艶歌から見る光輝族② ~チルカ編~

※この記事は作成者の独断と偏見に基づく解釈・考察であり、公式とは一切関係がありません。

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★愛と憎しみのSAGA

一度信じた道に 裏切られたなら
ただ俺のこの両目が 節穴だったんだろ

愛と憎しみのSAGA 作詞:hotaru

 何かが壊れていくかのような、階段から転がり落ちるような、そんなイントロから始まるこの艶歌は、ひたすら哀しみと後悔を歌う一曲です。
 出だしのこの歌詞から悩みました。一度信じた道、とは、なんのことを示しているのか。F蘭の艶歌はいずれも各キャラたちのエピソードや過去にちなんだ歌詞になっています。そこを考えると、白百合か?と思ったのですが、後に続く歌詞で、愛はいつも憎しみを背負っている、と歌っていることを考えると、白百合に対しては憎しみを抱いているようには見えないので違うと結論しました。ではこの歌で歌われている愛憎を抱いている相手とは誰か。作中のセリフで実際にチルカから「愛してる」と「憎い」の両方の言葉を言われた相手がいましたね。そうです蘭丸です。

情けねえな漢なら 未練なんて捨てて
そうさ 愛って愛って いつも憎しみ背負ってる

愛と憎しみのSAGA 作詞:hotaru

 チルカの艶歌の分析は正直めちゃくちゃ難しいと感じました。他のキャラ達の艶歌は作中のエピソードが連想できるようなものであるのに対し、チルカの艶歌はどうもしっくりくるエピソードがありません。そもそもこの歌が蘭丸に対する愛憎を歌う歌であるならなおさらです。二人は過去についてほんの少しの情報しか明かされていないからです。この歌詞における「未練」も、作中で明かされていない部分をこちらで推測するしかありません。
 作中においてチルカは蘭丸(ベテルギウス)にとっての自分の存在を「唯一無二のバディ」と称していました。また、最終話でのプロキオンの「二人が仲良くしている姿を見るのが好きじゃった」というセリフからも、過去の二人は相棒であり、親友でもあったようです。しかし今の蘭丸には新しい仲間がいて、過去の記憶を失っているとはいえ、相棒だったはずのチルカに刃を向け今の仲間を優先して助けるほどです(第八話参照)チルカの未練とはそこではないでしょうか。
 チルカ、いや、シリウスは、かつて自ら仲間を捨てる道を選びました。ここでいう仲間とはベテルギウスだけではなく、プロキオンも含めます。三人で人間界に降り立ち愛著集めをして、集めた愛著で夭聖界の王国を作り上げた。その仲間から離れ、人間になって一人の女性と共に生きると宣言しました。しかし結果的にそれは叶わなかった。プロポーズを手ひどく断られたシリウスは、そのあと一人で、元々その日自分たちがコンサートを行う予定だった壺ドームに行っています。自分達が歌っていたはずのステージを、たくさんの人間で埋め尽くされていたはずの客席を見ながら、一人で何を思っていたのでしょうか。
 ここで更にキーワードとなるのは白百合の「アイドルで夭聖のあなたが好きだったの」という言葉です。アイドルで夭聖、とは、まさに、シリウスが捨てようとしていたものでした。皮肉なことに、白百合と共に生きるために捨てようとしたその立場を、白百合自身に望まれてしまう。シリウスのショックは計り知れないものがあります。もしかしたら、壺ドームでのシリウスは、その言葉を思い返し、悩んでいたのかもしれません。

光を避けて歩けば 誰もいない闇の方へ

愛と憎しみのSAGA 作詞:hotaru

 プロキオンは第6話でシリウスが今はチルカと名乗っているのを知り、「過去を捨て、闇に落ちたか」と言っていました。この言い方から察するに、女王の意思で堕天させた、というわけではないようです。おそらくですが、堕天をするか否かは自ら選べるのではないかと思います。「光を避けて歩けば」とは、シリウス自身が自ら堕天の道を選んだことを示すのではないかと思います。夭聖界のエースだったこと、信頼する仲間がいたこと、愛する女性がいたこと、すべてシリウスの言う「光」なのではないかと思います。それらを自ら捨て、堕天し、かつて愛著集めをしていたのとは逆に、邪魂を増幅させる道を選んだ。ひとりで。

月のように 太陽の裏側ゆけば 絡みつく 愛憎の縁(えにし)

