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(詩)トイレのない国

トイレのない国 


旅の途中に立ち寄ったその小さな国は
現代的で清潔なところだった
通りにはごみ一つ落ちておらず
治安もとても良さそうだ

賑やかなショッピングモールで
買い物と食事を楽しんだ後
トイレに行こうとしたが見つからない

ここのトイレは
ずいぶん分かりにくい所にあるらしい
そう思って館内の案内図を見るが
どのフロアにもそれらしき表示はない

どこかにあるはずだと思って
インフォメーションデスクに出向き
コンシェルジュに尋ねた

「トイレはどこですか」
「トイレはありません」

ぼくは面食らった
「トイレがないとはどういう意味ですか?」
「申し上げたとおりです
 ここにはトイレはありません
 この国ではトイレの設置は
 法律によって禁止されています」
「ではどこで用を足すのですか?」
「用は足しません
 排泄行為は違法ですから」

整った顔立ちのコンシェルジュは
「排泄」という言葉を
さも汚らわしげに口にした

ますます混乱しながらも
ぼくは必死で食い下がった
「そんな馬鹿なことがありますか
 人間だれだって排泄するでしょう
 どんな法律だって
 自然な生理現象を禁じることはできないはずだ」
「人間は政治的存在です
 公衆衛生に関する国家の要請は
 個人の生物学的必要に優先するのです
 とにかくここにはトイレはありません
 わが国では一切の排泄行為は禁止されており
 違反すると厳罰に処せられます」

ぼくはくらくらする頭を抱えながら
インフォメーションデスクを離れた
コンシェルジュの言葉は何一つ理解できなかったが
一つ確かなことがあった
どこかでトイレを見つけなければならない
一刻も早く

ショッピングモールを出て
周囲の建物を手当たり次第に探したが
結果は同じだった

この国にはほんとうに
トイレというものが存在しないらしい

ぼくは信じられない思いで
通りを行き交う人々を見つめた
彼らは排泄しないで
どうやって生きているのか

だがそんな疑問を追求している暇はなかった
尿意は限界に達している
たとえトイレがなかったとしても
どこかで用を足さなければならない

額から脂汗を流しながら
隠れて用を足せる場所はないかと
街を歩き回っていると
ちょうどビルの谷間の薄暗い路地の片隅に
表通りから死角になっている場所があった

ぼくはあたりを見回して
人気のないのを確かめると
コンクリートの壁に向かって立ち
ズボンのジッパーを下ろした

「おい そこで何をしている」
びくりとして振り向くと
どこから現れたのか
背後に二人の警官が立っていた

とっさのことに何も言葉が出てこない
「立ち小便は重罪だと知っているな
 今回は未遂だが
 一応取り調べのために署まで来てもらおう」

両側から腕をつかまれ
引きずられるようにして
パトカーに押し込まれた
だがぼくの頭にあったのは
取り調べへの不安や恐れではなく
罪でも何でもいい
とにかく用を足したいという一事だった



目が覚めると
自室の布団の中だった
身体じゅうが寝汗で濡れている

夢だったのか

気がつくと膀胱が破裂寸前だ
無意識のうちに感じていた尿意によって
あんなおかしな夢を見たのに違いない
あそこで放尿しなくてよかった

ぼくは苦笑いしながら起き上がると
トイレに向った

排泄後の解放感に満たされて
トイレから出てきたそのとき
玄関のドアが激しく叩かれた
権力を持った人間がするように
強く 執拗に

(MY DEAR 322号投稿作・改訂済)


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