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みなちゃんのライフヒストリー#9

私の人生、ここには書いていないけれど 楽しいことも沢山ありました。いろんな方との出会いや優しさに触れて今の私があります。つながりや出会いは今考えると、不思議なことがいっぱい詰まっています。

父を見送ってから、しばらくして、他界した直後は「父の死」に対して私の感覚が無自覚だったことに気がついた。その代わり 日常のあらゆる時に父を思い出すようになっていった。
迷う時、苦しい時、悲しい時。父の顔を思い浮かべては、「お父さんならばこのことに対してどう答えるだろうか・・・」と何度も聞いていた。実家の母や兄に聞くことができなかった。「そうなんだね。」ってならないことで悲しみたくなかった。その代わりに私は、父との会話を多くするようになっていった。その度に父の「存在」の大きさを実感した。父は私の守神のように大きな存在と質で包んでくれていた。

この時も、父に聞いた。
家を手放す時、2回目の離婚をする時。
ギリギリまで現実に踏み留まっても、その先をイメージできなくなっていた私を 父は無言で包んでくれた。私は、言葉を超えた存在に確認し、自分を整理して納得させて進んでいた。
そうして、私は子供3人を手元において 2回目の離婚をした。

自分が変わらなければ、どんなに相手が変わっても 同じことが繰り返されると悟った時でした。私か変わる?モヤ〜と私の中の何かが現実を作っていることが理解できていた。

離婚する前に行ったこと。お金の計算を何度も何度もしました。働きながら何度も何度も計算しました。けれど、3人の子連れで生活をするには不安が多く、踏み出すまでに時間がかかり、何度も「やっぱりやめよう」と、やり直す覚悟をして気持ちを一新させ過ごす日々・・・。その覚悟も一瞬で砕けます。やり直すも、同じ繰り返しを重ねることになり 相手との間には「痛み」という体験ばかりが積まれて行きます。お互いを傷つけてしまう先に痛みがあり、反応することがお互いに増えて行きます。それが口論では止まらなくなり、手が出るようになり、それを眺める子供の心に傷を追わせていくことに申し訳なさと、自分の惨めさが増していきました。
「子供にもうこれ以上、心の傷をつけたくない」「お金よりも大事なものがある」その一心で、離婚を覚悟し踏み出すのです。

自分の実家には、離婚をしたことだけを伝えて 甘えることをしないと誓いました。何かをしてもらうことで、意見やアドバイスが伝えられる。それを聞き入れる心のスペースが今の自分にないことを私は充分理解していました。なので、私の兄弟が住む福島県には戻らず、宮城に残りました。仕事も楽しかったし、やりがいもあり、それ以外の仕事は見当もつきませんでした。相談もしないし、頼ってもこない。私の様子が歯痒い兄弟の気持ちも察していましたが、その時は自分と子供たちのことで必死。寂しさと不安を抱えながら、仕事に行く毎日・・・。
1年くらい経った頃から、子供と出かける余裕ができはじめ 地域のサークルに参加し始めます。私だけではなく、長男も人の輪の中に入っていくことに抵抗があり、かなり勇気がいる様子でした。いざ仲間に入ると 私も子供達も出会うみんなに心を癒されていくのを感じました。やっと生き生きさを感じるようになれたのです。出会いに感謝とは、こういうことだとしみじみ感じました。
夢中になって楽しむことを取り戻していきました。

2度の離婚を経験し、「私自身に何か問題があるのではないか」ということに意識が向くようになります。仕舞い込んでいた「NVC」の本をじっくり読み込むと、職場で生かせることが沢山あり、自分なりにまとめながら職場で実践することをし始めます。そしてその頃、会社をもっと良くしたい!その気持ちが強かったこともあり、NVCを本格的に学んでいきたい気持ちと同時期に、「学習する組織」や「U理論」「ファシリテーション」のワークショップにも参加するようになります。多くの方とつながっていくことになりました。学びがオンラインに広かっていくと 宮城でもNVCの講座が受けられるようになっていき、NVCの世界観、精神性に触れることができるようになっていきます。どんどん吸い込まれていきました。
そんな中、NVCを教えている川口久美子さんの対談記事でコネクション・プラクティスに出会い、沢山の仲間と出会うようになるのです。通称コネプラ。そして、学びを進めていく中でもう一つ、私の意識や人生を大きく変えた衝撃的な出来事が私を待っているのでした・・・。

つづく・・・


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