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INFJだと思っていた人間が、INFPとINTPの混血だと思い直した理由。 ―MBTI

こんにちは。水那田ねこです。
本日から、ここで再び性格分析や自己理解に関わる話をしていきます。今日は最近日本の若者の間で流行している16personality(「MBTI」)についての話です。

MBTIとは何か、という概略の説明ではなく、私個人の性格タイプを起点とした考察と、ごく私的な所感をベースに書いていきます。体系的に語ることはしません。体のよい自分語りでもあります。
あなたに、今後わたしが書き綴るNOTEを読むメリットがあるとすれば以下のとおり。

  • 若者ではないMBTI好きが、自己タイプを正確に判断するための補足材料が得られるかもしれない。

  • 「E」と「I」、「S」と「N」、「T」と「F」、「J」と「P」それぞれの違い、比較について理解を深めるヒントが得られるかもしれない。

  • 「HSS型HSP」の方、あるいは深い洞察(D)の側面が発達した「HSP」の方が「MBTI」ではどのタイプになるのか、一例を知ることができる。

今回の内容は「T」と「F」の関係性に関する考察がメインです。
これはまず、私自身が自分を「INFJ」だと思っていたところからスタートします。つまり「P」なのに「J」としてしまう要因についてまず取りあげ、次にどうして「INFJ」から「INFP」であると理解するに至ったか、続いて自分を「INTP」でもあると考える理由は何か。そもそもハイブリットなんて存在するのか、そんなところを掘り下げてみたいと思います。


Judging(判断)型か、Perceiving(知覚)型か

二十代や三十代前半の若い人なら、まだ人生のステージをたくさん経験していないので、自分の生まれ持った本来の気質を見極めやすいかもしれません。しかし人間三十路四十路を過ぎ様々なライフステージを経験し、生活パターンに年季が入ってくるとそうもいきません。後天的に培ってきた性格がとても色濃く反映するせいで、どれが本来の気質なのかわかりづらいことがあります。

ちなみに、「気質」とは生まれ持った性質。「性格」とは現在形作っている自己特有の思考や行動パターン。……としてここでは扱うことにします。

私は(一応公式からは認められていない)「16性格診断テスト」というもの、その他数々のネット上にある性格機能診断、また、本来古くからアメリカで使われていた比較形式の分類法などを何度もやってみました。その結果、いつも自分の性格タイプは「INFJ」になっていました。

このタイプの主機能である「内向直感(Ni)」に心当たりがあったのでとても納得していたのですが、副機能の「外向感情(Fe)」にやや疑問が残っていたのです。他者への共感力は非常に高く、社会倫理というものに子供の頃から関心を示し、理想社会のビジョンを描くことは多いのですが、これを動機にして社会に向けてなにか行動しよう、人生の時間を弱者のために捧げよう、という行動理念に対しては、何か根本的に違うものを感じていました。どちらかというと日常生活では自分にしか興味がなく、自分の持てる時間はすべて、自分が興味ある事柄の追求と創造に使いたいという強い願いがあるからです。その願いを叶えるには人生の時間はあまりに短すぎる! そう感じてしまいます。
「J」は人のために努力する人、「P」は自分のために努力する人。……これも考え合わせると、

うーん。やっぱりINFJではないな。(←正直な心の声)

不可解な特性である『内向直感(Ni)』の「直感」と、『未来のビジョンを描く』の「ビジョン(白昼夢を見る癖があるのでそのことだと思った)」には、自分が他人と何かがすごく違っている理由の根拠として納得がいくものがある。けれども、やっぱり違うと思う。

一番目の並び「I」と二番目の「N」は100%確定です。それはまた別の記事にすることにします。問題は、三番目の並び「T(思考)」と「F (感情)」、そして一番難しい「J(判断)」と「P(探求)」です。

自己探求をする人がネットで情報を探る場合、生きづらさや他人との違いを追求し過ぎると「INFJ」になりがち、というのが一つあると思います。(この理由についてはネット上にいくつか掲載されていますのでここでは取りあげません。)これで「FJ」と誤って判断してしまう可能性がまず考えられます。

加えて、後天的に培った行動パターン、社会規範に対応するルーティンに身を任せようとする人生戦略。これが本来の「自由にやっていきたい欲求」に蓋をしているケースがままあるように思いました。この強さ、影響力は若い人の比ではありません。特にサラリーマン、会社組織の一員として生きる人は、本来の気質を、まるで宝物を誰もたどり着けない海底深くに沈み込め、永遠の眠りにつかせるかのごとく隠して、社会規範に則った思考パターン、行動の法則性を強固に、強引に、自己の中に固めているはずです。「P」として生まれても、処世術として、世渡りの戦略として、行動の法則性は長年かけて習得した「J」タイプとなってしまっていることが考えられます。

だから、本来の気質がどうなのか知りたいときにここが誤診の起きやすいポイントになるのでは、と個人的に思っています。もっと心を素直にして、もし自分が会社組織の一員ではなくなりたい職業につけていたなら、物事に対しどう行動する傾向にあったか、を突き詰めて考えてみる。すると私の場合かなり気ままな知覚探究型の「P」であるように思いました。

具体例を挙げれば、

・一人旅に出たいと思ったら、ためらわず日常の責任を放棄して出かける
・目新しいやり方に飛びついて、過去の行動ルーティンを簡単に捨てる
・会社の作業マニュアルに従わず、自分なりの作業法則を作りそれに従う

……こんな感じです。これは「J」の人っぽくないですね、どう見ても。
ちなみに、こう列挙してみると随分「N」特性が関係しているようにも思います笑。NP連携が作用していますよね。

