【水色日記】あの街の桜とメンチカツ

───んぁ。

カーテンの隙間から差し込む光で目覚めた朝。あぁ、もう感覚的にわかる。昨晩眺めながら寝落ちして枕元に転がったiPhoneを拾い上げて覗き込むと、映し出された時刻は十時少し前。やっぱりだ。そう、寝坊した。アラームの音が全く聞こえなかった自分の爆睡っぷりにやり場のないやるせなさを抱えて急いで支度する。とりあえず8枚切りの食パンをトースターにねじ込み、おとといから部屋に干しっぱなしのTシャツを手に取りそそくさと着替える。一通り支度を終え、食パンが焼き上がるのを待っている時、ふと思った。───あれ、きょう日曜日だ。


そう。今日は休日である。日頃せわしなく動いていると曜日感覚がズレてくるから困る。なんならもっと寝ててもいいくらいだった。急いで出かける必要もなくなり、食パンをくわえながら走って曲がり角で女子高生とぶつかるシチュエーションも起きそうに無い朝となった。

急いで支度した虚脱感と安心感がやってきた頃、食パンが焼けたのでコーヒーを片手にリビングへ向かう。一口コーヒーを含みとりあえずテレビを点けてみた。お昼のバラエティ番組の時間だ。なんの気なしに食パンをかじりながら見ていると、最近よく見かける流行りの芸人さんが公園を歩きながら『桜が咲いてきました』とリポートしている。

──桜か。そう言えば去年も一昨年も花見してないなと思った。おとといから続いた雨も止み、今日はいい天気だ。そうだな、たまには見に行ってみるか。いつもより少し早く起きた休日。食パンを二枚食べ終えた僕は今日、久しぶりに桜を見にいく事にした。


とは言ってもどこに行こうか。あまり遠出しすぎるのもアレだし、有名なスポットは人がゴチャついてそうで嫌だし。というかカップルたちがキャッキャウフフしてる姿を見たら桜なんぞソッコー散ってしまえとさえ思うだろうから、花見として成り立たない心境になるし。ああ、そうだ。丁度いい。前住んでた街に行こう。

今住んでいる街から電車で三駅。四年くらい住んだそこそこ馴染みのあるその街。駅から十分くらい歩いた一角の公園に、とても大きく立派な一本桜がある。街の片隅にあるその公園なら、遠すぎもしないし人もそんな多くない。丁度いい。とても丁度いいのだ。

自宅から最寄りの駅に着き、切符を買う。これといった意味はないのだが、遊びに出かける時、僕はいつも切符を買う。Suicaをピッとするのはどことなく味気ない。切符売り場の上の路線図を見上げ、目的地までの運賃を確認する。小銭をジャラジャラ投入口に流し込み、切符を買うこの瞬間、なんとなくワクワク感が増すのだ。


丁度いいタイミングに電車がきた。スッと乗り込み、ポチポチっとツイッターを眺め、自分の呟いたツイートにいいねが付いてるのを確認し、ムフフと思っているうちに電車は目的地に着いた。なにせたった三駅だ。

駅を降りると見慣れた商店街。二年ぶりに降りたその駅前は特に変わった様子もなく、強いて言えば黄色い看板のコンビニが緑色の看板のコンビニに変わっていたくらいだ。さて、緑色の看板のコンビニで缶ビールでも買って一本桜を目指すとしましょうか。

缶ビール片手にトコトコと歩を進め、駅前の商店街の切れ端。いい匂いが鼻をくすぐる。昔よく行ったお肉屋さんである。ココのメンチカツがこりゃまた美味いんだと当時の記憶が蘇る。ビールもある事だし丁度いい。ツマミがてら二つほど貰うとしよう。


──おまえも食う?危うく、そう言いそうになってしまった。あぁ、そういえばそうだった。昔付き合ってた彼女とよく来た肉屋。ココでメンチカツを買うたびに聞いてた口癖だ。返事は『一個はいらない。ひと口ちょーだい。』がお決まり。とか言いながら結局一個食っちまうから、二つ買ってたのもお決まりだ。買う個数まで癖づいていたとはなんだかなぁと思いつつ、少し白髪の増えたご主人からメンチカツを受け取った。

