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恥ずかしさ物語 〜 笑われる勇気が生まれるまで 〜

今日はとても変な話を書く。多分ほとんどの方に共感してもらえない部類の話だと思う。それとも同じような人はいるだろうか。

私の中に度々起こる望ましくない幾つかの感覚。中でも断トツの頻度を誇り出現するのが「恥ずかしさ」である。……なんて嫌なものだろう。できればこんな相手とはお見知り置きなく過ごしたい。ところが私はこれを嫌ってなどおらず、いや長い付き合いの果てついに愛着まで抱くに至ったという、これはそんな奇妙な物語である。

なお、この時点で先読みをしてしまい共感羞恥みたいなものを引き起こしてしまった人が万が一にもおりましたら、どうか無理をせず踵を返してご自分のホームへとお戻りくださいませ。

出会い

初めて出会った日のことは今でもよく覚えている。幼稚園の頃にイジメ──後に思い起こすとあれはいわゆるそれだった──に遭ったとき。数人に囲まれて(〜内容は伏せる〜)されそうになり私は抗った。力いっぱい抗った。幼稚園の白い天井を食い入るように睨みつけながら、歯を食いしばり、手で払いのけ足で蹴りを入れて抗った。その後どうなったかはよく覚えていない。しかしあの瞬間生まれた「自分は恥ずかしい人間なんだ」という感覚。まさかその後何十年も付き合うことになるとは思いもせず、それはしれっと私の心の居間に居座った。

小学生の頃、それは私をひどく苦しめた。「お前はおかしな人間だ」「お前は人に指を差されるような人間だ」「皆ができることができないし、皆が楽しむことを楽しめない」「皆が笑っているときに一人物陰に隠れて泣いている」「皆が走り回っているのに一人隅っこで震えている」「そんな小さなことが気になる人なんて周りにいないぞ?」「お前は変な女の子だ」陰湿な声で耳元で囁いてくれる。はい、そのとおり。返す言葉もないです。

意地悪いその囁き声は、二十代の頃さらにひどくなった。
「もう大人なんだから、いい加減恥を知れ」「それ見ろ、やっぱりな。お前はそういう人間だ」「ほらほら、今日も皆がお前を笑っている」「現実をしっかり見ないとな。お前のこの哀れな姿を」
大抵何かをするときいつでもそれは私につきまとった。一度私の性格に関心を示してくれた人(以前も書いた孤高の人)にこれを説明したことがあるけれどその人は『んー原因ってなんだろう……?』とひどく悩んでいた。困らせて悪いと思いつつ私は何も言えなかった。
こんな調子で、三十代半ば頃までずっと、これは厚かましくもまるで私の親友であるかのような顔をしてまとわりついてきた。どこへ行くときも、何をするときも。
絵を描いていたし文章もたくさん書いていた。けれど若い頃はずっと自分が表現した何かをひと目に晒すのは耐え難かった。ようやく書いて何かを出したときも結局、私の絵や文章を目にしてしまう人に申し訳ないと感じてしまい(私の作品に出会ってしまうなんて、なんて不運な人だろう。貴重な時間を奪ってしまって本当にごめんなさい!)と感じながら行っていた。
いい加減大人になっていた私はふと気づく。これは恐らく「自尊心の欠如」からきているのかもしれない。「自尊心の欠如」と「恥ずかしさ」──この両者はタッグを組んで、私が何か行動を起こす度そらきた! とばかりに私を苦しめる。

段々大人時代もいいフェーズに入ってきた。存外自尊心の欠如というものは、環境を変えたり、見方を変えたりすることで易々と潰していけることに私は気づき始めていた。自尊心の分量がほぼ問題ない水位に上がるまで長い時間を要したにはちがいない。けれども、これは確実に「潰して」いけるものだ。人生のスタートが「病的なまでにひどい内気」だった私にとって、その手段を得たことは実に驚くべきことである。
主に使用した潰すための『道具』はもちろん「メタ認知」だ(+本心の言語化)。これを扱うテクニックを磨きまくって、いつしか私は望ましい分量の自尊心を持てるようになっていった。やがて無闇に苦しむ瞬間は一つ一つ歳を増すごとに消えていった。自分が努力して行ってきた物事には本来あるべき自信をちゃんと持てるようになったし、だからこそ他の誰かの行動に対してもきちんと評価を口で伝えることができるようにもなった。
驚きなのは、人間これほど変化し得るものなのか、ということ。いかに(褒めたり叱ったりしてくれる大人がいない)環境からの影響が大きかったか。無知と思い込みがこれを作っていたのか。また、敏感過ぎて周りの悪い影響を人一倍多く受けて取っていた、という新たな事実。[内気過ぎる性格を恥じるばかりだった子供時代のことを思うと、感覚処理感受性SPS因子を発見して、それが敏感過ぎる気質からきているにすぎないことを明らかにしてくれたアーロン博士にどれほど感謝しているか。欠陥や弱さではなく感受性の高さの違いによるものだったなんて。]過去をリフレーミングすることで起きた変化は計り知れない。