Thinking(思考)型か、Feering(感情)型か

さらにとことん突き詰めて考えていきます。次に「思考」と「感情」、これは、私の場合どちらも強く発達していることがわかってきました。ちょっと自分でも死角を突かれた感じです。

「F」だと思っていた根拠:

・他人の悲しみが心の深くに入り込み自分の感情との境界があやふやになる
・相手の心をケアするためだけに平気で何時間も費やしてしまうことがある
・関わる誰かの心を喜ばせ一ミリも悲しませないために、細心の注意を払う
・最高のものを相手に与え喜んでもらおうと、お人好しな行動を取りがち
・自己犠牲精神を知らずに発揮していて、結果多大な損を被ってしまう

……こんなものがあります。基本的にあらゆる場面で自分より相手の気持ちを優先させます。デフォルトがそれです。おおかた相手を気遣い過ぎて疲れるほどです。HSPですしね。これらは完全に「F」だと思うのですがいかがでしょう。また一方で、

「T」でもあると思い至った根拠:

・日頃大半の時間を、家事や母親業もそっちのけで興味ある分野に使う
(日常業務はぎりぎり最低限のものにして、ほとんどの時間、何かを分析、分類することに没頭し、現実を忘れるほどに熱中する)

・論理や分析思考で頭の歯車の回転が高速になり気分もハイになっているとき、自他の「感情」なんて実にとるに足らないものと感じる

・元気なときは、自分も含め人間の「主観的感情」を低い位置に据えるサイコパス的思考が優勢になる
(……例えば、対応する相手が私の言葉を勝手にマイナス方向に誇大解釈して傷ついたとしても、「あなたが愚かな考え方をしているだけ」と心のなかで相手をばっさり切り捨ててしまう。傷ついた責任は相手にあるから私が悪いとは思わない。)

・完全なるフラット思考、俯瞰目線、客観的な見方、メタ認知フル発揮で感情を排除した視点、これらが自分の中でいきいきと活動しているとき、自他の「主観感情」を「客観思考」により封じ込めることは容易

さらに個人的な経験による根拠も。

幼い頃から抱えてきた自分の根深い精神的問題(社交不安障害、アダルトチルドレン、極度の内気)を、この徹底した客観目線、強固なロジック、突き詰めた分析思考により、ほぼ解決へと導いてきました。自分の思考で自分の精神上の問題を克服。わたしは深い沼底から自力で世間の人並みの精神状態へと這い上がってきた、という強い自負を持っています。ここまでの根深い精神問題をセルフケアのみで克服してきた、という人にこれまで身近ではお目にかかったことがありません。ど根性人間と呼んでもらってもいいです。

ケアしてくれる親も専門カウンセラーも、いわば必要なかったのです。自分で本を読み漁り、深く理解して『スーパーフラットな論理思考』『深い自己理解と問題への対処方法』を獲得し、異常に弱いこの心を思考の力によりぐんぐん前向きに変化させてきました。

メタ認知の最大限活用!です。

今、この分析思考と分類好きな性格傾向を、文章方面に活かしてネットサービスも行っています。そして日本語学が大好きになり専門性の高い書物を夜な夜な読み漁っています。専門性が高ければ高いほどタクソノミー好きの心がハイになって幸福を感じてしまいます。

……さて。
こうして考えてみるとどうしても自分を「F」でもあり「T」でもあると言ってしまいたくなるのですね。

つまり、生まれ持った気質はかなり強い「F」なのに後天的に「T」を多く獲得してきたのでしょうか。もしくは、調子が良いとき私は「INTP」であり、調子が悪いときは「INFP」だ、と言えるのでしょうか。
はたまた、これは他人への共感力が高い繊細気質寄りのINTP-Tであるということなのか。思考が発達して心の安定感が増したINFP-Aであるといえるのか。

いずれにしても、自分の変わっている面が「HSP」の話でも語り尽くせなかったり「INFJ」「INFP」だと解釈しても違和感を覚えたりする原因がこの辺にある、いや、原因ではなくこの矛盾した法則性をだいたいこの辺で語るなら腑に落ちる、ということに気づいてしまったのでした。

まとめ:本当の答えはどこに?

年齢と経験ゆえに生まれた判断の難しさ
16パターンでは収めきれない人の性格の複雑さ

ここまで、上のようなことを考え合わせながら自己分析で色々考えたことを書いてみました。誰かのお役に立てるかなどはてんでわかりません。

ここまでもし読んでくださった方がいらしたら、この考察をどう思ったでしょう。まるで二重人格? それとも誰だって「生粋の◯◯◯◯」なんて言えないからよくある話のように感じました? このような性格を持つ人間をとりあえず「ハイブリット」と命名しておいて問題ないでしょうか?(笑) それとも更に自己理解を求めて勉強するべきだ、意味を取り違えているなどと思われたでしょうか?

もっと深い自己理解を求めて年季の入った中二病女がネットの海を渡り歩きますが生暖かい目で見守っていただけたら幸いです。いやいや、あなたにはなんの関わりもない話なら白い目でスルーしてくださって大丈夫です。本当の答えを求めて、飽くなき自己探究の旅を続けていく次第です。とはいえ今回はこのあたりで終わりにしたいと思います。

次回は、「S」と「N」の違いにフォーカスして自分なりの解釈を書いてみる予定です。予定通りにいけば、の話ですが。感覚タイプと直感タイプの違いを探ること、これがまたすこぶる面白いんですよ!! 興味ある方はぜひ。

自己理解とかっこよく銘打ったただの自分語りにここまでお付き合いくださった方。貴重なお時間を頂戴し、どうもありがとうございました^ ^

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