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死に向き合うと見えるもの

文字通り死にそうだった

今回の入院は辛かった。体調的に絶不調で、このまま死んでもおかしくないと本能的に感じた。

ぐぁんぐぁんと不吉なビートを刻む頭痛と、意味不明なタイミングで襲ってくる吐き気に、ただ横たわって耐えるだけの一日。

アリ地獄に足元を掬われて、もがけばもがくほど、ズブズブと奥に吸い込まれていくような恐怖と闘っていた。

とてつもなく辛くて、孤独で、生きた心地がしなかった。

実際、私の好中球は「2」しかない致死的な状態だったから(健康な人は1500以上)、もし強力なウィルスか細菌に感染したら、肺炎か敗血症で死んでいたかもしれない。

がん治療をやめたくなる

もう、抗がん剤の治療を辞めたい。初めてそう思った。こんなに強い副作用に苦しむことなるとは思ってもみなかった。

5ヶ月に及ぶ抗がん剤治療で私の身体は大きく傷つき弱っていた。ちょっとしたタイミングや不運が重なり、治療中に死んでも不思議はないのだということに、初めて気がついた。

だから、入院中に2つのことを決めた。

  1. 死ぬまでにやりたい事リストを作る

  2. 終活を始める

死ぬまでにやりたい事リスト
いつ死んでも良いよう、やりたい事をリストアップしてみた。行きたい場所、会いたい人、食べたい物、などなど。実現可能か不可能かに関係なく、心の赴くままにひたすら列記してみた。

出来上がったリストを見ると、食べ物が大半を占めていて笑った。食いしん坊万歳。

この病気になって、決めたことがある。それは、残された人生はもう長くはないかもしれないから、極力好きな事や快適な事だけを選択し、苦手な事や気が乗らない事はやめるということだ。

苦手な事ややりたくない事に時間を費やすのはもったいない。できない事、やりたくない事は、それが得意な家族や友人に頼めば良い。お金を払って外注委託してもよい。今までは、なんでも頑張って自力でやるのが偉いと思っていたが、その考え方は180度変わった。だから、金輪際、苦手な確定申告は外注することにした。

終活
お金のこと、お墓のこと、残った私物のこと、子供のこと。簡単にでも良いので、体力がある元気なうちに、私の考えをまとめておこうと思った。いつ何があっても残された家族が困らないように。そして、私自身のケジメのためにも。まずは、エンディングノートを作ろう。

死を見つめてみよう

大袈裟かもしれないが、元気に生きているうちから死を見つめることは大切だと思う。

人はいつか必ず死ぬ。
それは10年後かもしれない。
20年後かもしれない。
あるいは、今日かもしれない。

私たちはいつか必ず死ぬ。
その事実に対峙することは、
残された生の時間をどう過ごしたいか
自分の本心に気づくチャンスでもある。

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