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(詩)呼吸

呼吸 

みずみずしい負け戦から戻り
冷たい暗闇に横たわる
傷癒えぬまま涙も枯れ
何もしない
ただ息をしているだけ

深くふかく息を吐く
怒りの毒素を 苦い悔恨を
傷口から流れ出る血の匂いを
嗚咽になりきれない悲しみを

何度でも吐き続ける
自分が空っぽになるまで
自分が裏返しになるまで
自分が自分でなくなるまで

このまま吐き続けたら
穴のあいた風船のように
無限に小さくなって
世界から消えられるだろうか

しかしいつまでも
吐き続けることはできず
仕方なく息を吸う
また呪詛が吐けるように

吐いて 吸って 吐いて 吸って

続けるうちに気がついた
吸い込む空気の甘やかさを
こんどは意識して
ゆっくりと息を吸ってみる

すると胸に流れ込むのは
大切な人びとの面影
許されているという慰め
まだ見ぬ曙光への期待

ひんやりした酸素を味わっていると
不思議な静けさが心に広がる
熱くたぎっていた言葉たちが沈黙し
夜の語りかけに耳を傾けるようになる

吐いて 吸って 吐いて 吸って

何もしない できない
ただ息をしているだけ
でも おれはここにいる
たしかに生きている

いつのまにか
おれ以外の何かが
この肺を使って呼吸している
息することは
生かされていることだ

吐いて 吸って 吐いて 吸って

ただ息をしている
ただ生きている
それだけで 幸せ
それだけで 十分

(MY DEAR 335号投稿作・改訂済)


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