この「メタ認知」の駆使にて、ついに私は「恥ずかしさ」という古くからの居候者を追い払えた! と胸を張って道を歩き始めた。ところが果たして、本当に私はこれをやっつけられたのだろうか?

むろんそうなったよ、と言えたらどんなによかっただろう。この意味のわからない「恥ずかしさ」という忌々しい感覚は、なんと巧妙に姿を変化させて相も変わらず心の居間に居残っているではないか。しれっとした顔で。

待て。……確かに自己肯定感の低さからきている「病的な」恥ずかしさは消したはずだ。しかし尚心の部屋の居住権を傲慢不遜に主張してくるこれ。何食わぬ顔で胡座をかいてのうのうと居座っているこれ。

「お、お前はっ、お前はいったい……何者ぞっ?」(震え声)

正体を突き止める

私はこやつの正体を必ず突き止めると意気込んだ。HSP関連の本を読んだり、過去を振り返って自己理解を進めて原因を色々分析してみる。すると以下のようなことが明らかになった。

1・社会的立場の認識が深まった

若い頃は、学生生活、就職活動、社会人生活……こんなふうに進むべき真っ当な道を外してしまったことはすでに当たり前なことだったし、二十代はおよそ普通の人間とは言い難い妖怪たち(田舎の新聞屋専業員は人生の正規ルートから道を外してしまった人たちだった。映画や漫画に出てくるようなアクの強いキャラばかり。まともに生きている人なら人生でまず出会うことがない。ニアミスすらないだろう。いわば私もその妖怪の中の変種、希少種だった。)と苦楽を共にしていたし、三十代半ばまでも、属していた組織のせいで世間一般とは違う人間であるという意識を持っていたから、自分が『平均』や『普通』から大きく外れた人間であることは当然過ぎた。これは取り立てて問題視することではなかった。
ところが、自分の内面を知れば知るほど、物理的に身を置いてきた場所とはずいぶん違うところに興味関心が強いことに気づき始め──つまり私の好奇心が向く方向はけっこう真っ当な人達の、しかもとても良質な人たちの世界に寄っているのである。例えばこの「note」など──、『どこに出しても恥ずかしい』経歴しか持ってない自分を改めて省みるうちに社会的立場の恥ずかしさが「常人並みに」芽生えてしまった(笑)これは決して自己卑下や謙遜や自虐的な感情などではない。あくまで健全極まる一般人的認識である。いやはや。

「ほらな、お前とわしの間柄は運命なんだ。諦めろ」
「うるさい! そんなはずはないっ」(握り拳と震え声)

2・HSS因子による仕業

ステージで超一流のミュージシャンたちが神がかった演奏を披露して会場を楽しませている。メイン演奏者が調子に乗って聴衆に声をかける。「誰か、僕たちに加わって演奏してみないか? やれるという自信がある人は手を挙げて!」それを聞いて、彼らが持つ楽器に以前から並々ならぬ思いを募らせていた私は、『ああ、あそこへ行きたい』と思う。同時に、『あり得ない。わざわざ恥をかきにいくなんて考えられない』とも感じる。はたして私は、好奇心に負け手を高々と挙げてステージへ上がりプロたちに混ざって演奏を始める。ああ、なんて刺激的……♡ むろん自分が今どれほど目立ち、情けない素人っぷりを聴衆に晒しているか敏感に感じとってはいる。案の定、客席からは嘲笑とブーイングの嵐。当然だろう、私は笑われている。これでもかと言わんばかりに今盛大な嘲笑を浴びているのだ。身の程を弁えず果敢に乗り出してしまったステージの真ん中で。

