ポケモンカードに向き合うスタンス

雑記事だから言葉遣いも雑。

最近、「アマチュアの競技チームなんてものは信頼がおける人間だったら追加していいと思うし、逆に個人の理由で気軽に休止してもいいものだと思ってる」ってセリフを多く口にするのでそんな思考の理由。

ポケモンカードは優先度低いべきだって話

皆さんポケモンカード楽しんでますか?私は最高に楽しんでます。好きなポケモンが相手を薙ぎ倒してゲームに勝利する瞬間なんて脳汁が止まりません。一緒にこのカードゲームに取り組んでくれる愉快な仲間だって出来ました、ポケモンカードしてたから出来た人間関係です。

ただ、このカードゲームが最高だからと言って無限に出来るとかそれを最優先すべきとかそういうことでは決してないと思っています。

実際私も昨年はシティのシーズン1出てからCL東京まで休止してました。だってポケモンカードしてるだけじゃ生きていけないもん。

受験や試験みたいな学業があって(私はこれだった)、就活や繁忙期みたいな仕事関係があって、家族の問題があって、金銭の問題があって…とポケモンカードなんかとは比べ物にならない問題が人生無限にあるわけで。私のような一般モブプレイヤーがポケモンカードに取り組むスタンスはそういう問題を解決する目処が立ったうえでリソースが残っていたら、くらいでいいんじゃないかなって。食っていけないポケモンカードを最優先する必要はない。

ポケモンカードがすべてじゃないから

逆に、そういう問題でポケモンカードって遊びから去っていく人間に出来ることって何があるんだろうって考えた時に思い浮かんだのは引き止めないことかと思うわけです。

引退休止前まで楽しく遊んでいたんだったらその決断を出すために多少なりとも本人の中に葛藤はあったわけで。その葛藤を無視して引き止めるのはあまりにも酷だし他人の人生の責任を取れるわけでもないですよね。

ただ別に引退休止したからって人間関係までそこで途絶えるわけでは当然なくて。大きい問題に立ち向かいに行く人間に対して他人が出来る精一杯の応援は今まで通り付き合っていくことなんじゃないかって。ポケモンカードで出来た繋がりといってもポケモンカードやめたからそのつながりが消えるわけではない。

競技やってなくても前と変わらず適当に駄弁れて、そんでもって去って行った人間が帰ってきたときにお疲れって言ってプレマ広げられる。そんな人間関係って素敵ですよね。私が休止から帰って来た後のマイフレンズはそういう感じでいてくれてすごい助かりました、ありがとな

人に受けた恩は人に返すのが通りですし、いつか誰かが去って行っても帰って来た時にはそうできる人間に私はなりたいです。冒頭のセリフ「アマチュアの競技チームなんてものは信頼がおける人間だったら追加していいと思うし、逆に個人の理由で気軽に休止してもいいものだと思ってる」って言葉はそんな思いから出てるものです。

要はセリフの裏には「休止した人間は既に信頼がおける人間なんだからいつ帰って来てもいいよね」って思考があるって感じ。そもそも競技休止しても人間関係は休止しないでいいと思うし。

締め方が分からないし湿っぽい文章書くの苦手だし文章もまとまらなくなってきたから日記終わり。今日の晩御飯の餃子がおいしかったです。

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