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(詩)自分の顔

自分の顔 

ある朝いつものように家を出て
いつもの道を駅まで歩いていると
十メートルほど先を歩く一人の男
その後ろ姿を見て
奇妙な感覚に襲われる

ぼくと同じ背格好
同じような紺のスーツを着て
同じような革靴を履いている
それは自分の後ろ姿のよう

自分の背中など
ほとんど見たことがない
鏡で見るのはいつも正面からの姿で
後ろ姿を撮った写真や動画もない

それなのに
今前を歩いている男は
ぼく自身ではないか
そんな思いに囚われた

同じ歩幅
同じ速さで歩くので
互いの距離は変わらない
男は一度も振り向くことなく
まっすぐ前を見て歩いていく

これは数秒後の未来のぼくなのか
それともドッペルゲンガーか
いや他人のそら似ではないのか
男の背中を見つめながら考えたが
答えのないまま駅に着いた

通勤客でごった返す駅の構内
男を見失わないように
ぼくは必死でついて行った

ホームに出たとき
追い越して振り向き顔を見たい
その衝動が抑えられず
ぼくは人混みをぬって駆け出した

するとまるで気づいたかのように
男も同時に走り出し
発車間際の列車に飛び乗った
続いて乗ろうとしたぼくの眼前で扉が閉まり
ぼくは走り去る電車を呆然と眺めていた

ぼくはのろのろと向きを変えると
ホームの反対側に止まっていた
別の電車に乗り込んだ

乗ろうとしていたものとは反対方向
会社ではなく海に向かう電車だ
ラッシュと逆方向の車内に人影はまばら
ぼくは空いていた座席に
崩れるように座り込んだ

やがて発車のベルが鳴り
電車は動き始めた
今日歩むはずだった人生とは
反対の方向へ

ぼくは座席にぐったり身を預けたまま
今しがた見た信じられない光景を
必死に脳裏から振り払おうとしていた

男は発車寸前の電車に乗り込んで
閉まったドアのガラス越しに向きを変えた
それはまぎれもないぼくの顔だったのだ

もう一人のぼくは
ホームに立ち尽くすぼくの代わりに
出勤していったのだろうか

下り列車の車内でぼくは
会社に連絡しようと
スマホを取り出した
画面に反射する顔に違和感を覚えて
慌てて窓ガラスを見ると

 そこに映っているのは
 ぼくのようでぼくでない
 初めて見る顔だった

思えば
これまで自分の顔さえ
本当には見ていなかったのかもしれない
この顔とこれからどう付き合うか
今日はゆっくり考えよう

ネクタイを緩めると
その上の顔は心なしか
生気を取り戻したように見えた

今初めて素顔に戻ったぼくを乗せて
列車は海に向かって進み続ける

(MY DEAR 337号投稿作・改訂済)


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