愛と憎しみのSAGA 作詞:hotaru

 月のように太陽の裏側ゆけば、という部分も堕天に近しい意味でしょうか。夭聖界では光輝族のエリート、人間界では大人気アイドルとして、常に太陽のように眩しい立ち位置にいた彼が、自ら選んでその裏側に堕ちた。しかしそれでも愛憎の縁からは逃れられない。
 チルカと蘭丸、もとい、シリウスとベテルギウスのキャラクター性は陰陽説に基づいて作られていると思われます。陰陽説とは、この世界の全てのものが相対する2つの要素によってできているという中国の思想です。夭聖体のシリウスとベテルギウスは外見がよく見ると対になっています。ブライトヘアーなシリウスに対して、ダークヘアなベテルギウス。利き手も左利きと右利き、肌の色も白肌と褐色肌。羽根の色も見ように寄っては、互いの髪の色に近いように見えます。ではどちらが陰がどちらが陽か、という話ですが、これについては、こっちがこれ、と定義できないというのが私の解釈です。
 陰陽説においては、陽があれば陰があり、どちらも互いに相手がいなければ存在できない、とされております。「絡みつく 愛憎の縁」とは、まさにその、互いに逃げられない、二人が生まれ持って背負ってしまった運命のことではないかと思います。これについては考察のまとめで詳細を明記します。

嗚呼、この世のすべてすれ違い 愛故に またすれ違い

愛と憎しみのSAGA 作詞:hotaru

 「この世のすべてすれ違い」とは、様々な意味を含んでいるように思います。自身の願いと白百合の願いのすれ違い、プロキオンとの確執、味方になってくれなかったベテルギウスとの確執など。「愛故に またすれ違い」の部分については、いずれのすれ違いも、シリウスにとっての「愛」と関連していると思います。これについては後述します。

後ろ髪引かれても 知らねえとぼやき
迷いに迷い込んで 月は滲んでゆく
面影を踏みしめて 路地裏をゆけば
灯る 思い出宿った街灯 後悔へご案内

愛と憎しみのSAGA 作詞:hotaru

 二番以降の歌詞は、堕天後のチルカの視点かと思います。前向きな決意から一変して真逆の闇に堕ちたチルカ。過去を思い返したり後悔することも時にはあったのではないかと思います。作中でいえば、第11話で白百合の事故現場で一人、哀しい表情を浮かべているシーンがありました。堕ちて以来何度も、彼はあの場所へ行き、様々な後悔をしたのではないでしょうか。
 例えばあのままアイドルを続けていたら、白百合とは、結婚とはいかずとも、そのまま恋人関係でいたのかもしれません。仲間を失うこともなかったのかもしれません。いずれにせよ白百合は余命幾ばくない身なので別れは近かったかもしれませんが…。「月は滲んでゆく」とは、悲しみや後悔で視界が涙に滲む様子を示していると思います。月の出ている夜、一人で夜空を見上げ、涙を浮かべていたのかもしれません。なんなら季節が冬だったら、その夜空にはまさに自分たち三人の名と同じ、冬の大三角形が浮かんでいたかもしれない。

なぜだろう 何度問うても 浮かぶ俺の 馬鹿さ加減

愛と憎しみのSAGA 作詞:hotaru

 艶歌の歌い出しのくだりもそうですが、この歌は一貫して、自身の後悔と、自身を責める歌詞になっています。本編では邪魂を増幅させ、時には蘭丸らに攻撃を向けたりしているチルカですが、艶歌では誰かを憎むというより、自身を憎んでいるようにすら思えます。このあたりは、シリウス(チルカ)というキャラクターの分析において非常に興味深いのではないかと思います。本編では敵側として登場していたのもあり、チルカの本質的なところは見えづらい仕様だったり、どうしても悪いように見えてしまいますが、内面では彼は悪者ではないのではないか?

