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シンエヴァはあまりにも「庵野秀明」過ぎるのではないかという話

2021/3/29の虚行通信です。ネタバレもあるので気を付けてください。

エヴァ

文章にするのが難しいが、とにかく題名の通りだ。

エヴァンゲリヲン…というかシンエヴァはあまりにも「庵野秀明」過ぎると私は思う。

そもそも旧作(wikipediaだと”旧世紀版”とか書いてあったがそんな呼び方あったか?)と呼ばれているテレビアニメ版および劇場版2作は、紛れもなく「庵野秀明」であったと思う。

「庵野秀明」という人間が体験した事、エヴァの制作をする中で感じたこと、そして「庵野秀明」という人間の人格そのものを色濃く反映した作品であったといえる。

そうでなければもう少し視聴者に寄り添ったストーリーにできたはず(これは新劇場版を見れば明らかであろう)だし、作中に監督から個人へ向けたメッセージを出さなかったと思う。

作品が全く視聴者の方を向いておらず、監督の方面しか向いていないにもかかわらず、その不気味な魅力に周りが惹かれて、でも全然納得のいく終わりをしてくれなくて…

というのが、個人的な旧エヴァの印象だ。

特に劇場二作目の「air/まごころを君に」は完全に私怨とも思える内容のオンパレードだったためファンからは結局ひんしゅくを買ってしまった。


そんな感じで自分のために書いてたはずの同人誌がいつの間にかベストセラーになっちゃったみたいな作品、エヴァンゲリオンは新劇場版として生まれ変わったわけだ。

今度のエヴァは監督だけでなく、しっかりと視聴者の方を向いてくれていた。

序、破と分かりやすい王道の展開を経て、主人公シンジの成長を描き、Qで完結へ向けた舞台づくり、そしてシンで綺麗に完結。
とまあ、ストーリーの面だけ見れば旧作とは比べ物にならないくらい進化したエヴァンゲリオン。

シンのキャッチコピーでもある「さらば、全てのエヴァンゲリオン」の名の通りエヴァの呪縛に完全なる終止符を打った作品だったと思う。


思うんだが…

少し疑問な点がある。

何故レイやアスカではなくマリなのか、という点だ。

もしエヴァンゲリオンが本当に視聴者の方向を向いて制作されているなら、ぽっと出のマリではなくお馴染みの面々とくっつく…もしくはシンジは誰ともくっつかないで終わる方が綺麗に見える気がする。

ではなぜマリなのか。

そんなのは簡単だ。一つの文章で説明できる。

マリが安野モヨコだからだ。


たったそれだけである。

そこにはロジックなんて存在しない。

監督がシンジの救済のために用意した新しい器がマリだった。ただそれだけだ。

本当に何の脈絡もない。

旧作では「6人の女性」に感謝の言葉を述べた庵野秀明が、今度は自分の妻に感謝を述べた。ただそれだけである。

その視点があれば、シンエヴァは簡単に読み解ける。

ゲンドウの独白も、完全に監督から妻へのラブコールに見えてくる。

というか、マリがシンジを導いた事、マリがシンジとゴールインしたことの理由として最も説得力があり、最も分かりやすい理由はこれしかないのだ。

いくら設定や理屈で武装したところで、「シンジ」という名の「庵野秀明」を救ったのは「マリ」という名の「安野モヨコ」だった。それだけだ。

結局エヴァンゲリオンはファンの方なんか向いてなかったし、分かりやすくなっただけでずっと監督は監督自身のためにしかエヴァを作っていなかったんだと思う。

私はそれが許せない。

エヴァという作品を私物化しているとさえ思う(冷静に考えれば庵野監督の著作物だから私物化もクソも無いのだが)

彼は、エヴァンゲリオンを作品を待ってくれているみんなのために完成させたのではなくて、自分がエヴァンゲリオンから身を引くために完成させただけなのだ。

だったら、最初からシンジに感情移入するような造りにするなよ。といいたい。

これは私の自伝ですよ。と割り切って、もっと複雑に、思いの丈を書けよと言いたい。

私は、エヴァを自分の物語だと思ってみていた。

「自分の物語」は言い過ぎかもしれないが、この作品のファンの中にシンジに感情移入していなかった人はいないと思うし、少なからずシンジと自分を重ねていたと思う。

そして、新劇場版は限りなく見ている人たちに寄り添って作られていた。

序、破では主人公としてのシンジに感情移入し、Qでは周りの急激な変化についていけないシンジと困惑する観客をうまくリンクさせることで舞台の急激な変化を自然に描いた。

観客とシンジがシンクロするように、シンジに感情移入できるように作られていたと思う。

それなのに、庵野秀明はシンジを自分自身の投影に使い、また視聴者を突き放した。

自分だけエヴァの呪縛から解放されて、観客を置いてけぼりにしたのだ。

マリ以外の要素を完璧に仕上げることで、独りよがりな結末を誤魔化し、観客を無理矢理に納得させた。


いや、もしかしたらこんな文句をつけること自体が間違っているのかもしれない。

ヱヴァンゲリヲンという作品は最初っから庵野秀明のための作品で、我々のような一般オタクのために作られた作品ではないのかもしれない。

ただ、私はエヴァンゲリオンに、シンジに感情移入しまくってたし、シンジや綾波、アスカ、ゲンドウ、カヲルくん、みんなが救われる終わり方を待ち望んでいた。

そして、シンエヴァはそれを全てかなえてくれた。

ただ一つ、マリという名のしこりを残して…


最後のあのシーン以外は本当に非の打ち所がない、ファンサービス満載の最高の作品だった思う。

だからこそ憎い。

綺麗に終わらせやがって。

勝手に卒業すんじゃねえ。

これ以上エヴァは作らない気か?

私にもっとエヴァを見せてくれ。

頼むから。

ねえ…

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