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自分の声に耳を傾ける生き方とは?多世代型介護付きシェアハウス「はっぴーの家ろっけん」で働く前田彰さん

地元神戸を拠点に、フリーランスとして様々なプロジェクトに参加している前田彰さん。PRの仕事をしている多世代型介護付きシェアハウス「はっぴーの家ろっけん」での葬儀に、大きな影響を受けたそう。

これから一人ひとりの「どう生きたいか」にスポットが当たっていくのではないかと前田さんは話します。そんな前田さんに、葬儀で感じられたことや生き方のヒントを聞きました。

高齢者向けのシェアハウスで、人生初の葬儀を経験

── 前田さんが働かれている「はっぴーの家ろっけん(以下:はっぴーの家)」について教えていただけますか。

はっぴーの家は、神戸市長田区にある高齢者向けのシェアハウスです。2017年にオープンし、新型コロナウイルスが流行するまでは、週に200名以上の方々が来ていました。

1階のリビングはシェアスペースになっていて、はっぴーの家に住んでいるおじいちゃんおばあちゃん以外にも、パソコンで仕事をしている社会人の方や地域の子どもたちなど、世代も国籍も異なる人たちが同じ空間で過ごしています。

── はっぴーの家で2019年10月に行われた葬儀に、大きな影響を受けられたそうですね。

人生で初めて参加したのが、はっぴーの家に入居されていた「ジージ」の葬儀でした。でも、僕自身はジージのことを前から知っていたわけではなかったんです。

当時は東京で働いていて、はっぴーの家で行われるイベントを手伝うため、たまたま地元の神戸に帰ってきていました。帰省したその日に、スタッフさんから終末期だったジージが亡くなったことを聞いて、葬儀に参加させてもらうことになったんです。

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── 偶然、葬儀に参加されることになったのですね。

はい。まず、葬儀の準備のために、あるFacebookのメッセンジャーグループに入れてもらいました。このグループに参加していたのは、ご家族・スタッフ・ジージと深い交流のあった地域の方々でした。

そこでは、「ジージの写真があったらこのスレッドに貼って」「仕事そっちのけで今祭壇の準備してる」など、いろんな情報が共有されていました。

── 地域の方々も準備段階から葬儀に関わられていたのですね。

入居者さんや近所の子どもたちも一緒に準備をしてくれました。葬儀当日はジージと面識のない地域の方々が大勢はっぴーの家に集まって、お別れの時間だと感じないような笑顔をたくさん見ました。

葬儀で使われたのは、これまで見たことのない、寄せ書きのような棺桶。はっぴーの家で一から組み立て、それぞれがメッセージを書き込んでいきました。「自分たちで棺桶をつくるところから準備するんだ」と驚きましたね。

たくさんの写真が飾られたカラフルな祭壇や、生前お酒が好きだったジージをイメージしてつくったウェルカムボードは、子どもたちが手伝ってくれて完成しました。

葬儀後のお別れの日は、本当は東京に戻って仕事をしている予定だったんです。でも、「送り出す時間までいたいな」と思い、予定を変えリモートで仕事をすることに。それで、休憩時間中に参列することができました。入居者さん全員で花を添えて、ジージを拍手で送り出す。そんな瞬間に立ち会わせてもらいました。

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「どう最期を迎えたい?」葬儀をきっかけに、“死生観”に変化が

── はっぴーの家の葬儀に、どのような影響を受けましたか。

「死」が目の前に現れたような感覚になりました。死生観が変わって、以前より「どう生きたいか」「どう最期を迎えたいか」を考えるようになったんです。今は、自分の中にそんな問いがあります。

そう考える中で、最期は病院ではなくて自分の家で迎えたいなと思いました。それと、「死ぬまで、生ききる」ことが座右の銘の一つになりました。

──「死ぬまで、生ききる」という言葉に込められた想いについて伺いたいです。

我慢しながら仕事をしていたりして、やってみたいことがあっても、それを実現できずにいることってあると思うんです。心臓が動くという意味で毎日を過ごしていたとしても、本当の意味で、自分の人生や時間を生きている人は少ないかもしれないなって。

最期まで他の人に自分の人生を渡さず、「死ぬまで、生ききる」ことは、当たり前のことではないんだな、と。でも、葬儀がきっかけとなって、やってみたいことは大切にしたいと考えるようになりました。

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「どう暮らしたい?」働き方以外に、理想の“暮らし方”も考えてみる

