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必要にせまられ力。

この数ヶ月で生活や常識が様変わりした背景に、
得体の知れないパワーが作用してると感じるのは私だけだろうか。

「まぁそのうちね、、」
と長い間腰が上がらなかったあれやこれやが、急に議論され、(暫定のものもあるにせよ)結論づけられ、実行された。

たとえば。

リモートワークが劇的に増え、ワーママがぎゃーぎゃー言ってるだけ、の域をなかなか越えなかったワークライフバランス(もはやこの言葉さえ古く感じるけど)的なものに否応なく直面する人が増えた。皆の関心は家の中や近所のコミュニティに向き、料理やら運動やら身の回りにまつわる新しいことを始めた人の多いこと!

また、ビジネスや働き方の発想は、“オンラインでリアルを補完”から“いかにしてオンラインで可能にするか”にガラッと変わってしまった。ちょっと前まで「漏洩のリスクがあるからねぇ」とか言ってパソコンすら自由に持ち出せなかった世の中だったことを、もはや懐かしく感じるほど。
自粛が解けて久々に対面打ち合わせした方と「なんかもう、なんでもリモートでできちゃうってバレましたよね」と笑い合い、次回の打ち合わせを対面かオンラインか選ぶ、という新鮮な体験をした。
あぁもうスタンダードが変わったんだ、と実感した瞬間だった。

そういや教育もそう。長男が地元の公立小に入学した頃は、30年前と変わらない教育現場に軽くショックを受けたけど、それが急に“一人一台タブレットを支給”の知らせが来た。休校中はzoomで学級会が実施された。国では9月入学への変更がリアルな選択肢として挙がった。議論自体は結局ビミョーな感じで終わってしまったけど、かつて「いやーやっぱり桜の季節に入学式やりたいよね」みたいなガラパゴスな論点だったのが、現実的な議論になったのは大きな進歩だと思う。

こういう“動いた!”みたいな事例はほかにも周りにゴロゴロしてる。

そしていろんなことが動いた共通の理由は、ほかでもない、コロナ禍いう未知の経験によって“動かざるを得なかった”からだ。つまり「必要に迫られる」というすんごいパワーが働いた、ということ。

いや、私が偉そうに言うまでもなく、当たり前の話なんですけどね。人はやらなきゃいけない状況になるとやるんだなーと痛感したのです。
(むかし「ちびまる子ちゃん」で疲れて歩けないと言うまるちゃんに「体を前に倒してごらん、どうしても足を出さなきゃいけなくて歩いちゃうから。」とアドバイスする友蔵を思い出した。ん、ちょっと違う?)

そしてこれを「必要にせまられ力」と命名して大いに活用していきたい、と思った。

活用方法としては、日常にたくさんある
・やりたいけどやれてないこと
・やりたくないけどやらなくちゃいけないこと
をやるために、意図的に“必要にせまられる状況”を作り上げるのだ。

たとえば私の先日の出来事。

最近お仕事でイラストレーターさんとやり取りすることが多くて、絵って楽しそうだなと思う

今までなら思うだけ

いや、必要にせまられよう

お絵描きを子供の宿題(日記)のネタにすれば良い

絵具と筆、パレットを買いに文具屋へ

描いた!

かくして写真の絵が出来上がった。
(タイトルは「ゲーマー予備軍」です。)
なかなか上手く描けたなぁと自己満に浸れるのも「必要にせまられ力」のおかげである。

また、やりたくないこと対策案としては、
・掃除がめんどくさい場所にわざと牛乳をこぼす
・シーツを頻繁に洗う習慣づけのために次男のおねしょを期待する(※リスキー)
・アイロンをかけるためにシャツをシワシワにして干す
などというくだらないアイディアが思いつく。。。

しかしたとえくだらなくても、プロセスはどうでも良いのだ。
停滞してることにメスを入れ、アウトプットを出すことが求められる場合、「必要にせまられ力」はかなり役に立つはずだ。

ビジネスでも、“買う・利用する必要にせまられる状況を作る”という視点や戦略はきっとアリだし、組織により良い変化を生むのにももちろん使える。
ちょっと強引だけど結果的にはみんなに支持される、こち亀の両さんみたいな「必要にせまリスト」に、時々なれたら良いね、その価値を見直したいね、と思うのでした。

そして私が今必要に迫られたいのは、
草むしりとブラインドのホコリ取りです。
あぁ、やりたくないよぅ、、泣。

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