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8月9日

8/9
おばあちゃんの命日だったので、お墓参りに行った。
高校生の頃、2人で住んでいたのを思い出した。
高校生からはかほがご飯を準備していたな。

幼稚園から小学校の頃は従兄弟のはるとよく2人で泊まりに行った、1と6がつく日は毎回近くでお祭りがやってて、たくさん連れてってもらった。
すごく好奇心のある人で、よく海外に行っては向こうの子供服を買ってきてくれたり、たくさんのジュエリーを見せてくれたのを思い出す。

おばあちゃんが施設に入る前にこっそりかほにだけだよって言って、おばあちゃんのお気に入りのジュエリーから好きなものをいくつか特別にくれた。特にオパールの指輪が好きで、おばあちゃんの指についてる時はいつも光を当ててキラキラだねって見ていたな。
おばあちゃんが亡くなって、私はおばあちゃんが好きだったルビーの指輪とおばあちゃんが生まれた時に作ってくれたルビーのついたベビーリングをネックレスに通して毎日つけるようになった。

一緒に住んでる時のおばあちゃんとの日々は楽しかった、高校生だったけど一緒にお風呂に入って洗いっこして、ママだったら許してくれないけど夜中に一緒にアイス食べたりした。寝れない日は毎回一緒に寝てくれた。オアシスのような人だったな。

もちろん辛いこともあったな、一緒に住んだ理由はおばあちゃんが認知症になったことだったし、高校生が一緒に生活するってだけで少し大変だ、高校生の私なんてやっぱり赤ちゃんだし。
最後までかほの名前だけ覚えてくれてて、それでもやっぱりご飯を食べさせてあげたり、だんだんとうまく意思を伝えれなくなっていくおばあちゃんを見ているのはしんどかったし、でもずっと私のそばにいてくれたしな。とこのくらいはしないとなにも返せないな…とかずっと思ってたし、私よりままとかのが辛いしな…絶対弱音吐けんよな…とか思ってた。まあそもそも好きだしかわいかったしおばあちゃんのこと。

死ぬ日の前日に大好きだった千疋屋のゼリーを持って行ったら食べてくれて、最近食べなかったんですよ!って言われながら、なんとなく色々察してて、泣きながら一緒においしいねってもちろん声が返ってくるわけはないんだけど、食べたね。ゼリー。あれからゼリーをあんまり食べなくなっちゃったな。

そんなことたくさん考えてたらすごくおばあちゃんに会いたくなった。お墓であったけど、しわしわの血管の浮いた手でまた手をつなぎながら中華街までお散歩して肉まん食べたり、縁日に行って金魚すくいがしたいな。もう叶わないんだけど、いつかまたそんな日が来るかもなと思っている、そんな気持ちで今日はママのちょっとだけシワッとした手とかほの少し大きくなった手をつないで歩いた三連休の二日目でした。

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