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打ちのめされろ

人生において大切なことは
なんでしょうか。

家族と過ごす温かな時間?
一人でいる穏やかなひと時?

私は、「打ちのめされること」
だと思っています。

そう何度も酷く打ちのめされる必要は
ないかもしれません。

一つ簡単なエピソードをお伝えします。

私は、高校教員のキャリアが長く、
教育について深く考え
理論に裏付けられたことを好む

そんな教員でした。

高校で勤務した10年目までは、
人間関係に悩みながらも
とにかく我武者羅に新しい仕事をこなし、

毎日の生徒指導に追われる日々でした。
誰かに助けてもらったことは
ほとんどありませんでした。

熱があっても、突発性難聴で
耳が聞こえなくても出勤する日々。

しかし、退職前3年間くらいでしょうか、
なんとなく、毎日のルーティンに慣れ、
最終的には飽き始めました。

またあの仕事か…と先が見えた感じです。
だから退職を決め、

大学院で免許を取得し、
小学校に転職しました。

どうせ大して変わらないだろう、
これまでの経験と研究の成果を
思う存分発揮してやろう、

と思っていました。

ところが実際に現場に入ると、

普通に振る舞っているはずなのに、
存在すら認めてもらえない、
自分の全てが否定される気持ちになる。

そんなことばかりが起こりました。

こんな職場最低だ!
私を役立たず扱いするなんて。

という気持ちが出てきたこともありました。

あまりに多くの人に叩かれたので、

自分はダメな人間だ、
役立たずだ、
最低だ。

と、悲観的に考えるようになりました。

最早、
何をしたら良いかも分からなくなり、

せめて少しでも文句を言われないよう、
残業して事務作業を完璧にしよう。

と思うようになりました。

徐々に帰りが遅くなり、
日付が超えることもありました。

通勤距離も長く、
心身共に疲労困憊でした。

生きている事が辛くなりました。
海沿いの道を走りながら、

このまま、この日本海に車ごと突っ込んだら
楽になるのだろうな

と感じる日も多々ありました。

非常に苦しみました。

環境のせいにしてはならない、
言い訳してはならない、

という気持ちと

もう無理だと思う気持ちで

自分の力では、
乗り越えることができませんでした。

だから体調の良い時は、

必死に本を読んだり
メンターの話を聞いたり

立ち止まってはならないという
制限を手放し、

とにかく立ち止まり、休む、
ということに徹しました。

様々な人の本を読み、
話を聞き、そうしているうちに、

高校でのキャリアを捨てきれず,
傲慢になっていた自分に気付いたのです。

ちっぽけな経験でしかないのに、
高校で得た狭い狭い世界が全てだと
自然と染み付いていたのです。

そしてそれが自分らしさ、
自分の強みだと勘違いしていたのです。

未熟さに気付いた時から
私は変化することができました。

英語が好きだとか、
研究が好きだとか、
進路指導が得意だったとか、

そんなことなことはどうでも良い。
「私らしさ」などいらないと思いました。

卑屈になったわけではありません。

求められた仕事をする事で

子どもたちが成長するなら

それで良い

と心から思えたのです。

そこがスタートでした。

であれば、何ができる?
何もできない?

そんなわけありません。

私にやれる事は一つでした。

とにかく、他の先生を真似る、
子どもの心を動かすのが上手な先生を演じる、

そこに辿り着きました。

え!!そんな、エピソード伝えられてもな。

教員みたいな小さな世界の経験
役に立たない、そう思われるかもしれません。

しかし、

自分がラベリングした
自分らしさなど捨ててしまえ 

という経験は非常に汎用的だと思います。

たとえ地獄のように感じる世界でも
未知の世界にも

そこには必ず答えがあります。

そのためには、

自分を被害者にして
悲劇のヒロインを演ずるのではなく

まず自分を捨てて行動してみる。

新しい世界を見るために、覚悟を決めて
必死にやってみる。

これは根性論ではありません。

桁外れのゴールを見たいと本気で望むなら、
甘えてなどいられないのです。

打ちのめされ、自分を捨てる経験

一度乗り越えることで、
変化の波に乗ることができる、と私は思います。

どんな時もやれることはあります。
それがあなた本来の力でもあるのです。

それでは良い夜をお過ごしください。

BBFN
xoxo M

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