切っても切れない縁に支えられて(承)
弟が不登校を始めたのは、小学校4年生…私が中学2年生のことになる。
理由は、聞かなかった。なぜなら、私たち兄弟はあまり仲が良くなく、聞いても傷付けてしまう気がしたのだ。
夜、家に付いた車の中で、母に『今は、側にいてやってほしい』と気持ちを伝えた。母は、20年勤めていた保母という仕事を辞め、弟が曲がらないよう、弟のそばに居てくれた。
父の起業、弟の不登校、母の鬱…解れ始めた家庭に創価学会は来た。
ただし、私は自分の将来に向けて爆走中。夢は、たくさんあった。保母、デザイナー、専業主婦、建築家、カフェオーナー。私が、元気で頑張っていたことで、家族の気持ちを支えることができた。
側には、居てあげられないけれど、関東から元気を送るね…私には、私の人生があって、側にはいられない…
『私が信じ、求めれば良いのだ』で、私は『体調が悪い時、側にいてくれた友を友と呼ぶ』と誓った。
家族に対する気持ちは、私が利用されたと感じる知人に対するものと同じなのだろうか…。
友情は、親しき仲にも礼儀あり、だと私も思う。家族親戚くらいは、甘えても良いのではないかな?切っても切れないのが血族の縁。
私も結婚式では、家族親戚に甘えた。
とても喜んでもらえ、良い式となった。事情は、私は仕事が続いておらず、統合失調症で誰を信じてよいかわからなかったから、呼べる相手がいなかったし、夫は転勤後で部署が分からず、同じく誰を呼んでいいかわからなかった。式場は、親族式なら遠く、夫の生誕地・北海道で挙げたら、呼ばれなくて良かったと思う方々が多いかな、と思ったので、トマムの水の教会を選んだ。大学時代に建築を学んでいた私は、もちろん安藤忠雄が好きだった。
皆さんへの礼儀があったようで、2012年9月22日の北海道は、朝から晩まで快晴で、挙式の朝は、母と夫の3人で雲海を眺めた。
父と伯父、弟は、挙式の前夜、札幌ビール園でビールを堪能していた。叔母も駆け付けてくれ、私が小さかった頃から、側で見守ってくれた親族は、ただ喜んでくれた。
両家とも親戚仲が良く、夜の式だったが、温かい式となった。
仲良しのフリをして結婚式に駆け付け、私のウェディングドレス姿を笑おうとしていた、知人を振り、私は自分の本性を曝け出すことができた。弱虫だった私は、自虐をしながら、友達を作ってきた。結婚式まで笑おうとしてきた知人を振れたことで、恥をかかずに済んだのだ。
私の人生は、平坦な道程ではなかったが、ご縁の世界で生かされている。あなたもわたしも…
あなたも結婚してよいのだよ
ただ信じ、求めれば良い。
信州須坂市
長野で生まれ、長野で育ち、一生を過ごすみんなへ。愛しています。
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