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みなちゃんのライフストーリー#7

みなさん こんにちは。
NVCの創始者、マーシャルローゼンバーグは「人はみな、何かしらのニーズを満たそうとしている」と言っています。過去にどんな自分であっても、過去の自分も何かを満たすためにそうしていたのだと気づくことが大きな変化をもたらしました。そして、私は嫌いだった自分が大好きと思えるようになりました。私のいのちがある限り、私は私自信を満たそうと必死に生きてくれています。抵抗感を感じる私も、必要以上にこだわる私も、誰かや環境のせいではなく、私の中で体験として私の中で起きていて、私の考えや感情、 私を守ろうとしてくれている私のものです。どうか、「今の私」や「過去」の私を充分に愛してあげてくださいね。


コミュニケーションが上手くできない、そして、孤独を感じ 人とつながることよりも一人で過ごすことが多くなり、話すことが苦手になり、言葉にならなくなります。話ができない私は、話をしない代わりに聞く技術を身につけて行きます。コミュニケーションをとる際にいつも聞き役。言葉を発しないので、体に響かせて相手を感じて行くのです。なのでドラマやNHKの地球番組を見て感情を楽しむのが大好きでした。


そして、みなちゃんは、恋愛に慣れていません。恋愛する余裕すらないまま 大人になって行きました。
高校生になって、彼氏ができました。当時は、自分を生きていない状態なので少々依存気味な傾向が目立ちます。3年間お付き合いした彼氏に卒業後に振られてしまい、大泣きました。その時 6歳だった甥になでなで、よしよしされて癒してもらったのを今でも覚えています。
21歳で10歳年上の旦那さんと結婚し、美容室のお嫁さんになりました。家族経営の美容室で、従業員にまみれて仕事をしました。メイクの技術や花嫁さんを造ること、着付けのお手伝い、みんなのご飯を作る日もあったりタオル干しや掃除など・・・華やかそうに見えるけれど、後継の嫁を必死に頑張っていました。5、6年経っても子供に恵まれず、不妊治療を重ねましたが子供に恵まれず 会話のない夫婦になりました。コミュニケーションが上手ではない私は、だんだんと話をしなくなってしまいます・・・。ここでも一人。
寂しさを買い物で紛らわす日々となります。「離婚したいなー」と、呟いたのがきっかけで結婚生活が急展開、離婚することになりました。家族経営の美容室は窮屈で姑を先生と呼び、姑も私たち夫婦にうんざりしていた時、私の呟きは私の意思とは別に あっという間に進んで行き現実に。突然の展開に圧倒され、ショックで数日寝込むほどでした。
数年後、この時に離婚した旦那さんは、自殺をしました。原因は違法薬物中毒症です。 噂は耳にしたことはあったけれど、それを聞いて固まりました。

実家では二男兄が離婚をし、3人の子供の面倒に母の手伝いが必要だったことと、父が脳梗塞で付き添いが必要だったことから、両親は二男兄の家にいたので、私もそこに出戻りました。脳梗塞で片足がなくなってしまった病気の父と小さな孫3人、母と兄、そして私の生活が1年くらい。目まぐるしく忙しい状態で寝込んでもいられず 必死に働きながらそこから 自立する準備をしました。

離婚後は、花嫁造りからつながって 当時勢いがあったベンチャー企業、ハウスウェディングの事業展開に携わり、ウェディングプランナーとして数年間を過ごします。そこでの経験が大きく私を力付けていきました。営業力がないと仕事になりません。そして結婚式にはドラマがあります。家族が育んできたドラマ、新郎新婦のドラマ、参列する人たちのドラマを大切にお手伝いをさせてもらいました。自分の心から必要とする人たちとのつながりや愛、そして希望につながること、意識をそこに向けること、その裏に付き纏う不安や葛藤に寄り添う仕事が自分の生きがいになっていきました。一人ひとりの物語や人生の帰路、一緒に立てることが何よりの喜びでした。

1日にして、大きな金額が動くハウスウェディングの世界は、表舞台とは裏腹に ストレスにさらされた状態から精神的な不安をぶつけられることも多くあります。クレームも理不尽なことが多く、受け止めることにかなりのエネルギーが必要です。そして私は、ストレスから体も心も崩す寸前まで働き、夜中に家に帰ると小さな甥や姪の寝ている布団に潜り込んでは、ポカポカ子供たちの体温から伝わるあたたかさや温もり、エネルギーを感じて固まった心を癒し 毎日を過ごしました。自分が子供を産んでいたなら、この年齢の子供がいてもおかしくはない時期。何が辛いのかわからないまま 何度も布団で泣きながらやり過ごしたのを思い出します。みなちゃん 30歳を迎えます。

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