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JUDY AND MARYとわたし

私と夫、共通して好きなバンドの1つであるジュディアンドマリー。

これから控えている結婚式のBGMにどうかな、と思い、散歩道という名曲を久しぶりに聴いた。
聴き直してみたんだけど、一瞬で当時の幼い私に戻ってしまったのである。

あれは小学校4年生の頃だった。
当時、そばかすという曲が大ヒット。
“思い出はいつも綺麗だけど それだけじゃお腹が空くわ”というインパクトのある歌詞に、ボーカル・YUKIちゃんの愛らしい声。
アップテンポな曲調だけど、歌詞は失恋した主人公の切ない心境を歌ったものである。

テレビで初めて観た彼らは小学生の私にとっては衝撃であった。
特に、ボーカルのYUKIちゃん。
可愛いだけじゃない、力強く伸びのある声。
個性的なファッションに、印象的な幼い顔に、八重歯。
この世にこんな可愛くてかっこいい人が存在していたのかと、小学生なりに思ったのであった。

当時はYUKIちゃんのメイクやファッションを真似した女の子で溢れていた。
OVER DRIVE のPVではオーバーオールを着るYUKIちゃんを、みんな真似していたという記憶がある。
ファッション雑誌でも、YUKIちゃんが表紙を飾ることが多かった。
ファッションリーダーという一面もあったのである。

私は『WHAT's IN?』という音楽雑誌のYUKIちゃんの連載コラム【 果てしないたわごと 】を、切り取りにして大事に大事に取っていた。

そして、とにかくCDを擦り切れるほど聴いた。
ジュディマリの曲はとにかく忙しい。可愛くて、かっこよくて、楽しくて、切ない。
キャッチー、ポップ、パンク、バラードなんでもありだ。

初めて聴いたアルバムは、【 the power souce 】というアルバムだった。
1曲目であるBIRTHDAY SONGという曲は、ジュディマリの曲の中で特に好きな曲なのだが、切なくて幻想的な感じは圧倒されるし、綺麗過ぎてため息が出る。

また、【 POP LIFE 】というアルバムに入っているミュージックファイターという曲は、「ジュディマリは、コレよ、コレ!」と言いたくなる曲であり、どこか危なっかしい感じがたまらなく良い。
また、PVではベビードールを着ながら、力強く歌うYUKIちゃんがかっこいい。
右腕に《音楽》という文字が書かれているのだが、一般人がやったら明らかに痛い人であろう、ということも、YUKIちゃんに掛かったらそれすらサマになる。

小学生からジュディマリを追いかけて、中学生時代もいつだってジュディマリの音楽と一緒だった。
いつかジュディマリみたいなバンドを組みたい。
そんな憧れを抱きながらCDを繰り返し聞き続けた。

しかし、私が中学三年生の時に解散。
解散理由は諸説あるので、ここは割愛する。

ラストライブのチケット販売日。
販売時間前から必死でちけっとぴあに電話を掛け続けた。
(今のようにインターネットで楽々予約なんてできなかった。)
ようやく繋がった電話。
私は初日の東京ドームツアーのチケットを手に入れた。
(あとで母に、なんで最終日にしなかったの?と言われたが…。)

ラストライブは平日に行われた。
学校が終わってから、クラスで唯一のジュディマリファンの子と、そわそわしながら1日を過ごした。
帰りの会なんてどうでもよい。
早く終わってくれ…。

最悪担任に交渉しよう。
私達の担任の先生は、学校の先生にしては少し変わった人であった。
担当教科が美術で、プライベートではバンドをやっている人。
好きなバンドはブランキージェットシティ。
私は給食の時に、たまに先生と音楽の話をすることが好きであった。
だから、そんな先生だからきっと理解してくれる。

そんなことを思いながら、帰りの会が終わるのをひたすら待った。
意外にもあっさり会は終わり、私達は急いで家に戻り、着替えをして東京ドームに向かった。

中学生だったので、都内に出ることなんてほとんどなく、ちゃんと到着できるのかヒヤヒヤしたが、なんとか無事到着。

物販で並ぶ人、今から始まるライブに胸を弾ませている人。
東京ドーム周辺は、たくさんの人で溢れかえっていた。

そして開演。
ドキドキしながら、周りの声援を聞きながら、彼らが登場するのを待った。
登場した瞬間、周りの声援が一段と大きくなり、私達も思わず叫んでしまった。
ジュディアンドマリーって実在するんだ…!
変な感じだが、今でもテレビで見る人を生で見るたびに、そう思う。

小学生から憧れ続けていた存在。
ずっと雑誌やテレビ越しで見続けていた人達。
ただただ、感動した。

ライブ中のYUKIちゃんは、飛び跳ねながら、楽しそうに歌う。
そのライブパフォーマンスは、可愛くて、かっこよくて、たまにセクシー。
破天荒で危なっかしくて、目が離せないのである。

TAKUYAが複雑なギターを奏でる。
恩ちゃんも楽しそうに暴れながらベースを弾く。
五十嵐さんはなんとなくだけど、自由に音楽を楽しむ3人を見守りながらも、楽しそうにドラムを叩いているように見えた。
この人達が集まって、ジュディマリというバンドが結成されたこと自体奇跡なんだなぁ。
中学生ながらにも、そんなことを思いながら彼らを見ていた。

たったの2時間。
とても濃厚で刺激的で、感動的なラストライブであった。

そんなこんなであれから18年。
私もだいぶ大人になったけど、その間も、ふとした時に「久々に聴きたいなあ…」なんて思い出し、ジュディマリ熱が再燃するのを繰り返し続けている。
だから私はジュディマリとともに、大人になったのだ。

初めての彼氏ができたとき。
失恋したとき。
今の夫と出会って、心から愛しいと思える存在に出会い、ラッキープールやラバーソールの歌詞の意味を知った。
悲しい時も、辛い時も。
ジュディマリの音楽に慰められ、元気付けられてきた。
ずっと彼らの音楽は、寄り添ってくれていたのだ。

わたし、おばあちゃんになってもジュディマリを聴き続けるんだと思う。

YUKIちゃん、あなたに憧れていた幼い少女は、もういい大人になりました。
当時は子ども過ぎて分からなかったYUKIちゃんの紡ぐ言葉達も、ようやく理解できるくらいに。

ありがとう、YUKIちゃんはずっとわたしの、憧れの存在。

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