何もかも 灰色に褪せているのさ 
意地張った あの日堺に
嗚呼、この世のすべて憎み合い
別れても まだ恨み合い

愛と憎しみのSAGA 作詞:hotaru

 意地張ったあの日、とは、全てが狂ってしまったあの日のことと思われます。あの日以来、仲間も恋人も失い、チルカの世界は灰色に褪せてしまった。
 チルカの艶歌には、必ずサビに「この世のすべて」という言葉が出てきます。ここについて、私は前に述べた陰陽説が絡んでいるのではないかと思っています。前述のように陰陽説は『この世の全てのものが相対する2つの要素によって出来ている』という思想です。
 菱田監督のインスタライブにて、夭聖界はひとつではないことが明かされています。また、作中でも、プロキオンら三人によって、木火土金水の五行による王国が作られたことが言われています。そのことを踏まえての仮説になりますが、プロキオンが女王としての根源という前提で、シリウスとベテルギウスもまた、陰陽説に乗っ取った、この夭聖界を生み出した根源なのではないでしょうか。だとすれば、「この世のすべて憎み合い」とは、シリウスとベテルギウスが憎み合っていること、あるいは、シリウスがベテルギウスを憎んでいること、を示しているのではないでしょうか。実際作中のセリフでも、チルカは蘭丸に「僕は君が世界で一番憎い」と言っています。
 実際は蘭丸は過去の記憶を失っているので、チルカが誰なのかもわかってないし、わかっていないのに憎むも何もない。しかし七話でチルカが焔を攻撃して以来は、蘭丸もまた、チルカのことを「仲間を傷つけるもの」として敵視しています。いわば、憎み合っている、とも繋がる。

光を探し歩けば 気づけばまたお前の方へ

愛と憎しみのSAGA 作詞:hotaru

 チルカにとって光とはなんなのでしょうか。この歌でずっと後悔を歌い続けたチルカですが、それでも救われたいと光を求めている様子がこの部分から読み取れます。そして、ここで、蘭丸の艶歌の歌詞を思い出してみてください

らんらんらららん 愛の為
希望(ひかり)たれ 一縷でも

愛らんらんらん 作詞:青葉 譲、hotaru

 愛のために希望(ひかり)であろうとする蘭丸。光を探し歩いて、「お前」と称される誰かにたどり着いたチルカ。その誰かとは?もう言うまでもないかと思います。
 最終話で白百合の真相をチルカに伝えたのは蘭丸でした。本当は白百合もシリウスを愛していた。愛していたからこそ、シリウスに後悔をしてほしくなくて、プロポーズを断った。昇天できずにいた白百合の魂にたどり着いたのは蘭丸でした。白百合自身から真相を聞いたのも蘭丸でした。そして蘭丸は、その真相をチルカに伝えた。
 最終話でチルカが蘭丸に、キスを介して真相を伝えられた際、真っ先に出た言葉は「俺は…愛されていた、だと…?」でした。この言葉から察するに、要するにシリウスは自身が白百合に本当は愛されていなかったのかもしれない、というのが一番ショックだったのだと思われます。

月のように 太陽の裏側ゆけば
絡みつく 愛憎の縁(えにし)
嗚呼、この世のすべて愛し合い
愛の為 ただ愛し合い

愛と憎しみのSAGA 作詞:hotaru

 最後のサビで再び歌詞が繰り返されておりますが、ここで1番2番のサビを振り返って見ましょう。1番では「愛故に またすれ違い」、2番では「別れても まだ恨み合い」、そして最後には「愛の為 ただ愛し合い」と繋がります。この部分だけ見ると、すれ違って分かれて恨み合って、それでも愛し合って、という、一連の流れになっています。冒頭に申し上げたように、この歌が、蘭丸に対する愛憎を歌っている歌だとしたら、この一連の関係性の変化はチルカと蘭丸の、シリウスとベテルギウスの関係性の変化と一致します。
 蘭丸の「愛らんらんらん」は、見返りを求めない、ある意味では一方的に捧げる愛を歌っていました。それに対しチルカの「愛と憎しみのSAGA」は、二人の関係性を歌っている。愛憎の縁によって離れられない二人です。
 作中では二人は互いに相手に対して「愛してる」と伝えています。チルカは8話のヘブンズ空間での去り際の「本当に君は憎らしいね…愛しているよ、ベテルギウス」と、最終話の黒チルカと蘭丸の対戦で蘭丸を殺そうとする直前に。蘭丸は最終話で、口パクで、「アイシテル」と。両者とも「愛してる」と同じ言葉でありながら、前者は明らかに憎悪の気持ちの混ざった愛で、後者は憎悪などかけらもない曇りのない「愛」です。それぞれの艶歌と一致しているともいえます。
 少し尻切れトンボ気味かもしれませんが、チルカの艶歌考察としては、以上になります。
 
 このように蘭丸とチルカ両方の艶歌を考察した上で、私は、光輝族に関してある一つの仮説を考えました。その仮説を踏まえた上で、次はTri-Angels▽Signalの考察を行います。

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