や対抗の意味を持ち、アメリカ英語でアンタイと発音する。 だからその方は マイ ファースト アンタイ さん。 片仮名にしてみるとなんだか余計に滑稽だ。 ことの発端は、 おいおい勘弁してくれよ〜冗談でもキツイぜ〜と言うような勘違いから、だろうと思う。 がしかしきっかけは何であれ、表に見えている私の様々な面が気に食わなくなったのはたぶ

          私のアンチさん

          品のない笑いと知的なユーモア

          この両者は笑いという同じカテゴリーの中で互いに端のところに存在しているが、ひとつだけ共通点がある。 それは 人を選ぶ ということだ。 後者のみで笑う者がいる。 前者のそれに笑いを見いだす人がいることを理解した上で、笑えない、いや、笑わないことを選択している。 前者のみで笑う者がいる。 後者の笑いをそもそも理解していない場合が多い。 後者で笑って前者でも笑う者もいる。 これはある意味で、もしかしたら寛大系である。 しかしいずれも両方で笑うことを選択している。 持ち

          品のない笑いと知的なユーモア

          Andante

          Andante(アンダンテ)とは音楽用語で「歩くような速さで」と言ったような速度や雰囲気を表す言葉である。 我々音楽家にとっては子どもの頃からあまりにも慣れ親しんだワードであり、故にその意味を深く考えることがなかった私ですが、ふと、いま目の前にある曲が数年前の自分自身の中に流れるものと明らかに違うということに直面した。 その曲の速度標語は、ご想像の通り、andanteであるのだけど、ところでその「歩くような速さ」とは、はて、いったい何だ?というところに疑問を持ってみること

          それは結局、何のため?

          「それは結局、なぜ? 何のためにやっているの?」 という問いが在る 一つ前のessayで前述した通り、20代をアメリカで過ごした私が渡米した当時、まず最初にぶち当たった壁がこれであった。 授業中の対話で・普段のなにげない会話で「いつも」「すぐに」「私の」意見が求められる度、私は自身の“それら”の不足を知り・慌て、緊急で密かに特訓を始めた。 その日から 私の中にいる私は いつも私に “なんで?なぜそれ?何のため?“ と 何をするにもしぶとく問い続けたのです。 それはほ

          それは結局、何のため?

          梅、こぼれるとき。

          京都にあるてっさい堂さんは、 母の行きつけの骨董品屋さんである。 アメリカに留学をしていた20代、年末年始には毎年帰国をさせてもらい、”家族とのお正月“を過ごしていたのだが、その日本滞在はかならず、母との京都日帰り旅で締めくくられるのが定番だった。 ピリピリやキリキリとは無縁である母とのその旅は、いつもなんとなくで行き先が決まり、だいたいお寺をひとつかふたつと、幾度かの甘味休憩をとりながら美術館へ行き、そして信頼をおく母のセンスにより食事処が決められる。 そんななんとな

          梅、こぼれるとき。

          日曜日、シューベルトをする

          私は クラシック音楽をピアノで行う音楽家であり 芸術家として生きているのですが、 おとといの日曜日 ちょっとした会で シューベルトを弾いた。 それは若かりし頃から慣れ親しんだ なんとも美しい曲で、 でも特別に勉強をしたり、 人前で披露することをしなかった曲。 楽譜を開いてまず 主調 (といってその曲の基本となる調) から どのように進行していっているのかを 弾いて (手に取る) 知って (理解を努める) 書き込んで (確認する) その移り変わる様子は 儚く

          日曜日、シューベルトをする

          乱暴に発した言葉による罰

          昨日書いた記事の箇所で、 どうしても ひっかかるところ あり。 このnoteでは 音楽とは違って 後から何度でも 編集ができるみたいなのだけれど、 あ! そういえばこういう場合でよく現れてくれる 編集ボタンって なんで「編 集」なんだろう? 私の中では 変更・修正 の へんしゅう。 ヘンシュウ。 なので「変 修」なんだよな〜。! と 書き始めにすぐ脱線してしまったけれど、 だからその「へんしゅう」ボタンがあるにも関わらず、それをできなかったのは、私自身が自分で書

          乱暴に発した言葉による罰

          子猫とうさぎと

          子猫とうさぎと戯れている 夢をみた。 まだ眠りについて間もないときにみたその夢は、 かわいくて 癒ししかない 世界が幸せすぎて、 目が覚めたわけです、! さて、そこで私は何をするかと言うと ベッドからちょっと離れたテーブルに手を伸ばし、置いてあるiphoneのエアプレンモードを解除して、私よりもあっという間にシャキりと目覚めたケータイ君でこう調べるのです。 「子猫 うさぎ 夢占い」 ふむふむ。 かわいいしかない夢のような夢 (なのでそれは夢。それが夢。) の世界

          子猫とうさぎと

          丁寧な暮らし、?

          最近よく耳にする言葉で、 なんとなくぼんやりしたものだけど、 私の日々の生活を この言葉で形容してくれるお友達もいて、 なんだか身近に感じる言葉 丁寧な暮らし。 一体何なんだ? 何がそれなのかはわからないけれど、 自分の中の それ には しっかりとバロメーターがあって、 一線にふれたり超えたりすると ざわざわしたり・生き心地の悪さを 感じる ことだけは出来る。 なので今年は できる限り それ に気を配りながら 過ごそうと思っている今。2月。 遅れてやって

          丁寧な暮らし、?