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おうちの味の折り合い

今年はじめてのゴーヤーチャンプルー。

梅雨の長雨のせいか、近所のスーパーでゴーヤーがなかなか安くならなかった。しかも、なんだかうらなりというか、ひょろっと頼りなげで、ゴツゴツした手触りもどことなく気弱な子が多かった。

いきなりの猛暑続きで、人間はふぅふぅ言っているけれど、ゴーヤーは少し元気が出たのか、ようやく値段も下がって、買おうという気になれた。

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作りかたは、白ごはん.comさんのレシピを参考にしつつ、かなり自己流で。

お豆腐は木綿ではなく絹だし、舞茸も入っている。豚肉も、バラ肉ではなくコマ切れ肉。

塩加減もかなりいい加減に作ったけど、わりとちゃんとした味になった。(自己流で作ると、どうも薄味過ぎることが多い)

塩もみしたゴーヤーの爽やかな苦味と、豚肉と舞茸の旨味が合わさって、するする食べられる。


実家のゴーヤーチャンプルーには、その日その日で、にんじんが入ったり、しめじが入ったりしていた。お醤油味の日もあれば塩味の日もあった。

お野菜をバランス良く食べさせたい、とか、お肉の比率を下げてかさを増やすとか、何か理由があったのかもしれないけれど。


そう考えると、ゴーヤーチャンプルーって、懐が深いというか、自由度が高いなあと思う。

誰かのおうちでは、ちくわが入るのが定番かもしれないし、もっと厳格に、豚バラじゃないとダメ、と決まっているかもしれない。

ゴーヤーチャンプルー自体は、そんなふれ幅を、やすやすと受け止めて平然としていそう。

でも、もしこの先、誰かにゴーヤーチャンプルーを作る機会があった時、

「ちくわが入らないとだめなんだ」とか、「キノコを入れるなんて邪道だ、ゆるせん」などと言われたら、そのリクエストに適応できるだろうか、

と、ふと思い、不安になった。

「たべる」ということは、快感とつながっていると思うので、一緒に食べる人の「快」を奪わずにしてあげたいと思う反面、食べ育った味の体験や記憶、味の好みは目に見えないしデリケートで、折り合えないところもあるんだろう。

口に合わなければ食べに来なくても結構です

とは言えない(お店がそんなことを言っているとは思わないけれど)家庭料理の折り合い、ちょっと未知の世界だな、と思う。

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