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東京旅行(2023年11月)の備忘録

 2023年11月23日(木・祝)~11月26日(日)、東京旅行でマーダーミステリー作家の錚々たる方々と交流する機会を得た。
そこで、色々な会話や議論を通して自分自身が気付きを得たことを、備忘録としてここに書き留めておくことにする。
どれも、自分の中で結論にまで到達したものということではないので、文章が整理されていなかったり矛盾があったりしても許してほしい。

1.思考の仕方
(a)自分の思考の仕方
 私が頭の中で物事を考え選ぶ際、ほぼ視覚的な文字は使わない。
私が本を読む時、風景描写は映像となって頭の中に浮かぶし、人物どうしの会話はその人物の声を勝手にあてた上で音となって聞こえる。

 物事に対する考え方も、身体的な感覚で整理されている気がする。
猫に触れる時は、ふわふわの触感と体がリラックスして温かくなる感覚を認識してから、それが『好き』であることに変換される。
蛾を見た場合は、ゾワッとする感覚と心臓がキュッとなる感覚を認識してから、それが『嫌い』であることに変換される。

 オンラインマーダーミステリーをプレイする際、私はほとんど壁打ち(他のプレイヤーが見えないところに、今自分がキャラクターとして考えたり感じたりしたことを書き留めること)をしない。
 私にとって、自分の考えていることを言葉にするということは、自分の感じている身体感覚を一度言葉に置き換えるという処理を行うことである。
なので、推理に集中したいときは、余計な文字への出力処理に脳のメモリを割かれたくないと考えて壁打ちをしないのだろうなと思う。
(※自分の感覚を認識のレベルまで高めるためには、一度言葉にするということは必要不可欠な作業であることも理解している。)

 今日の昼食はどこに外食に行こうかと考える際、私の頭の中には時間的に行動可能な範囲の飲食店マップが現れる。そして、それぞれのお店で昼食を食べた時の気持ちを瞬間的にシミュレーションし、今の自分はどこに行ったときに一番気持ちが上がるのかを考えて決める。そのため、自分が住んでいるマンションの1階の飲食店がリストから頻繁に抜け落ちてしまう。(地図上では自分のいる位置と同一なので)

 私は人の名前を覚えるのが特に苦手だ。
名刺をもらって漢字等の文字という映像情報としてなら覚えられる。しかし、初対面で「私の名前は〇〇です」という音だけだと割と忘れやすい。おそらく、あえて名前の音をこれまでの記憶の中にある誰かと結びつけないようにしているためだと思われる。例えば子供の頃、仲が悪かったAさんという友達がいたとする。大人になって、たまたま名前がAさんという全く別人に出会った際に、この人は嫌な感じのする人だという先入観を持ちたくないから、あえて人の名前を自分の記憶と紐づけて覚えようとしないのだと思う。

(b)他の人の思考の仕方
 何かを取捨選択する際にはベン図やフローチャート、樹形図で考える人もいるらしい。それらをシミュレートして、今の自分に合ったものを選ぶ。
何かを思案する際には脳内会議を実際に行う人もいるらしい。複数人の自分が実際に言葉を交わしあうことや、友人を脳内に登場させて発言させるなどもあるらしい。
 上記のような脳内会議風景はアニメ等では時々見たことがあるが、実際にそれを行う人もいるというのは興味深いことだと思う。

2.創作における世界観
 東京旅行の4日間、しゃみずいさん、すなさん、オオツカさんと折に触れては創作論についていろいろと語り合った。

 特に印象的だったのが、しゃみずいさんから言われた、物語の構成要素として重要なものを突き詰めると「愛と死」であるという言葉だった。(しゃみずいさん、正確ではなかったらすみません。)
旅行中にしゃみずいさんGMで遊んだクトゥルフ神話TRPG「ヒトニグサ」も、その言葉通り、しゃみずいさんからキャラクターに対する愛(そして死)にあふれた素晴らしい物語だった。

 私は物語の構成要素として何が必要かを戦略的に組み立てて創作したことがないので、上記のような考え方は非常に新鮮だった。その上で、自分なりに創作する上での世界観(特にマーダーミステリーでの世界観)を考えてみた。

 私にとっての世界とは無慈悲で無情なものである。善でもないし、悪でもない。そこに意味を見出すのはその世界に生きる人々(キャラクター)である。
また、偶然とは1つの視点では観測しきれないほどの小さなそして無数の必然の積み重ねである。(全ての事柄に何らかの意味を持たせる)
さらに、プレイヤーに納得感を持たせるには因果(原因と結果)が必要であると考える。ここで、プレイヤーの意図と結果が同じであれば喜劇やハッピーエンド的な結末となり、意図と結果が異なれば悲劇的な結末となる。そこに世界としての因果(なぜその結果に行きつくのかの理由)を混ぜ込む。

 こう書きあげてみると、私にとっての創作の世界観とは意思のない舞台装置である。ただ、そこにキャラクター(プレイヤー)が意味を見出そうとする余地を持たせることが私の物語創作にとって重要なのだろうと思う。

3.うろ覚えの物語を語る
 これは非常に興味深い体験だった。
「かさ地蔵」や「番町皿屋敷」、「ロミオとジュリエット」など、話を全ては憶えていないのだけれど、要素を数点覚えているようなうろ覚えの物語を、創作を交えつつ語ってみようという試みだ。
その時、忘れたストーリーを穴埋めするのは、語り手が創作上得意にしたり大切にしたりしている要素であるという事だった。
 他の方々の話を聞いたが、どれも独創的でその人らしい話になっているのが興味深かった。私は上記の物語を8割がた覚えていたので、余り面白いことにはならなかったが、また機会があれば試してみたい。

4.人々が求めるエモとは
 マーダーミステリーに対してプレイヤーが求める要素は様々なものがある。謎解き、駆け引き、気づき、心が揺さぶられることなど多種多様であるし、プレイヤーにとってはそれぞれの優先順位が異なるため、要素1つだけを大事にすればよいということも言えない。
 
 今回は要素の1つ、心が揺さぶられること(いわゆるエモ)についてのみ、取り上げてみる。

 現代で心が揺さぶられる小説や映画、それに類するエンタメが求められるのは、人々が生きる日常が平和で平穏であり、それに対する刺激が求められているからだと私は考えている。

 上記の他に、マーダーミステリーにエモが求められている要因の1つとして、自分の信念の発露への欲求だと考えている。哲学的、宗教的、政治的な問題に関して、現代の人々は無関心なわけではないと思う。しかし、明確な答えのないそれらを誰かと議論するということはかなりのリスクを伴うもので、下手をすると人格攻撃になったり、親しい友人と分かり合えないことを悟ってしまったり、センシティブな問題になりやすい気がする。そこに、マーダーミステリーという1つのシチュエーションを設定し、キャラクターというある種の仮面を被せることで、日頃自分が心の奥底で考えていることを自分自身でないアバターの姿を借りて話すことができるということが魅力の1つになっているのではないかと考えている。
 愛とは、生とは、死とは。などをキャラクターとして、しかし自分の想いを載せることにことによって、心に響くような体験に繋がるのではと思う。
ただこのやり方も、キャラクターとプレイヤーの信念が著しく異なる場合は、あまりキャラクターに入り込めなかったという感想を持たれる恐れもあるため、扱いには気を付けるべきやり方だとは思う。

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