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忘れもしない19の夏

あれは19歳の夏だった。

当時大学受験を目指していた私は、友人と近所のファミレスで勉強をしていた。
ちょっと休憩の時になんとなく開いた携帯電話。
そこには驚くような連絡が入っていた。

「Rちゃんが事故に遭って植物状態になっている」

中学時代の友人からのメール。
突然のことで一瞬パニックになったけど「きっと回復するであろう」なんて感じで、重く受け止めていなかった。

だって、19歳で人が死ぬことを経験したことなんてほぼなかったのだから。

Rちゃんは小・中学校の同級生であった。
中学生の頃はさほど絡みはなかったが、小学生の頃はRちゃんの家にも行く仲であったし、みんなでディズニーランドにも行った。

明るく美人な子でひまわりのような感じの子だった。
歌うことが好きで小学生の頃にはみんなの前でアカペラを披露。

小学生で今井美樹の「PRIDE」を選曲するところがまたすごいなと思うのだが、なによりも真っ直ぐな声と瞳が印象的で、クラス全員が感動したことを今でも鮮明に覚えている。

お葬式の会場ではたくさんの中学時代の友人や先生がいて、彼女の死を悼んでいた。

「次にみんなで会うのは成人式の時だね」なんて話をしていたはずなのに。
こんな形でみんなと再開するなんて、誰が予想しただろうか。

会場では、一人の金髪の男の子が泣き崩れていた。
のちのち知ったのだが、彼は彼女の恋人だったらしい。

彼女は交通事故に遭ったとは思えないほどの綺麗な顔で眠っていた。

会場から帰るときも、私たちは涙が止まらなかった。
19歳には重いできごとであった。

やはり、若い人の突然の死はなかなか受け入れ難いものがある。
こういうのもなんだけど、ご老人が亡くなる際は「今までお疲れ様」と言った気持ちで見送ることができるのだが。

あれから毎年、うだるように暑い季節がやってくるたびに彼女のことを思い出す。

きっと、今も生きていたなら。
結婚して子どもも産まれていいお母さんやっていたのかなあ、とか。
大好きな歌を続けていたりしたのかなあ、とか。

亡くなった人を思い出して悲しい思いをすることは、決して悪いことではない。
だけど、ずっと悲しい思いを引きずっていてはいけない。

故人の分まで生きることが大事なんだろうなと思う。
そして、ときどき故人を思い出すことによって故人は私たちの心の中でずっと生き続ける。

私はそんな風に考える。

そんなことを彼女は19歳の私に教えてくれたのであった。

そしてこの数年後、私はもう一度大切な友人の死を経験する。

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