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映画『幼女戦記』
映画『幼女戦記』が滅法面白い。
先の大戦を、理性主義対運命愛の戦いとして描くアイデアからして既に面白い。
主人公は現代の典型的なそして出世主義的なサラリーマンであり無神論者であり合理主義者である。逆恨みした部下により殺された主人公は、存在X=神によってその性格を矯正するために異世界に転生される。その異世界は魔法が存在することを除けば戦争に明け暮れる20世紀そのものである。主人公は戦争を非生産的だとし忌避するが、その合理主義的、近代主義的な性格故に、軍隊という規律社会に適合されていく。
主人公は「正しく」存在し、戦い、人を殺す。何故「正しい」のか。理性と法によって定義され保証されているからだ。が、その「正しさ」はそれから逸脱する「正しさ」(復讐)を生み出す矛盾を孕む。後者の「正しさ」を定義するのは、規律や功利主義ではなく、不合理且つ感情である。そしてその「正しさ」こそが人間らしさを獲得する。ドストエフスキーが地下室の手記で肯定した「正しさ」である(反社会主義)。
主人公は存在Xを憎む。神の意志=運命に抵抗する。しかしその抵抗は運命愛の裏返しである。運命を敵視し続けることはその対象たる運命の存在を容認しなければ成立しない。反運命という運命愛が存在理由なのだ。運命の対義語は偶然性である。有効的な作戦立案、計画通りを望む主人公は偶然性に身を任せない。その行動矛盾に気づかない限り、主人公は存在Xに負け続ける。
そのようなアイロニーを描くこの作品は単純な娯楽として優れているだけでなく知的にも優れている。
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