名前のない仕事
友人と一緒に低山に登って来ました。
朝早かったからか誰もいない森の中
下山するまで会った人がなんと一人だけ(笑)
頂上の景色はとっても素晴らしく、私たちは大満足。
こんな良い場所なのにあまり知られてないのかな
なんて言いながら歩きました。
ここを訪れる人は年間を通して何人いるのかは分かりません。
決してメジャーではない山ですが、そこには登山者のための歩道が整備されています。木材を運び。杭を打ち、かなり急な斜面にもロープが貼ってあります。
ありがたいなぁと。私達。
名前もわからない、きっとこれから先にも知る事もないでも誰かの役に立っている、誰かをささえている。そんな人たちの仕事
名前のない仕事です。
別の話ですが、先日幼稚園に出張に行きました。可愛い子どもたちがたくさん。飛び跳ねたり笑ったり大騒ぎです。
副園長先生とお話ししながら、幼児教育の素晴らしさはちょっと登山道づくりに似ているなと思いました。
またまた話は変わりますが53歳になる我が夫。
保育園の頃、先生がいない休み時間に黒板いっぱいにマジンガーZ(なつかしい)の絵を大きく書いて落書きしていたそうです。
そこに先生が帰ってきて、
ここに絵を描いたのはだれ?
と先生の声。
当然怒られるとビビりながら手を挙げたら
「上手ねー」
と褒めてくれたそうです。
その優しい顔と声を今でも覚えていると
半世紀生きたおっさんが今でも嬉しそうに語ってくれました。
きっと先生も覚えていないこんな小さな出来事が
おっさんの中で生き続けているのです。(笑)
その先生の名前も忘れてしまったと夫
ここも名前のない仕事がありました。
教師冥利
と言うと、卒業後教子が訪ねてきて一緒にお酒を飲んだり
〇〇先生を囲む会とかをしてもらって感謝されたり
などイメージしがちです。
でも本当は
なんて先生だったっけなあ?
昔こんな先生がいて
あったかい気持ちになったんだよ
といい歳のおっさんやおばちゃんになった教子が
一人でも二人でもいたら、
そんななもなき仕事が私の憧れであり
教師冥利だなぁと
思うのです。
自分がこの世を去ったあとも、よみ人知らずの短歌のように心の中に生き続ける
名もなき仕事達
私もそのカケラになりたい。