次の曲がり角を曲がれば目的の一本桜。駅前はあまり変わってなかったけど、この辺までくると新しいマンションがいくつかできている。肉屋のご主人も白髪増えてたし、時間はやっぱり流れてるもんなんだなとフワーっと考えてたら、到着した。

八分咲きの大きな桜の木が目の前にそびえる。思っていたよりも壮大だ。この公園の前はよく通っていたけど、まじまじと見ることはあまりなかったなと。一番アングルがいいベンチは、スーツ姿のサラリーマンが弁当を食べている。日曜なのにご苦労様です、僕はビールを飲んでいます、いいだろ、と心の中で呟きながら芝生に腰を下ろした。


思えば、最近ゆっくりしてなかったな。桜を見ながらここ数年の出来事を振り返る。いろんな失敗もした。悩みもあった。仕事も変えた。一からスタートするつもりでこの街を出たんだった。当時の決意に見合った姿を今の僕はしているだろうか。いろんな想いが交錯する中、桜は悠然と、堂々と立っている。励まされた気がした。なんかここに来て良かった気がする。自己陶酔とビールの酔いが丁度よく交じり合った頃合い、ボーーーっと、それはそれはシケたツラをしていたことだろう。


『──え?!なにしてんの!?』。完全に自分の世界に入り込んでた僕は、ビクッとした。あぁマジか。振り返らなくても分かってしまう。聞き覚えがありすぎる声だ。出くわすなんて、なんて丁度良くない日に来てしまったんだろう。平然を装って振り返ると、やっぱりそこには昔付き合ってた彼女がいた。僕史上、最大の恋愛をした元カノだ。

「あ、久しぶりだね」と自分的には軽やかに答えてみたつもりも、それはもう初めてエロ本を買いに行く中学生くらいには挙動不審な振る舞いだっただろう。『元気?』「ぼちぼちかな。そっちは?」『うん元気。ていうかなにしてんの?』「いやなんか桜見に行こうかなと思ってさ」『一人で?』「うん。」『ウケる。相変わらず無駄に行動力あるね』「るせーよ」そんなしょーもないやりとりをした後、変な沈黙。間がなんともイヤな空気だ。


彼女と付き合っていた期間は一年半ほど。一番長い付き合いをしたわけではないが、僕にとって一番思い出深く、濃厚な一年半を送ったのが彼女だ。少しくせ毛のショートヘアも、茶色いライダースジャケットが似合うスタイルも、人の心に土足どころかスパイクで入り込んでくる性格も、それゆえにすごく正直なところ、いつも風呂場の電気つけっぱなしにしてくるトコも、そして、いつだって底抜けに明るくて笑顔を絶やさないでくれたいたトコとか。全部ひっくるめて、文字書き屋の僕が言うのも難だが、言い表せる言葉が見つからないくらいに、当時大好きだった。

それほどまで好きだったのに、当時の僕は仕事人間だった。と言っても、稼ぎまくっていた訳じゃない。貧乏暇無し状態ってやつで。自分で事業を立ち上げて、どうにか軌道に乗せようという時期。それはもうがむしゃらに仕事に打ち込んだ。だんだんと彼女とはすれ違い、ある日の朝、リビングにはプレゼントしたキーホルダーと合鍵が置かれていた。そうだった。この時初めて気付いた。想いは僕の内側で膨らませていただけで、仕事ばかりに打ち込んでるうちに、“ありがとう”も“好きだよ”も、彼女の耳に届けていなかった。その結末、いつも底抜けに明るかった彼女から最後に言われた言葉はずっと焼き付いている。『あんたも私もここ数週間、笑ってないよ──。』

それからほどなくして、結局事業も失敗に終わり、僕は逃げるようにして今住んでる街へと移り住んだ。全部リセットして一からやり直そうと。彼女との思い出もリセットして。ここ数年、コツコツと人生を歩み直して少し気持ちに余裕が出て来たってのもあったから、今日この街にくる事を、選んだみたってのも実はあったんだ。彼女への未練もようやく断ち切れた頃合いだったし。そんな中での思いがけない再会だ。そりゃ挙動不審にもなるってもんだろう?


