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少しだけ寂しいほうが、たぶんちょうどいい(ある占い師の短編)

わたしは「共感しないこと」が下手だ。
Twitterスペースの録音を聴いていて、ふと思い出したことがある。友人にも「あなたは共感力が高い」と随分前に言われたことがあったっけ。占い師をしていなければ出会うことのないような話を聞かせてもらうようになって尚更、共感力との付き合い方について考えるようになった。

当時、友達に共感力の高さを褒められたときも、なんて返したか覚えていない。多分「そうかなぁ?」みたいな、ぼんやりした解答をしたんじゃないかと思う。その友達は心配の意味も含めて言ってくれたんじゃないかと、今なら思ったりもする。人のことを観察するのは好きなくせに、自分のことはどうもピンと来ないことが多い。相変わらず自分を占ってみても、そのあたりは少しずつしか見えてこないように感じる。

「自分は人に共感してしまうだろう」という認識は、自分にとっての懸念事項でもあった。だから、人を占うことに対しては、一番最初からすごく準備をして挑んだ。

それは、わたしが誰かから相談を受けるという体験が、おそらく多い方だったからかもしれない。一番身近な母の話もよく聞いたし、悩みを打ち明けにきてくれる人がとても多かった。占いのように何か照らし合わせるものもない中で、わからないなりに何か言わせてもらう。人と話すことがとても好きなわたしでも、楽しいことばかりではなかった。

そこに共感とのバランスの取り方がひとつ、大事であると思う。

話を聞いて「一緒になってつらくなってしまう」ということも苦しい。だけど、自分が距離をとらないといけない理由は、まだまだある。わたしが自覚しているだけでもだから、もっとあると思う。
「悩んでいるその人」と自分が近くにいるということが、あまりに自然な感覚になると、その人が悩まなくなったとき、自分を見失うことがある。

そうして、人が立ち直ろうとしている時に嫉妬のような寂しさのような感情が自分の中に生まれることもある。自分のアドバイスがその人に受け入れられなかった時に、よりにもよって「力になりたいその人」へ怒りをおぼえたりする。力になりたいのに、だ。人間の心の働きは、なんて厄介なのだろう、と思う。

だから「自分では何も行動しない」という見守り方もあると思う。誰かを頼ったり、距離を置けるのなら距離を置くという関わり方もできる。
言葉をかけて「こうしたらいいよ」と言うことは、状況によっては「言う立場が一方的に気持ちよくなるかもしれない」とすら思っている。

占いを通すことで驚いたことのひとつは、「自分個人が丸ごとその話を受け止めているわけではない」という状態が、力を貸してくれる安心感だ。
もちろん話を聞くのも、結果を伝えるのも、わたしなのだけれど。占いで出たことを、状況や相手に合わせて伝える。自分がただ気持ちよくなっていないかという部分にも、少し距離を置きやすくなる。

最初にトートタロットを手にしてから、クッションみたいになってくれると感じたのをはっきりと覚えている。人の話は、どういう種類のものであっても、重みが発生していると思う。その中から、自分が感じ取れるところは何か、言うことができるとしたら何か、あるいは言わない方がいいか、色々なことをたくさん考える。その中で占いの力を働かせると、共感の度合いを高めすぎることなく、カードや星が示してくれることが、擬似的に共感を寄せているような状態として話が聞きやすくなるような感覚があるのだ。

ほんとうは、話を聞いて一緒に笑ったり泣いたりすることを、いつだってしていたい気持ちもある。でもそれは自分の精神衛生的にも、あまり多く広く使わないほうがいいみたいだと、色々な体験から学んだ。

そして、わたしの身の回りには、占いに興味がある人があまりいない。それはつい「占いを通せば何でも見れる」と思ってしまいそうな自分に境界線を引いてくれるように思う。
自分なりに考えて話すことは、とても大切だと思う。そうやって過ごす場面の方が圧倒的に長いのだから。そのほとんどの時間でわたしは笑ったり泣いたり、好きな外国語を楽しんだり、小さい頃から好きな読書をしたり、ぐっと思い立って絵の具やらiPadやらで何かを作ったりする。

「人はみんな何を考えているんだろう」という漠然とした疑問は、わたしが幼い頃からたくさんの人を見てこれまた漠然と抱えていたこと。誰かの思いを全部知ることも全部受け止めることも、人にはそうそうできることではないのだと思う。

きっと全部の自分を伝えることも、誰かの全部を受け止めることも、人間には大きすぎて、成り立たないようにできているのではないかとすら感じている。これは、寂しい言い方かもしれない。

でも、少しだけ寂しいくらいが、たぶんちょうどいい。満たされすぎても、足りなさすぎても、何かが狂うんじゃないかと思う。

その少しのバランスが自分1人でなく誰かと共有してみたいと思うのなら、そういう場所にアクセスできるといい。世の中はずいぶん便利になったけれど、人同士の心のアクセスはどうも別物なのかもしれない。

占いをはじめて、好奇心を持って世界を眺めることと、その中の一人一人と、そして自分のことを、じっくりとまた「占い」という鏡に写してみる。「全く新しい世界だ」と思うことより「日常の連続だ」と思うことの方が多いなあと、日々カードをめくったり、星を見たり、人を見たり、世界を見たりしている。


🍙この短編はBar鈴子第4回の配信を聞いて、占い師の短編をわたしも書いてみたいなと思って綴ったものです。

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