神戸のみんなと過ごす中で、「どう暮らしたいか」を考えるのが大事だよねという話になったことがあります。働き方よりも先に、「どこに住みたいか」「どんな人と一緒に夜ご飯を食べたいか」といった暮らし方を考えてみるのもいいよねって。

── 葬儀が終わってから、前田さんは東京に戻られていますよね。どう暮らしたいかについて、変化はありましたか。

葬儀の後に東京に帰って、改めて理想の暮らし方について考えました。「自分はどう暮らしたいのか」、「明日死んでしまうとしたら、どこで最期を迎えたいか」を考えたんですね。

そのとき、僕は東京ではなく、神戸で暮らしたいと思ったんです。「日常」や「暮らし」の中で見た光景や体験を大切に生きていきたい。そんな想いから、今は神戸に拠点を移して活動しています。

── 今はどう暮らしたいかを考えるだけではなく、暮らしにまつわる場づくりにも関心があるそうですね。

はい。でも、「シェアハウスやカフェをつくりたい」という感覚ではないんです。お葬式のプロデュース事業をしてみたい気持ちもあるのですが、少しニュアンスが違うんです。僕がやってみたいのは、「風景」や「概念」をつくることなんだなと思っています。

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──「風景」や「概念」ですか?

葬儀で見た光景だったり、はっぴーの家で子どもたちとおじいちゃんおばあちゃんが話している様子だったり。「日常」や「暮らし」の中に大切な気づきがありました。

それぞれが好きなことをしていて、世代はバラバラだけど、ぼんやりとした同じ空間に存在している安心感みたいな......。一人でいることを選ぶこともできるけれど、みんなが集まるときもある場みたいな......。そんな場所は居心地が良いなと思うんです。そういう日常の風景をつくりたいです。

それを形にするなら、暮らしにまつわる場所だな、と。「風景」や「概念」をつくりたい想いがあるので、「シェアハウスをつくりたい」と言ったときに違和感があるんだと思います。

僕がつくってみたい風景を一言で表す概念が、ひらがなの「かぞく」です。僕はこれまで家族みたいな人に救われてきました。僕にとっての「かぞく」は、シェアハウスでこれまで一緒に暮らしてきた人など、仕事だけでつながっていない人たちのことです。

離れた場所にいても「元気かな?」と思うような「想いを起点としたゆるやかなつながり」のある関係性が「かぞく」だと思っています。友だちや仲間とも言えるかもしれません。これからもそんな友だちや仲間と過ごしていきたいです。

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「どう生きたい?」一人ひとりが自由に、生きたいように生きていける社会を目指して

── 最期をどう迎えたいかや、理想の暮らしについて伺ってきましたが、最後にこれからどう生きていきたいかを教えてください。

僕は「一人ひとりが自由に、生きたいように生きていける社会」を目指しています。我慢したり、周りに合わせたりして生きるのはもったいないなと思うんですよね。

僕にとって大事なのは「自分がやりたいこと」と「こんな社会になったらいいな」の2つが重なったところで活動することです。

これからもプロジェクトマネジメントやPRの仕事で、誰かの「やってみたい」を手伝いながら、自分の表現も大切にして生きていきたいです。

それと、友だちや仲間と楽しく生きていけたらいいなと思っています。「やってみたいことがあればチャレンジしてみたらいいし、うまくいかなったときは帰ってきたらいいよ」という形で、周りの人を応援したいです。

夜遅くまで受験勉強をしている子に、おにぎりと毛布を持っていって、「無理せんときや」と言うようなスタンスでいたいなと思っています。

短期的に応援するというより、もっと長い目で、調子が良いときも悪いときも、その人に関われるような存在になれればいいなって。その場にいる、みたいな。相手を待ちながら、何かあったときに関われるような応援ができたらなと思います。

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前田彰(まえだ・あきら)
1990年4月生まれ。兵庫県神戸市で生まれ育つ。25歳まで陸上競技の指導者として活動。その後、「えんとつ町のプペル」に関するクラウドファンディングでプロジェクトを起こしたことをきっかけに、コワーキングスペース、カフェ、ゲストハウス、結婚式スタッフなど多様な職種を経験。2018年10月から東京で暮らしながら、webメディアやクラウドファンディングを手がける企業で勤務。2020年より神戸にUターン。現在は多世代型介護付きシェアハウス「はっぴーの家ろっけん」、「株式会社ここにある」でPRやイベント運営を行うなど、地元神戸を拠点に様々なプロジェクトに参加中。「しらんけど」くらいの距離感で、「人が人として自然体で繋がること」を「掬び」という言葉に込めて活動している。
関連情報:
前田彰さん 
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Special Thanks: 辻本唯

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