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自分なりの“走る理由”を見つけよう

前回のブログで書いた、「より具体的な目標の立て方」についてはもう少し経ってから書こうと思います。

今日は、少々哲学的ですが、“走る理由”を明確にすることの大切さについてお話しします。20年以上ランニングを続けてきて、自分のなかで「良いレースができた」と記憶に残っているレースが2つあります。いずれも、かなり具体的で鮮烈な、“走る理由”がありました。

①はじめてのサブスリー
忘れもしない、2011年3月20日、ソウル国際マラソン。
そう、日付からお察しのとおり東日本大震災の直後でした。私が住んでいた福岡市は全く影響がなかったものの、日本全国が暗く自粛モードが蔓延し、マラソン大会も中止が相次ぎました。(九州地方もです)
私が出走予定だったソウル国際マラソンは海外のレースなので自粛モードもなく普通に開催されたのですが、正直直前まで出場することを迷っていました。そんな心情をTwitterで呟いたとき、東北で被災した元上司からこんなメールをもらいました。

「東北のことは気にせず、走れ。おまえが走ることで俺は元気をもらえるから」

この言葉に勇気をもらい、ソウルへと向かいました。ちょっと大げさな表現ですが、「自分がサブスリーを達成することで、日本に少しでも元気を」という妙な使命感を持ちながら。。。

当日の天候は大雨。気温はわずか2度。そんな悪条件の中、レースはスタートしました。
この寒さで体はガチガチ。1km 4分ペースでいこうと思っていたのに4分15秒以上かかってしまう状態。(サブ3は、4分12秒くらいが目安)いま振り返ると、戦意喪失していたなぁと思います。

しかし17km過ぎて転機が訪れます。
3時間のペーサー(フルマラソン3時間を一定ペースで走ってくれる、大会側が用意したペースランナー)率いる大集団に抜かれたのです。
※3時間切りを目指すランナーはみんな彼らについていくため大集団になるのです

そこでハッと我に帰ります。
「自分は何をしに、わざわざソウルまで来たんだ?」
ここで改めて、戦意喪失していた自分の中に走る理由がセットされたのです。
そしてその大集団に食らいついていきました。
※また別の機会に書きますが、マラソンは誰かのペース、誰かのリズムに合わせて走って方が圧倒的に楽です。

そこからの集中力は我ながら凄まじいものでした。1km 4分12秒前後のコンスタントなペース、まるで海流に乗った船のような、ある意味心地よい流れに身を任せて走りました。

25km、30kmと進むにつれて、大集団はさらに大きくなります。順調さを取り戻したものの、少しずつ体に疲労がたまってきます。
「あと1km粘ろう」「もう1km粘ろう」
そう自分に暗示をかけ、集団にくらいつきました。

しかし35kmで限界がきました。マラソンは30km過ぎが一番きついとよく言われますが、まさにそれです。これまでとは全くちがう、自分の体ではないような、手足を必死に動かしても前に進まない、そんな状態です。

遠ざかる大集団の背中。遠ざかるサブスリー。
「あぁ、ここまでか・・・」
でもよくここまで頑張ったよ、といった諦めと慰め、言い訳の台詞が脳裏をよぎり、天使と悪魔のような二人の自分が戦い始めます。

しかしこの日の私はいつもと違いました。もう一度、息を吹き返したのです。
37km過ぎ、なぜか脳裏に色んな仲間たちの顔が思い浮かんできたのです。
ソウルに出発するとき、福岡空港まで見送りにきてくれた友人たち、そして東北からエールを送ってくれた元上司。

「みんなが待ってる」
「サブスリー達成したよ!と笑顔で報告し、少しでも元気づけたい」

実際は誰も待ってないし、元気与えられるほど大きなニュースでもない。
それでも、自分にとってはとても重要な、走る理由なのです。

そう思えた瞬間、自分の中に眠っていた、もう一段のギアにスイッチが入り、不思議とペースが上がったのです。

ここからは、ガムシャラに前を、つまり大集団の背中を追い続けました。とても汚いフォームだったと思います。でも、そんなの関係ない。絶対に諦めない。
40km過ぎ、ついにまた大集団に追いつき、
そして抜き去ったのです。
そこからもとにかく必死でした。1秒でも速く、1秒でも速く。みんなが待ってる。そう何度も頭の中で繰り返しながら。

(写真)ラスト100m。真ん中の黒いランシャツが私です。

2時間58分56秒。
ゴールした瞬間にそのタイムを見た私は、その場で泣き崩れました。嬉しさと安堵と、色んな気持ちが溢れてしまい・・・

走る理由。
それは人それぞれだし、どんなものでも構わない。
家族や恋人に良いとこ見せたい!とかそういうのでも良いと思います。
それがあるだけで、本当にきついときにもうひと頑張りできる!ということをお伝えしたかった。ただそれだけです。
ちょっと哲学的になりましたが、それもマラソンの一要素。
マラソンは、一人ひとりのドラマなんです。だから面白い。

※もう一つエピソードを書こうと思ってましたが、長くなってしまったのでまた別の機会に。

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