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ある日、少年が降ってきた

 ある日、少年が降ってきた。
 文字通り、降ってきたのである。落ちてきた、というよりは、降ってきた、という方が表現としてしっくりくるような、現れ方だった。
 私はよく行く河川敷の橋の下で寝転がっていたのだが、彼は私の真上にあった橋をすり抜けて降ってきた。
 私の真上に降ってきたものだから私は逃げる間もなく、彼は私に覆いかぶさるような形で乗っかってきて、けれど彼には質量というものがなく、私の体をすり抜けた。
 そのまま地面も突き抜けるのかと思いきや、彼の体は地面に接触して止まった。 
 私は慌ててそこから飛び退いた。恐怖はなかった。ただただ驚いた。
 私はそっと手を伸ばして彼に触れた。やはり触った感触はない。ただなんとなく、そこは温かいような気がした。
 私がそうして彼を観察していると、彼はゆっくりと体を起こした。
「いてててて……」
 彼の口から発された声は透き通っていた。いてて、と言う事は痛みを感じることができるのだろうか。体は透けているのに。彼は私の目線を全く気にしていないようで、きょろきょろと自分の体を見回し、それから景色を見回してから、彼の目線が私を捉えた。彼の瞳は澄んでいて、その綺麗な瞳に私の顔の姿が映っていた。
「はあ、また失敗か」
 そう言って彼は俯いてズボンをパンパンと叩いたが、音はしなかった。呆気にとられている私を見て、ごめんね、と呟いて、こちらに手を差し出してきた。
「驚かせてごめん。はじめまして」
「……はあ」
 私はそっとその手を握ろうとしたが、やはり掴めなかった。
「ふうん。やっぱり触れないか」
 彼は残念そうに呟いて、自分の手を見つめていた。読めない表情をして手を見つめている彼に、恐る恐る声をかけた。
「あ、の」
「うん?」
「えっと……」
「ああ、僕が何者か気になるとか?」
 私は何と言っていいかわからなくて、とりあえず彼の言葉に頷いた。
「うーん、そうだなぁ。いわゆる未来人っていうのがわかりやすいかなぁ。過去へのタイムトラベルを実験しててね」
「たいむとらべる」
 フィクションでよくあるやつだ。そんなこと有り得るのだろうか、という疑問は、彼の言うことを信じるならば、この彼の存在によって否定されていることになる。もしかしたらそう言ってる何か――例えば、体が透けている代表例として、幽霊、とか。
「僕はその実験の手伝いをするために作られた人工体で――あ、人間だって人間から生まれるんだからある意味人工体か――えっと、ヒューマノイド、うーん、アンドロイドっていう呼び方の方がメジャーなのかな」
「あんどろいど」
「そう。僕を作った人が――あ、ごめん、つい喋っちゃった。こういうのは本当は秘密なんだけど」
 へへ、と彼はいたずらっ子のように笑ったが、それはどう見ても人間にしか見えなくて、私の頭はとうに回転を止めていた。未来からアンドロイドの男の子が降ってきた。そんな現実があるものか。いやあるのだ。今目の前に、私の身に起こっている。私は不思議と冷静を保ちながらも、驚いていた。
「興味なかったらごめんね。僕おしゃべりだから。人と話すの好きなんだ」
「……ううん、もっと、聞きたい、かも」
「本当? じゃあ少し付き合ってくれるかな。多分しばらくしたら帰れると思うから」
 そう言った彼は本当に嬉しそうで、できれば彼に触りたい、なんて思ってしまった。

