刀剣乱舞 山姥切問題についての覚書

山姥切長義と山姥切国広のお話。

備前長船派の刀工長義によって打たれた本歌山姥切と、足利城主長尾顕長の依頼で堀川国広が打った写しであり国広第一の傑作と言われた山姥切国広。

二次創作でもよく取り上げられるいわゆる山姥切問題についての自分なりの解釈。

刀剣乱舞の世界では、山姥を切ったというのは本歌の方であり、その本歌を写したから国広の方にも山姥切とついた、ということになっています。
しかし、本歌の所蔵元である徳川美術館の認識は逆で、国広の方が山姥を切ってその本歌である長義の方にも山姥切の名がついたということになっています。確か(間違ってたらごめんね)。ややこしい。

刀剣乱舞の設定のほうの認識で進めていきます。

偽物君呼びについて

国広と長義がいう偽物という言葉は示しているものが違います。

国広→写し
長義→山姥切の名

長義の言う偽物君とは「山姥切の名は俺のものだ。お前(国広)が山姥切と呼ばれるのは間違っている。お前は山姥切の写しであって山姥切ではない」
ということだと認識しています。

そりゃ、自分の名前をほかの人がさも自分の名前のように使っているのでは偽者呼びもしたくなりますよね。

対して国広が言っているのは、写しは写しであって贋作とか偽者とかそういうことではない。

山姥退治は俺の仕事じゃないというセリフもあるようですし、山姥切=山姥切長義という認識を持っていると考えるのが妥当でしょう。

両者の言っている偽者という言葉の示すものが一緒がないからこそ、めんどくさくなってますよね。

国広は自己表現が下手なのが見てわかりますが、長義も言葉足らずな感じがします。この本歌にしてこの写しありというか、やっぱりそう意味では似ているのでしょうか。


慈伝 日々の葉よちるらむについて

この作品の意味は公式が山姥切問題を取り上げたことではないかと思います。

三日月の裏切りの傷がいえない本丸の刀剣男士たちと、そんな中にやってきた大切な初期刀を偽者呼ばわりする政府の刀。
本丸の刀剣男士たちは歓迎するどころか、初期刀で近侍である国広に合わせないように画策します。

雰囲気を察する力がどれだけ低くても、歓迎されてないのはわかりますよね。
二次創作の山姥切長義冷遇本丸と似たようなものを感じます。

詳しくは省略しますが最終的に2人は出会い、和解します。刀剣男士らしく刀を交わし合って、ですが。

色々な二次創作で山姥切問題が取り上げられてきましたが、公式が一つの本丸の例を示したというのは大きなことなのではないのかなと思いました。
山姥切長義冷遇という話は元から公式も考えていたのか、はたまた二次創作界隈から生まれたものなのか。

二次創作からだとしたら、やっぱりオタクの想像力ってすごいですよね。
しかし、和解できたからいいものの和解できていなかったら一発で通報ものですよね。ブラック男士認定されるかもしれなかったと思うとぞっとします。

三日月の裏切りがあったばかりで心に傷があった状態だとはいえ、山姥切長義にとってすごく嫌な場所だったのではないかと思ってしまいました。
これから良い方向へ向かっていくのでしょうかね。

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