まあ、これはたとえ話だけど。大なり小なりこの原理に沿った行動を重ねてきている。敏感で臆病なくせに、興味あることが見つかるや否やそこを目指し猪突猛進してしまいあっという間にあり得ない場所まで来ておかしな行為をしてしまう。この「突進した距離の長さ」を「高感度センサー」がしっかり感知するから「羞恥」が起こる……これ、当然のことわり。突進と敏感の振り幅大きすぎ。こんなことが日常でどれほど多く起こっているか。
控え目な性格なのに(元極度の内気)、率先して自分の癖や欠点を晒す。ピエロを演じる。変な人という評価を進んでもらいにいく。そこまでやらなくても、ということをやってしまう。相手が困っていることを感じ取り、ならば私が、と勇んで身を乗り出してしまう。損をすることがわかっていても自分が役割を買って出て案の定大損をする。

こんな感じで、自尊心の欠如、自己肯定感の低さを克服したにもかかわらず、私は「恥ずかしさ」と度々直面してしまうのだった。奴は厚かましい貧乏神のごとく、私の心の居間に今や堂々と寝そべっていやがる。

「よくわかっておるな、お前。そういうことじゃ」
「くっ。お前に何がわかるっ」(わなわな)

笑われる勇気

どこに出しても恥ずかしい経歴。やめときゃいいのに飛び出していく突進型。もうどうやっても恥ずかしさから逃れられない私。一生付き合うしかないのか。

ところが、そのうち少しずつ様相が変わりつつあることに私は気づき始めていた。一人心の中で問答を始める。

まず、頭の中を整理してみようか。私を笑っている人たちはそれを「楽しんでいる」側だよね? 笑いの種になって辛い思いをしているのは私。他の人は恥ずかしくもなければ辛くもない。嘲り笑ってたとしても心に傷がつくわけではないのだよね? 相手にとっては、目の前の相手が率先して変な人になってくれるから自動的に自分は恥ずかしい側ではなくなる。だから痛くも痒くもないわけだ。むしろありがたいのだ。
『世の中には変な人がいるものだなぁ(笑) 』と話のネタにしたり、妙な人間と出会って『人生のおかしみ』を感じ取っていたり。この性格は、決してエンターティナーのように格好のつくものではない。けれども、楚々と歩いているようで実は大間抜け、色々やれているようで情けない空回り。時には目も当てられないドジっぷりを発揮して赤っ恥をかく。いい歳した大人のおかしな姿を「見ている側の人間」はきっと、翻って自分の「まともさ」や「しっかりした性格」や「冷静さ」や「スマートさ」を思いみていることだろう。自分はこんな人でなくてよかったと思っているはず。つまり私の恥ずかしさは相手を安心させてあげる材料になっている。あれ、これってそう悪くないのでは? 私なんてそもそも小さな存在。体面を必死で守るほどの価値はない。振り幅の大きい人生を歩んできたのだからむしろ笑われるくらいが性に合ってる。相手の体面を損わせることは決してしてはいけないけど、自分ならいいじゃないか。

あろうことか。あれほど嫌がっていたのに、私はこの恥ずかしさに対して「……よき。」と呟いてしまったのである。貧乏神みたいな顔をした厚顔なあいつ。いや、今や腐れ縁の憎めない古き友。できれば付き合いたくなかったのに、ついに愛着まで感じている私がそこにいた。

「やっとわかってくれたか。よしよし」
「……」
 生ぬるいひと筋の涙が頬を伝った。

世間の本流に乗れず、アウトサイダー的に若い頃を過ごし、まともなラベルを何も持っていない。でも今後も湧き上がる好奇心は捨てない。興味のアンテナが立ったら躊躇わずそこへ突進する。失敗しようが、身の程知らずと見下されようがいいじゃないか。繊細で恥ずかしがりやなんだけど、でも進んで自己開示をしてどんどん笑われていこう。自分なんてなんぼのもんじゃい(笑)人生一度きりなのだからおおいに喜劇を演じていこう。少しでも誰かの心に興となる何かが生まれるのなら、私はいつでも笑いの材料になってやろう。
笑われる勇気──確かその昔蛭子さんが同タイトルの本を出していた(楽しく拝読しましたっけ)。……うむ。『嫌われる勇気』ではなく『笑われる勇気』なのである。なんだかとっても私らしい。こうなったらもう死ぬまで仲良くしてくれ……!!

幼き日心の居間に居座り始めたこの「恥ずかしさ」という奇妙な相手と、私はついにあたたかな握手を交わしたのであった。

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