 私は彼に、座って話そう、と提案し、河川敷の坂に並んで座った。他の人からはどう見えているのだろう。私の隣に、少年の幽霊が座っているように見えているのだろうか。
「未来って、どんな感じなの?」
「そうだなぁ。街並みはそんなに変わらないよ。電光掲示板がちょっと増えたくらいかな。液晶画面じゃなくてホログラフィックディスプレイーーあー、えっと、宙に透明な板が浮かんでる感じのディスプレイができたけど、後ろが透けて見えるから視認性があまり良くなくて使いどころが限定されちゃって、結局液晶画面の方がまだ使われてる。車はほとんど自動運転化されたよ」
「そうなんだ。スマホとかゲームとかはどうなってるの? やっぱりVRとかARとかになってるの?」
「レトロはレトロで残ってるよ。VRじゃないゲームじゃないと表現できないものがあるから。スマホもあんまり変わらないかなぁ」
「……君は、いつ、生まれたの?」
 今と未来と比較できるくらい詳しい、ということは、もしかして彼は見た目よりも年上なのかもしれない。私はそう思って、けれどなんとなく触れちゃいけない気もして、少し躊躇いつつも尋ねてみた。
「正確には覚えてないかな」
「今の時代のこと、詳しいんだね」
「何度か来てるから」
「他の人には見えないの?」
「見えないときもあったよ。でも最近見えるようになってきたみたい。でも見られても悲鳴を上げて逃げられちゃう。そういえば、君はよく逃げなかったね」
「びっくりしすぎちゃって」
 人間驚きすぎると一周回って冷静になるらしい。私はなんだかおかしくなってきて、ふふふ、と笑ってしまった。そんな私を見て、彼も笑った。
「嬉しいな。今まで誰ともまともに話せたことなかったから。体が透けてると幽霊だと思われるみたい」
「未来にも、幽霊っているの?」
「僕は見たことないけど。でもいるんじゃないかな。僕を作った人――あー、そうだな、こういう場合よく博士っていうパターンが多いみたいだから博士って呼ぼう――博士は幽霊でもいいから会いたい人がいるんだって。その人に繋がる人がこの時代にいるから、ここに飛んできてその人の運命を変えたいみたい」
「運命?」
「病気に罹って死んじゃうんだけど、それをなんとか治して、あるいは病気に罹らないようにして、生き延びて欲しいんだって」
「そうなんだ」
「でも本当にいいのかなぁ」
 彼は不思議そうに首を傾げた。
「嫌なの?」
「嫌なわけじゃないけどさ。よくあるだろ。誰かの運命を変えたら別の誰かが死んじゃう、みたいな展開。それって結局エゴじゃないか。自分の好きな人が生き延びれば他の人は死んでもいいっていうことだろ。自己中心的すぎると思うな」
「確かに」
 フィクションのように、なんとかグッドエンディングにならないものだろうか。
「それに」
 彼は寂しそうに、声のトーンを低くして言った。
「そうなったら僕はお役御免だ。僕も博士のエゴによっていなくなるのさ」
「……死んじゃうの?」
「死ぬっていうのかなぁ。アンドロイドだから壊されるっていう方があってる気がする。結構これでも楽しんでるんだよ。過去の街並みや人混みを観察するの。いろんな人がいて、未来とは違う景色が見れて。君みたいな人にも出会えたし。それができなくなるのは少し悲しいかな」
「私も、君が消えたら悲しいよ」
「本当?」
 彼は意外そうに、けれど嬉しそうに破顔した。
「そう言ってくれて嬉しいな。僕は使い捨て用だから」
「使い捨てられちゃうの?」
「わかんない。でもこの実験が成功したら僕は用済みだし。僕をそのままにしておくメリットも特に見当たらないし」
「……まるで、道具みたいだね」
「道具だよ」
 彼はさも当然のことのように言った。
「でも、生きてるのに」
「生きてる、というより、動ける状態を維持してる、って感じだしなぁ。生きてるのとは違うよ」
「でも、こうして私とお話ししてるよ?」
「それはオマケの機能みたいなもんだよ」
 彼は自分の存在について、さっぱりとしていた。自分の事について興味がなさそうな感じではなく、本当にそう自分の存在を捉えているようで、諦めとかともまた違っていた。
「こうして話せないと状況を伝えたりするのに不便だから。だから多分、事細かに説明できるようにこうしておしゃべりできるプログラムにしたんだろうし」
「プログラム、なんだ」
「プログラムだよ。人間だって遺伝子っていうプログラムで動いてるだろう?」
「うーん、それは、そう、なのかなぁ」
「それは別にわかってるからいいんだ。でもそのオマケの機能が結構気に入ってるから、それができなくなることだけちょっと寂しいかな。でも――」
 彼は立ち上がって、私の正面に立って私を見つめた。彼の目は透き通っていたけれど、アンドロイドのような人工的で無機質な感じではなく、まるで生きている人間のそれと全く同じで、この瞳の光がいつか消えてしまうと思うと、胸が苦しくなるほどに、綺麗に輝いている。
「君に会えてよかった。僕の話を聞いてくれて本当にありがとう。楽しかった」
「もう、行くの」
「うん。そろそろみたいだ」
「……また」
「ん?」
「また、会えないかな」
 そう言うと彼は意外だったらしく目を丸くさせてから、ハハハと笑い声をあげた。
「君は変わってるね」
「よく言われるよ」
「そうだな。僕もまた君に会いたいよ。もし君が長生きしてくれたら、会えるかもしれないな」
「……長生き」
「うん。できそう?」
 ぐるぐると頭に暗闇がかかった。怒鳴り声、泣き声、責め立てる言葉、癒えない傷痕、見えない何か、酒、煙草、握ったナイフ。それらが走馬灯のように駆け巡った。けれど目の前の彼を見ると、その暗闇はなんだかすーっと晴れて、不思議と世界がいつもより明るく見えた。
「……ちょっとだけ、がんばってみる」
「ありがとう。でも僕のためだけに生きないでね」
「でも私は、君のために生きたいよ」
「ありがとう」
 最後に彼は微笑んで、空気に溶けるように消えていった。

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