思うこと。
先日、京都アニメーションのメインスタジオが放火によって全焼した。スタジオへの放火。日本アニメ史において放火という形でスタジオが壊滅した事例は初めてではないか。
スタジオの壊滅。生産拠点の消滅。倒産によるスタジオの消滅は幾らでも起きていたし、あるいはロックアウトによってスタジオが閉鎖した例もある。しかし無関係者による放火という暴力でスタジオが壊滅した例を僕は知らない。
スタジオが無くなるということ。制作現場が無くなるということ。働くことができないということ。そこで働いていた労働者たちにとってそれは死と同じである。幸いにも京都アニメーションは制作スタジオを幾つも持っていたため、生産拠点は移転でき、アニメーション制作は続けることができる。しかしメインスタジオの壊滅の影響は甚だ大きい。
僕は、30名以上のスタッフが亡くなった喪失感よりも、一つのスタジオが無くなった喪失感の方が大きい。しかも暴力によってスタジオが壊滅したという現実がその喪失感を一層増幅させる。労働者が一番恐れなければならないのは生産拠点が無くなることだ。
存在意義を失った。アニメーションを作ることが、存在することの意義であった。存在意義が、無関係な他者によってしかも容易に奪われることができる事実に何よりも恐怖を覚える。「絶対に生産拠点を放棄してはならない」と宮崎駿は東日本大震災時に言った。アニメーションを作るのは、クリエイター、あるいは芸術家というよりも、労働者であることを、労働争議が激しさを増した60年代から70年代の東映動画に在籍していた宮崎駿は誰よりも理解していた。スタジオが無くなることを、現場で働く作り手たちは何よりも恐れなければならない。フリーランス(個人事業主)がアニメ業界の大半を占めている今とは違い、スタジオに所属することが昔は大きな意味を持っていた。いや持たなければならなかった。スタジオが安定的に作品を制作し続けるためには作り手が安定した労働環境と生活が保障されなければならない。東映動画労働組合はそう信じていた。しかし東映ロックアウト事件以降急速に彼らは存在感を失い始めた。そしてそれと並行するかのようにアニメ業界の雇用形態が契約者制度が主流になり始めた。それは、アニメの作り手たちが労働者としての自意識が失い始めたことと言っても良い。少なくともかつての東映動画労働組合はそう思うはずである。
そうした業界の風潮に抗い続けたスタジオの一つが京都アニメーションであった。毎年一定のクオリティを保ちながら安定的に作品を作り続けていた京都アニメーションは、かつての東映動画労働組合が理想としていたアニメスタジオの像であったはずである。作品の形態がテレビアニメとアニメーション映画の違いはあれど、「良い作品を作ろう」というスローガンの一つの実現であったはずだ。
スタジオが無くなった。存在意義が失った。そして作り手たちが亡くなった。業界に暗い影がまた指し始めている。少なくとも僕はそうした気持ちを抱いている。