髪切った?少し痩せた?あれからどうしてんの?ネイルの資格は取れた?相変わらず手作りスムージー飲んでんの?投げかけてみたい言葉はたくさん湧く。というかそんな事よりも今更ながら伝えたい事だってあるのに、どうも口に出ない。やきもきしてキョロキョロしてると、白い紙袋が目に入った。そうだ。「メンチカツ、食う?」それは、変な空気を取り払いたくて咄嗟に出た言葉。『一個はいらない。ひと口ちょーだい』だって。気が抜けるよ、まったく。なんか時間が巻き戻った気がした。


それからは桜咲く公園で、他愛のない話に花を咲かせた。いろいろ近況報告とか、わざわざ書き連ねるような事じゃないこととか小一時間ほど。思いのほか長い事喋ってたなぁと思っていると、彼女がそろそろ行くねと。丁度よく僕の方も仕事の先輩からラインが届いた。暇してたら花見しないかいと。いま絶賛花見中だわと思いつつ、せっかくのお誘いも断るのもアレだしと思い、彼女との再会はお開きとする事に。帰り際「せっかく再会した事だし、近々食事でもどうだい?」と彼女に尋ねてみた。


......アレ?なんか変な空気になったぞ。いや別にもう未練とかないし、下心もちょっとしかないぞ()と。メシ誘うのはマズかったか?そう思っていると彼女が口を開いた。『私今日引っ越しするんだ。』

「えっ!!??!」今日一番、いや今年一番の大きな声が出たと思う。『実家の近くでネイルサロン開くことにしたんだ。いま引っ越し屋さんが荷物積み込んでて時間あるから最後にこの街散歩してたらさ、あんた見かけて声かけちゃった。』

急に寂しい気持ちになって少し黙ったいると彼女は続けた。『あんたと付き合ってる時、楽しかったし寂しかった。なんやかんやでイヤな別れ方しちゃったなって後悔もちょっとした。』『でも別れてからいろいろ考えて、夢を追いかけ始めてみて、あの時一生懸命頑張ってたあんたの気持ち、今すごくわかる気がする。』『私も自分で頑張りたいなって思って実家の方でネイルサロンやろうって思ったの。』『今の私があるのは必死で頑張ってる姿を間近で見てきた影響もあるんだ。』『これから私も大変になると思う。最後の方笑えなくなってたあんたみたいになるかもしれない』『でも今のあんた見てると励まされる気がするよ。だってあの時とは別人のようにいい顔してるもん。頑張れば、そうなれるかな?』『久々に、最後に、会えて良かった。私頑張るよ!これで気持ちよく、いい思い出としてこの街を旅立てる。ありがとう』そこには、かの日々に見慣れた、満面の笑みがあった。対照的に僕の表情はというと、まぁ御察しの通りだ。


僕は変われているのだろうか。前に進めているのだろうか。そんな悩みの答えを、今日この桜の樹の下、かつての大切な人から教えてもらった。思いつきで花見に行くのも、悪くないもんだ。今日この街に来て、本当に丁度良かった。変わってないと思う街も、同じく人も、時間とともに少しづつ変わっていってる。間違いなく進めているのだ。僕の内に燻っていた冬景色は、春の日差しに包まれた。

今日一番、いや今年一番、いやここ数年で一番の笑顔を見せ合い、今度は面と向かって別れを告げあった。『お互い頑張ろうね!』と言い、一口かじった冷えたメンチカツを口に放ると、彼女はこの街を旅立った。

ふと時計に目をやると、数字はゾロ目に並んでいた。今日は本当に、丁度いい──。






っていう、妄想を一通り終えたので花見行って来ますね。

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